【インタビュー】TAKURO(GLAY)、デビュー30周年記念シングルに“らしさ”の本質「やっぱりGLAYは面白いなと思ってくれればいい」

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今年デビュー30周年を迎え、2025年までの1年間、周年テーマとして“GLAY EXPO”をテーマに掲げて活動していくことがすでに発表されているGLAY。『ONE PIECE』作者、尾田栄一郎氏描き下ろしのキービジュアルが公開され、2月には札幌ドームでQUEEN+ADAM LAMBERTと対バンするなど、華々しくアニバーサリーイヤーの幕を開け、いよいよ待望の30周年記念シングル「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)- / シェア」もリリースされる。

◆撮り下ろし写真

今作はグローバルグループ、ENHYPENのJAYとのコラボに挑んだエネルギッシュな「whodunit」と、GLAY王道の大らかで力強いメロディを持つ「シェア」という、カラーの異なるナンバーのダブルタイトルだが、いずれにもGLAYならではのスピリッツがしっかりと宿った、30周年の節目に相応しい力作である。

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◼︎GLAYはなんて幸せ者なんだろう

──まずは「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」の話から伺います。こうしてGLAYがK-POPとコラボするとは思ってもみなかったですよ。

TAKURO:世の中的にはそうかもしれないですね。もともと、2006年のシングル「ANSWER」の氷室京介さんや2005年のシングル「SCREAM」のEXILEのように、シンガーを探してたんですよ。TERUと対等に渡り合えて、バンドにも刺激的なシンガーを。GLAYは時々そういうコラボをやってきたけれど、30周年のご褒美みたいなもので、尊敬できるシンガーがいないかなということで改めて、ね。

──そんな中でJAYさんに白羽の矢が立ったのは?

TAKURO:もちろん日本にもたくさんいいシンガーはいるんだけど、世の中的な面白さとか、メンバーの刺激的な体験をより助長できるとか、そんな存在をずっと探してて。で、知り合いから「ENHYPENのJAYって子が音楽好き、ロック好き、ギター好きで、日本語も堪能なんだけど」って話を聞いて、JAYの歌を聴いてみたら“あ、何かTERUと掛け合わせたら面白い反応になるかもしれない”って思って。ENHYPENは当時まだデビュー1、2年目くらいだったけど、もう世界的にすごい有名なアーティストだし、世界を先に知ってる人と一緒にやるのもGLAYにとって刺激的なんじゃないかと。まぁ、GLAYの中での俺の仕事っていうのは、次の遊び場と遊び方を提案することで、そんなことをずっと30年もやってきたんで、久しぶりにそういう“今までと違ったバンドの楽しみ方を提供できればいいな”っていうのが「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」の一番の目標でした。

──「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」は、新しいコラボレーションを模索した結果なんですね。確かにヒムロックやEXILEとのコラボから随分時間も経ちましたからね。

TAKURO:うん。GLAYの活動が止まらずにここまでやってこれた一つの要因としては、メンバーが根っからのバンドマンで音楽好きな4人だからっていうことがあって。GLAYの名前とか世の中的な評価とか何だかんだとかはあんまり気にしないで、好きなアーティストとは、タイミングとかキャリアとか全然関係なく一緒に音楽をやりたいと思う連中だから。TERU、HISASHIのYouTubeを見ていただければ、その辺の垣根が一切ないのはご存知でしょう? 俺としては、GLAYの一つのキャリアにまた新しい風が吹いて、皆が刺激的な思いをしてくれて、「やっぱりGLAYは面白いな」と思ってくれればいいし、それが何より一番大事な自分の仕事だと思ってるから。


──常に新たな刺激を求めているのがGLAYだと。30周年のタイミングでJAY(ENHYPEN)というK-POPアーティストとのコラボをするというのは、“らしさ”そのものなんでしょうね。

TAKURO:でもね、その反面、やっぱり手癖みたいなものは1ダース……いや、もっとあるか。その自分たちの手癖で生きていく方法もあるけど、うちのメンバーはちょっと違うかもなと。特にHISASHIなんかは新しいもの好きだし。

