いい音爆音アワー vol.149「“全力ドラマー” ジェフ・ポーカロ」

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爆音アワー
いい音爆音アワー vol.149「“全力ドラマー” ジェフ・ポーカロ」
2024年3月13日(水)@ニュー風知空知
ドラマーではジョン・ボーナムやデイヴィッド・ガリバルディが好きです。スタイルが個性的かつ魅力的だから。もう昔からずっと好き。
そして、昔はそれほどでもなかったのに、だんだん好きになってきたのがジェフ・ポーカロ。彼は“Toto”のメンバーだけど、その前にセッション・ドラマーなので、どんなスタイルもこなすし、上手いけど、その分際立った特徴はない。つまり、ボーナムやガリバルディとは真逆なタイプなのに、なんだかその魅力にジワジワと惹きつけられてしまうのです。
様々な音楽に対し、求められるプレイを提供しなければならないセッション・ドラマーは、「個性」はむしろ抑えなきゃいけないのに、彼の場合、「ああ、これはジェフ・ポーカロだな」とだいたい分かることが多い。
特徴的なところもなく、個性を出そうともしてないのに、出てしまう「個性」。これはひょっとしたら奥深いのではないだろうか、と思っていたら、彼の「タイム」について書いている記事がありました。そのタイムは2つあって、ひとつは「タイム・キープ」。非常にテンポが正確だった。もう一つが「タイム・フィール」。これは一定の時間の中のどこで音を出すか、ということです。たとえば小節の1、3拍目にキック、2、4拍目にスネアを叩くという譜面があるとして、ジャストに演奏するのがいいとはかぎりません。それぞれほんの少し、分からないけど0.001秒とか、僅かに前や後ろにずらすだけで、ノリ(グルーヴ)が変わってきます。その気持ちいいポイントで演奏できるのが、「タイム・フィール」がいいということです。ジェフの「タイム・フィール」は天才的だったというのです。これが彼の隠しても隠しきれない「個性」なのかもしれませんね。
そして、彼はその短い生涯の、活動期間でいうと20年足らずの間に、505枚ものアルバムに参加したそうですが、毎日毎日、何曲ものセッションに明け暮れていると、時には適当に流してしまうようなこともありそうなのに、なんかどれを聴いても、常にハツラツとしているんですよね。彼のドラムによって、その曲がちょっと明るくなっているように思えたりします。どんな時にも全力で取り組んでいたんじゃないかな。ということで、私は彼を“全力ドラマー”と呼ぶのです。



ふくおかとも彦 [いい音研究所]
ジェフ・ポーカロ(Jeff Porcaro):
1954年4月1日、米国コネチカット州で、パーカッション奏者の父、ジョー・ポーカロ(Joe Porcaro 1930 - 2020)と母、アイリーン(Eileen)の長男として生まれる。弟にマイク(Mike)、スティーヴ(Steve)、妹にジョリーン(Joleen)。7歳から父に習ってドラムを始める。
1966年8月、ロサンゼルスに移住。Ulysses S. Grant High Schoolに通う。
1971年から、徐々にセッション・ドラマーとして活動を始め、75年頃にはもう引っ張りだこ。数々のビッグアーティストのセッションを経て、
1977年、“Toto”を結成。以降もTotoと並行して、膨大な数のスタジオワークをこなしていたが、
1992年8月5日、自宅の庭で殺虫剤を散布後に心臓発作を起こし38歳の若さで急死。担当検視官はコカイン使用による動脈硬化が進んだ虚血性心疾患が心臓発作を引き起こしたとしたが、家族は、ジェフが慢性的に心臓がよくなかったのと、タバコのせいだと言い、Totoのメンバーはドラッグの使用を否定していたと証言している。
  • ①Toto「I'll Supply the Love(愛する君に)」

