【インタビュー】ファンキー加藤、いつも近くで⾒守ってくれる母への感謝「10周年というタイミングがベストかなと思ったんです」

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■良いものを作れたんじゃないかなと思います
■ただ……この曲について、お袋と話したくないなぁ(笑)


──年齢を経て、子供の頃は気づかなかった母親のありがたみを実感する方は多いですよね。さらに、感謝の想いを伝えるだけではなくて、僕もあなたのような人でありたいと歌っていることもグッときます。

ファンキー加藤:なんかね、僕はお袋と似た性格になったなと思ったんです。うちのお袋は誰かに喜んでもらうことがすごく好きな人で、とにかく奉仕の心が旺盛なんですよ。それこそ僕がFUNKY MONKEY BABYSでデビューした2006年とかに、イベントの会場にお袋が手作りの酒饅頭を持ってくるんです。当時の僕は20代で、もうそれが恥ずかしくて(笑)。「学校の行事とかじゃないんだから、やめてくれ。持ってくるなら、どこかの店で買ってきてほしい。手作りするな」という話を散々したけど止まらないんです、ハッちゃんの手作り酒饅頭が(笑)。なので、僕も途中から開き直って、「すいません! うちのお袋が酒饅頭作ってきましたっ!!」と言うようになった。そうしたら、すごくいろんな人から感動したと言ってもらえたんです。特に、年配のスタッフさんから。それで、最初はすごく恥ずかしかったけど、だんだんリスペクトの気持ちに変わっていったんです。

──ショービジネスの世界は自身が育ってきた日常とは相容れない場のような感覚がありますが、ショービジネスも人が作っているものなんですよね。ですので、多くの方が加藤さんのお母様の人となりに胸を打たれたと思います。

ファンキー加藤:本当にそうですね。そういうふうに、うちのお袋は誰かになにかをしてあげたいという思いがすごく強くて、僕が人前に出て何かをすることで誰かが喜んでくれることに生き甲斐を感じるところは1番お袋と性格的に似ている部分かなと思います。


──話を「優しい光」に戻しますが、この曲の歌録りはいかがでしたか?

ファンキー加藤:FUNKY MONKEY BABYS時代からそうですけど、実際に風景が浮かんだり、思い出せるシーンとかがあったりすると自分の気持ちを乗せやすいというのがあって。実体験にもとづけばもとづくほど、言葉に思いを乗せられる。「優しい光」は、まさにそういう曲なので、歌いやすかったです。

──思いが伝わる歌でありながら、ベタベタしていないというのが絶妙です。

ファンキー加藤:歌い方はどういうテイストでいくかということをスタッフとディスカッションして、そこは真っすぐな歌でいこうということになりました。アレンジやプロデュースをしてくれた田中隼人も同じことを言っていましたが、あまりウェッティな感じでいくよりはカラッといったほうがファンキー加藤っぽくていいだろうと。それで、こういう表情、こういう温度感の歌になりましたね。

──加藤さんならではのリズム感の良さも効いて、すごく心地良い歌になっています。さて、「優しい光」は明確なテーマや良質な楽曲と歌詞、表現力に富んだボーカルなどが折り重なって、非常に質の高い作品に仕上がりました。

ファンキー加藤:僕自身も、良いものを作れたんじゃないかなと思います。ただ……この曲について、お袋と話したくないなぁ(笑)。うちのスタッフは面白いことをやりたがるので、「じゃあ、これをお母さんと一緒に聴きましょう」というドッキリ企画とかを持ってきそうな気がして、めちゃくちゃ怖いんですよ(笑)。いきなりカメラを回し始めて、「じゃあ、八王子の実家にいきましょう」とか言われたらどうしようという(笑)。

──うっっ……それは、キツいですね(笑)。

ファンキー加藤:キツい。そんなの絶対ダメでしょう(笑)。「優しい光」は、お袋に勝手に聴いてもらって、勝手に思ってくれと思っています(笑)。

──お母様も、それでわかってくださると思います。続いて、ソロデビュー10周年について話しましょう。2013年にFUNKY MONKEY BABYSが解散してソロ活動を始められた時は、どんなことを考えていましたか?

ファンキー加藤:あまり先々のことは考えていなくて、とにかく自分の音楽人生を途切れさせたくないという思いでしたね。ソロは、その一心でリスタートしたという感じかな。

──ソロで提示したい音楽性などは、当初から見えていましたか?

ファンキー加藤:最初は、いろいろ考えました。ジャンルやスタイルを変えないといけないのかなと思っていろいろ試行錯誤したけど、でもよくよく考えたら自分はFUNKY MONKEY BABYSのスタイルがすごく好きだったんです。自分の“好き”を突き詰めていったらたどり着いたもので、FUNKY MONKEY BABYSは音楽の方向性の違いとかで解散したわけでもないから、無理やり自分の心に嘘をついて違うことをやるのもよくないなと思って。それで、もうありのままいくことにしました。



──FUNKY MONKEY BABYSの良いところを継承しつつより加藤さんのパーソナリティーが伝わって、さらに時代性なども採り入れるという最良の形になっていますね。では、実際にソロアーティストとして活動を始められた印象はいかがでしたか?

ファンキー加藤:大変だなという印象でした。1番強く印象に残っているのは、最初に夏フェスに出た時ですね。そのときの圧倒的な敗北感というか。FUNKY MONKEY BABYSというものの大きさに打ちのめされたんです。こんなにも違うのかと思って。モン吉というペースメーカーがいて、あいつの無尽蔵のスタミナがあって、DJケミカルという後ろの飛び道具がいることで、いかに会場の空気を作っていたのかということを実感した。そのフェスで僕は全く何もできずに、ただ息切れしただけで終わってしまったんです。勿論その後は軌道修正して、ファンキー加藤なりのステージングを作ってこれたという自負もありますが、最初は打ちひしがれました。

──そんなことが、あったんですね。ただ、ということはソロになって初めてのフェスだからといってFUNKY MONKEY BABYSの曲を並べるのではなく、ソロの曲で勝負されたんですね?

ファンキー加藤:そうです。

──そういう姿勢は、本当にリスペクトします。

ファンキー加藤:スタッフからは言われましたけどね。夏フェスとかだと6~7曲くらい演奏することができるんですけど、5曲くらいFUNKY MONKEY BABYSを歌うのがいいんじゃないかと。だけど、そこは自分のプライドというか、必ずファンキー加藤の楽曲のほうが多くあるライブであり続けたいという気持ちがあったんです。だから、本当に大変でしたね。ソロになってからは苦労も多かった。だけど、なにかに勝ったときの充実感というのはデカかったです。



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