──HISASHIさんは、ここ数年あらゆる方面で奔放に活動されてますね。

TAKURO:変な言い方をするならば、彼の今ある欲望に見合うだけのバンドじゃないといけないっていう業は、やっぱり常に背負ってるもん。別にね、TERUもHISASHIもJIROも一人でやろうと思ったらいくらでもどうとでもなるだろうし、自分らしい50歳以降の生き方をしたっていいと思う。TERUなんか絵を描いて、それを主軸として成り上がるのもアリだと思うし。でも、自分としてはもうちょっとGLAYをやりたいというのがあるので、「やっぱり面白いな、GLAY」と思ってもらえるような、そういった企画的なものを時々出していかないとね。

──キャパシティをデカくしていかないという?

TAKURO:キャパをデカくするっていうと違うんだ。新しい遊び方とか、面白い遊びを提供して、皆でルールを作って、独自の解釈でその日一日を楽しく過ごすみたいな。そういう感覚に近いんですよね。

──元々キャパシティはあるので、ちょっと角度を変えてみる……というような感じですかね。

TAKURO:そう。キャパに関しては考えたことない。“自分たちがどれくらい大きいか、小さいか”なんて考えること自体あまり意味のあるものとは思えないので。4人及び周りのスタッフが「ああ、楽しいプロジェクトだった」っていうのであれば、20万人ライブであろうが、レコーディングであろうが、ただの撮影であろうが問わないし、振り返った時に「こんなことあったよね」という思い出をいくつ増やせるかみたいなところがずっとGLAYにはあるので、そこに尽力したって感じですね。

──TAKUROさんがGLAYにとって新鮮と思えるものとしてENHYPENのJAYをコラボのお相手に迎えたということですけれど、K-POPというとダンスミュージックという漠然としたイメージがあります。しかし、私もこの機会にENHYPENの日本盤をザっと聴いたんですが、ギターが目立つデジロック的なサウンドもありましたし、確かにこれならロックバンドとの融合はアリだろうなという印象を受けましたね。

TAKURO:もちろん実際にやってみるまでは分からなかったけれど、そういう意味ではGLAYはどうとでもなる。別にアコギ1本でやると言われたら「はい」って即答だし、「バッキバキのダンサブルなEDMにしてくれ」ってなったら、それはそれでOKだし。つくづく、今回「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」と「シェア」を並べてみて、“何だ、このバンド!?”と思うけど(笑)、それで本当に心からいいと思う。一番大切なのは、今回知り合ったJAYが何か思いを持ってコラボレーションにOKしてくれたことに対して、「GLAYとやって良かったな」って思ってもらうこと。これがある意味、俺の中でのひとつの裏の大きなテーマだった。JAYが「楽しかった、やってよかった」っていう結果を出せるように、必要とあればGLAYに引き寄せるし、必要とあればJAYに寄れるし。その辺の器に関しては他のメンバーのことを信頼しているので、プロジェクトがスタートした時点で楽しくなるだろうなと思ってましたね。



──ありがちなフィーチャリングではなく、がっぷり四つに組んだコラボレーションという感じですね。

TAKURO:言い方はどうでもいいけど、とにかくいつもの現場に若さ溢れる新しい才能が入ってきたってことだけで、そりゃもう楽しい。 “ああ、こんな面白いことを職業にできて、その音楽を通じて世界中のいろんな人たちと繋がることができて、GLAYはなんて幸せ者なんだろう”と毎回思いますよね。その喜びの前に、ジャンルとかキャリアとか本当に関係ない。

──「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」と「シェア」の中身を聴くと、両曲共、カテゴライズすることは重要ではないこともよく分かりますよ。

TAKURO:でも、びっくりしてほしいとは思ってた。「えっ、TAKURO、そこいく!?」という、そういった“してやったり感”は欲しいなと思ってたんで、例えば仲の良いアーティストとのコラボで「なるほどねー」ってなるようなことではなく、驚きを持って欲しいという気持ちはありましたね。

──「GLAYからコラボのオファーがある」という話を最初に聞いた時のJAYさんの反応とかって聞いてますか?