    まずはTotoのデビューアルバムから。Totoのメンバーはいずれもロサンゼルスのスタジオ・ミュージシャンですが、単にスタジオ・ミュージシャンが集まったということではなく、ジェフが通ったロスのGrant High Schoolという高校で、同学年のデイヴィッド・ペイチ(David Paich)と“Rural Still Life”というバンドを組むことから始まりました。きっかけはジェフの父、ジョーとペイチの父親で有名なアレンジャーだったマーティ・ペイチ(Marty Paich)の親のつきあいから。
    そして同じ高校の後輩、スティーヴ・ルカサー(Steve Lukather)と同学年だったのは、ジェフの弟スティーヴ。彼らも“Rural Still Life”に入り、その後4人ともスタジオ・ミュージシャンになりました。やがて、4人は自分たちのバンドをつくろうと思い立ち、スタジオでしょっちゅういっしょになるベースのデイヴィッド・ハンゲイト(David Hungate)を誘い、“S.S. Fools”というバンドにいたボーカルのボビー・キンボール(Bobby Kimball)に声をかけて、1977年にTotoを結成したのです。
    ただ実は、1stアルバムができ上がった時点でも、バンド名やタイトルが決まっていませんでした。で、録音テープの箱に目印として、ジェフが「オズの魔法使い」に登場する犬の名前である「Toto」と書いてあったのを、ハンゲイトが、「“toto”はラテン語で“網羅的”を意味して、我々がどんな音楽でもこなすのとイメージが合う」と言ったので、それがバンド名かつ1stアルバムのタイトルに決まりました。日本ではジャケットの剣のイラストから「宇宙の騎士」という邦題をつけましたが。

  • ②Sonny & Cher「Bang Bang (My Baby Shot Me Down)」

    ジェフの演奏が最初にレコードになったのは、ジャック・ドーハティ(Jack Daugherty)というトランペッターにして、“Carpenters”のプロデューサーとして有名ながら、リチャード・カーペンターに言わせると実は何もしていないという、ちょっと怪しい人が1971年に出した『Jack Daugherty and the Class of Nineteen Hundred and Seventy One』というアルバムで、ジム・ケルトナー(Jim Keltner)とツインドラムで演奏しているものなのですが、プロのキャリアということでは、1972年に“Sonny & Cher”のライブ・バックバンドへの加入が最初です。
    シェールはこの後、歌手としてまた女優として大成功するのでよく知られていますが、ソニー・ボノ(Sonny Bono)は、60年代初めはフィル・スペクターのアシスタント的なことをやりながら作曲家としても活動。64年にシェールと結婚して、65年に“Sonny & Cher”としてデビュー、77年に解散するまで一時は大人気のデュオでした。バックバンドにはハンゲイトがいて、前任ドラマーがやめた時、ジェフを推薦しました。その後ペイチも加入します。
    彼らのライブアルバム『Live in Las Vegas vol.2』に収録された「Bang Bang (My Baby Shot Me Down)」という曲は、ソニーが書いて、シェールがソロで66年にシングルを出してヒットした曲なんですが、ここではソニーが歌ってます。この時まだ19歳だったジェフはドラムソロも聴かせてくれます。

  • ③Steely Dan「Doctor Wu」

    ジェフが“Steely Dan”のレコーディングに初めて参加したのは1974年の3rdアルバム『Pretzel Logic』で、この時は2曲、あとはジム・ゴードン(Jim Gordon)。それですっかり気に入られて、その次の『Katy Lied(うそつきケイティ)』では10曲中9曲を叩き、裏ジャケットに写真も載りました。このアルバムでジェフの実力は少なくとも音楽業界には知れ渡ったと思います。これ以降忙しくなり過ぎたのか、次にSteely Danのアルバムに登場するのは80年の『Gaucho』、そして82年のDonald Fagenのソロ『The Nightfly』では、またほとんどがジェフになります。

  • ④Boz Scaggs「Lowdown」

    ジェフの名声をさらに決定的にしたのが、ボズ・スキャッグスの『Silk Degrees』です。そしてこのアルバムはペイチが全曲編曲を担当して、ソングライティングでも6曲に絡んでいます。またベースはハンゲイトで、このアルバムでのセッションがToto結成の直接のきっかけとなったと言われています。ボズ自身もこの7作目のアルバムでいきなりブレイクしました。それまでは6作目の『Slow Dancer』が最高で81位。この『Silk Degrees』は全米2位です。おそらくこれで売れなかったらやばかっただろうし、ひょっとしたら予算が少なくて、まだギャラが安かったであろう若手の彼らに依頼したのかもしれませんね。
    「Lowdown」はアルバムからの第2弾シングル。当初はシングルカットする予定はなかったそうですが、ラジオで評判がよく、カットしたところ、全米3位のヒットとなり、アルバムの売上を押し上げました。
    この曲は特にドラムの評価が高い。この時点でもジェフはまだ22歳ですが、いちばん乗っている頃かもしれません。16分のハイハットを別途ダビングしています。