TAKURO:聞いた聞いた。「僕ですか?」って言ってたみたい(笑)。ライブ5分前に偉い人に呼ばれて、「GLAYからこんな話来てるけど、やる?」って訊かれたと。で、「僕ですか?」って応えたあとに「はい!」──JAY風に言うなら「네(ネ)! Yes!」って言って、そこからステージに出て行ったっていう話を聞いたよ。JAYは音楽好き、ロック好きってこともあって、GLAYのことは知っててくれたみたいなので、そこからはトントンと進みました。デモテープを送ったら、そこに仮歌を入れてくれて。彼はアメリカ生まれで韓国でも過ごしたことがあるし 。トライリンガルで、日本語も全然大丈夫だから、「自分の好きな言語で歌っていいよ。それで歌詞を書いて」ってお願いしたら、まさか日本語を選ぶとは思わなかったけど、ICレコーダーで録った仮デモが返ってきて、その歌声を聴いた時には「ああ、これは上手くいくな」と思った。

──実際にお会いしたのは歌入れの時が最初で?

TAKURO:うん、歌入れの時。彼が所属しているHYBEという会社のレコーディングスタジオでね。

──しかし、「歌ってください」だけでなく、「歌詞も書いていいですよ」というのはGLAYらしいことは分かるんですけど、JAYさんはちょっと驚いたんじゃないですか?

TAKURO:別にギターが好きだって言うならギターを弾いてくれても構わなかったよ。イメージとしては、スタジオというある種のプレイグラウンドで、鬼ごっこしたっていいし、かくれんぼしたっていいし、何してもいいので、例えば「歌詞をもっと書きたい」と言ったら「どうぞ」だし、「もっと歌うパートを減らしたい、増やしたい」も全然OK。あと、これはどのプロジェクトにも言えることだけど、GLAYがある限り、ずっと関わっていたいとは思う。氷室さんがもし復活するんだったら何だかんだ関わりたいと思うし、EXILEも然り。PENTAGONでも(※2020年リリースのベストアルバム『REVIEW II -BEST OF GLAY-』収録「I'm loving you」)、Azumiちゃんでも(※『REVIEW II -BEST OF GLAY-』収録「氷の翼 feat.Azumi(Wyolica)」)、MISIAでも(※2019年の「G4・Ⅴ-Democracy 2019-」収録「YOUR SONG feat. MISIA」)、何かGLAYの力が必要だとか、GLAYと一緒に面白いことやりたいという時は「ぜひぜひ!」と思ってるんだよね。だから、今回のプロジェクト自体は成功しなくても全然構わない。

──極端な話をすれば……ですよね。

TAKURO:うん。まだ1打席目じゃんって。野球だったら、途中交代さえなければ、大体1試合で4、5打席回ってくるわけで。万事が万事、そんな感じですよ、俺の音楽作りって。

──実験というと少し違うかもしれないですけど、それは新鮮さを求めているからなんですかね? 新たな人と音楽を作ることによって生まれる予想だにしない感じというか。

TAKURO:うん。だってGLAYって4人ではあるけど、プロデューサーが佐久間(正英)さんの時と亀田(誠治)さんの時とでは全然違うだろうし、エンジニアが変わってもヘアメイクやスタイリストが変わったとしても、やっぱりそれは以前のGLAYとは違う。こういう変化をずっと楽しみにやってきたバンドなので。変わりたくないところなんかあんのかな? そもそも生きるって、望むと望まないに関わらず変化の連続だもんね。今日出会った人の一言で幸せになるかもしれないし、憂鬱になるかもしれない──その繰り返しだから。バンド自体がそれを楽しんでる感じがする。


──確かに「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN) -」には“楽しんでる感じ”はありますよね。HISASHIさんのギターは相変わらずバッキバキに鳴ってますし、TERUさんはJAYさんが加わったからか、いつも以上にテンションが上がっている印象があります。JIROさんのベースはアルバム『FREEDOM ONLY』からシングル「THE GHOST」を経て、よりグルービーになっていて──。

TAKURO:ね、それはすごい思う。

──冷静に考えると、よくまとまったなっていう感じの楽曲ではありますよね?