  • ⑤Andrew Gold「Thank You for Being a Friend(気の合う二人)」

    アンドリュー・ゴールドは、楽器は何でもできるし、歌は唄うし、作詞作曲編曲プロデュース、すべてを高いレベルでこなす、非常に多彩な人で、70年代はリンダ・ロンシュタットのいろんなヒット曲に関わっているし、80年代は10ccのグレアム・グールドマンと“Wax”というユニットで活躍したし、矢沢永吉のアルバムを7枚もプロデュースしています。
    彼の3rd アルバム『All This and Heaven Too(幸福を売る男)』はTotoデビューの半年前のリリースですが、ジェフが何曲か叩いています。第3弾シングルの「Thank You for Being a Friend(気の合う二人)」は、1時間ほどで書いたと本人が言っていますが、なんかすごく耳馴染みがいいというか、アメリカでもいろんなドラマとかCMとかに使われてきたようで、誰もが知っている曲みたいです。

  • ⑥高中正義「Brasilian Skies」

    ジェフは日本人のレコードにもたくさん参加しています。竹内まりや、杏里、尾崎亜美、小田和正、鈴木雅之、中村雅俊、矢沢永吉、渡辺美里、Char、SING LIKE TALKING、大村憲司などなど。だけどほとんどはやはり、Totoデビュー以降、つまり有名になってからなんですが、その中で唯一高中正義だけが、Toto前にジェフを起用して、4thアルバム『Brasilian Skies』をToto 1stの3ヶ月前にリリースしています。ただクレジットにはもう「courtesy of Columbia, TOTO」と書いてありますが。次に大村憲司も早いんですが、『Kenji Shock』というアルバムがToto 1stの1ヶ月後、78年11月25日発売。
    『Brasilian Skies』はブラジル、ロス、伊豆の3カ所でレコーディングされて、ミュージシャンも日米ブラジルの3カ国にまたがり、曲ごとのクレジットがないので、詳細が分からないのですが、タイトル曲「Brasilian Skies」は、小原由夫著「ジェフ・ポーカロのほぼ全仕事」という本で、これはきっとジェフだろう!と判定されています。

  • ⑦Larry Carlton「Room 335」

    『Larry Carlton(夜の彷徨)』はラリー・カールトンの3rdソロアルバムなんですが、5年くらい“The Crusaders”のメンバーのようになっていたのを辞めた後、本格的にソロ活動をしていく最初のアルバムなので、1stみたいなものです。カールトンの中ではこれがいちばん人気があって、中でも「Room 335」は代表曲です。
    この曲のリフは、Steely Danの『Aja』(1977)に入っている「Peg」っていう曲のものと似ています。実は「Peg」のギターソロを、カールトンは呼ばれて弾いたのですが、採用されず、ジェイ・グレイドンの演奏が使われました。その悔しさから、同じリフの曲をつくって、ギターを弾きまくったのではないか、という説があります。
    アルバムの発売は1978年の何月か情報がないのですが、Totoの1stの少し前だそうです。この曲を含め、アルバム全曲でジェフが演奏しています。

  • ⑧Tom Scott「Come Closer, Baby」

    ジェフと同様、ロスのセッション・ミュージシャンとして大忙しだったサックス奏者のトム・スコットですが、ソロアルバムもたくさん出しています。その9作目、1979年リリースの『Street Beat』では、ジェフが8曲中6曲を演奏しています。「Come Closer, Baby」でのジェフの演奏は、素晴らしいグルーヴだと思います。トム・スコットはリリコンというシンセ管楽器を吹いています。

  • ⑨Ned Doheny「Guess Who's Looking for Love Again」

    ネッド・ドヒニーはあのAsylum Recordsの第1号アーティストだそうですが、AORのSSWで、日本では人気があったのですが、米国ではあまり売れなくて、この曲が収録された3rdアルバム『Prone』は発売が見送られ、日本のみのリリースとなりました。オーティス・レディング(Otis Redding)らとの仕事で知られるスティーヴ・クロッパーがプロデュースしていて、内容は全然問題ないと思います。どこがダメで米国では受けないのか、よく分かりません。

  • ⑩Aretha Franklin「What a Fool Believes」

    アレサ・フランクリンが12年間在籍したAtlanticから離れてAristaに移籍した第1弾、通算26枚目のアルバム『Aretha』では、その前年に“the Doobie Brothers”が大ヒットさせた「What a Fool Believes」をカバーしていて、ジェフが叩いています。
    実はこの次のアルバム『Love All the Hurt Away(想い出の旅路)』は全曲ジェフでそちらも演奏・アレンジともによいのですが、1曲どれか選ぶなら、やはりこの作品かと。ドゥービーほど売れてはいませんが、アリフ・マーディンのアレンジとジェフの演奏がとても聴きごたえあると思います。

  • ⑪Airplay「Nothin' You Can Do About It(貴方には何も出来ない)」

    ギタリストでプロデューサーのジェイ・グレイドンとキーボーディストでプロデューサーのデイヴィッド・フォスターが組んだユニット“Airplay”が残した唯一のアルバム『Airplay(ロマンチック)』。ジェフやハンゲイトが参加したAORアルバムですが、米国ではまったく売れず、日本でも、Totoは既にすごい人気だったけど、これは当初あまり売れなかったのですが、今やAOR好きの日本人の間ではバイブルのように扱われています。米国では依然無視されていますが。
    ただこれ、アルバムのクレジットにはミュージシャンの詳細が載っていないし、ジェフの他にマイク・ベアード(Mike Baird)という、かなりジェフのプレイスタイルに似たドラマーも参加しており、しかもグレイドンとフォスターも記憶が曖昧らしく、どちらがどの曲で叩いたのか、よく分からなかったらしいのですが、前出の「ジェフ・ポーカロの(ほぼ)全仕事」の判定では、「Nothin' You Can Do About It(貴方には何も出来ない)」はジェフとのこと。
    この前年1979年にグレイドンが“The Manhattan Transfer”のアルバム『Extensions』をプロデュースしていますが、それにこの曲を提供していて、こちらはセルフカバーということになります。

  • ⑫竹内まりや「Sweetest Music」

    そのAirplayのセッションがそのままで、ボーカルが竹内まりやに代わっただけというような作品です。Airplayと同じ1980年にリリースされた4枚目のアルバム『Miss M』は、A面がロサンゼルスで録音されました。その冒頭の曲「Sweetest Music」はアレンジがJay Graydonと David Foster、ジェフがドラム、ベースはDavid Hungate、ギターはJay GraydonとSteve Lukather、キーボードがDavid Fosterです。

  • ⑬Randy Goodrum「One Step Ahead of the Bad News」

    ランディ・グッドラムはソングライターにしてピアニスト。カントリー系が中心ですが、スティーヴ・ペリー(Steve Perry)とかTotoとかオリヴィア・ニュートン=ジョン(Olivia Newton-John)とも仕事をしていて守備範囲は広い。日本人も多くて、オフコースとか松田聖子とか槇原敬之にも曲を提供しています。ソロアルバムも数枚出していますが、その第1作、『Fool’s Paradise』収録の「One Step Ahead of the Bad News」は、ジェフとグッドラム自身を含むメンバーで、一発録りで録音されたそうです。

  • ⑭The Manhattan Transfer「Confide in Me」

    ここで急に90年代にまで跳ぶのですが、80年代の中盤から後半は、リンドラムなどのデジタル音源や打ち込みが流行って、ジェフの仕事自体もそれまでに比べると減っているし、いい作品も少ないのです。たとえばマイケル・ジャクソンの「Beat It」もジェフが叩いているのですが、なんか変な音がスネアのタイミングでかぶさってたり、グルーヴも打ち込みっぽいので全然ジェフらしくありません。
    さて、マンハッタン・トランスファーには、4th『Pastiche』(1978)、5th『Extensions』(79)、7th『Bodies and Souls』(83)に、それぞれ何曲か参加してきたジェフですが、亡くなる約1年前にリリースされた13th アルバム『The Offbeat of Avenues』でも1曲だけ叩いています。「Confide in Me」というDonald Fagenの曲です。これはカバーではなくて書き下ろしで、後にFagenがシングル「Tomorrow's Girls」(『Kamakiriad』収録)のB面でセルフカバーしています。

  • ⑮Toto「Rosanna」

    最後は再びTotoの曲。4thアルバム『Toto Ⅳ(聖なる剣)』とシングル「Rosanna」は、Totoにおいて最も評価された作品です。1983年のグラミー賞で、アルバムは「Album of the Year」と「Producer of the Year」、「Rosanna」は「Record of the Year」を受賞しました。
    そしてこの曲のドラムは、「half-time shuffle」と呼ばれる奏法で、バーナード・パーディ(Bernard Purdie)がSteely Danの「Home at Last」(『Aja』収録)で叩いているもの(Purdie shuffle)と、ジョン・ボーナム(John Bonham)がレッド・ツェッペリンの「Fool in the Rain」(『In Through the Out Door』収録)で叩いているものを参考に、ジェフ流に改良し、その後「Rosanna shuffle」と呼ばれて、多くのドラマーに影響を与えています。ジェフにとっても最高の演奏のひとつです。

次回の爆音アワーは・・・

                        
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