TAKURO:何十年もやってきて、いろんな散らばったものを何となく形にすることには長けたような気がする。GLAYの音楽作りっていうのは、異文化とか他者っていうものを認め続けることでここまで来たような気がするんだよね。音楽の音自体にはメッセージも何もない。けど、曲が完成して世に出すとき、 “他者への寛容をここまで体現してるんだ”というメッセージを受け取ってほしいっていう気持ちはめちゃくちゃありますけどね。

──言葉ではなく、JAYさんを含めて皆で楽曲を作り上げたこと自体が、GLAYのメッセージを体現しているんですね。K-POPという言葉に引っ張られるとダンスミュージックの匂いも感じるんですけど、しっかりロックバンドのサウンドも注入されていますし、「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN) -」はどこにもないタイプの楽曲にはなったと思います。

TAKURO:実は、《The Harder They Come/The Harder They Fall》のところ以外は2007年にできていたんですよ。葉山にGLAYの別荘があってそこにスタジオを作ったんだけど、葉山という土地柄、リハをやらないでバーベキューをやってしまうということでわずか2年くらいでスタジオは閉鎖になったんだけど(苦笑)。そのスタジオで制作した数少ない曲がこれだった。「ASHES -1969-」や「SORRY LOVE」と同時期に「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN) -」のAメロ、Bメロはアイディアとしてあって、皆でデモは作ったんだけど。そのときのGLAYでは、まだ遊びきれない、楽しみが見つけられない、ルールがまだ定まってない……みたいな気がしたんですよ。でも、気に入ってはいたからずっと取っておいて、4〜5年前に“30周年記念シングルでは何か刺激的なセッションをやりたいな”と思って、去年夏ぐらいに“今だな!”ってこれを引っ張り出してきた。だから、3年がかりの曲とも言える。でも、テンパってしまって、全部HISASHIに丸投げしたんだよね(笑)。今のアレンジはもう全部HISASHIがやってくれたもの。俺のショボショボなデモテープを、JIROとHISASHIがいい感じにしてくれた。

──そうでしたか。その連携も素晴らしいですね。

TAKURO:ロスから2人に「メロディーはできたけど、もうお手上げです……カッコ良くして。俺はサビ作りと作詞に専念します」って(笑)。

──HISASHIさんとJIROさんはサウンド作りに関して職人っぽくなってきたんですかね。

TAKURO:もう本当に、西川口のネジ職人と同じですよ。俺だったら絶対にそんなところにこだわらないってところまで、ナノ単位で調整してくれるから。HISASHIなんて、このためにアメリカから貴重なエフェクターを輸入したらしいし。

──曲と歌詞を作って、それを他のメンバーに投げるとスッと見事なアレンジが出来上がる……というバンドがいるようですが、それと同じですね。

TAKURO:そうそう。一番好きなアレンジが上がってくるのよ。

──ロックバンドのサウンドでありつつ、アウトロではJAYさんが決めポーズを取る姿が目に浮かぶくらいしっかりとダンスミュージックの要素も取り込んでいますから、ワールドワイドな印象もあります。

TAKURO:世界的にどうこうなりたいとか、地球の裏側でバズればいいなとかって思いはもうないけどね。そういう野心みたいなものじゃなくて、“GLAYの歴史の中でまたすっごいいい出会いがあったなぁ”ぐらいしか思ってないんだけど(笑)。

──私個人としては、ここ数年のGLAYはリズム方向へ向かっているなと感じているところではあるんですよ。

TAKURO:うんうん。『MUSIC LIFE』あたりからのJIROのベースって、一番ノリに乗ってるときのポール・マッカートニーみたいな“歌うベース”。すごいと思ってるから、ついついそういうベースが入りそうな曲を作っちゃうもんね。

──ああ、なるほど。そういうことですか。

TAKURO:うん。すごい楽しいし、すっごい面白いなぁって思ってる。

──そのJIROさんのプレイは昨年のシングル曲「THE GHOST」で見事に花開いたと言えるでしょうね。あと、2020年の「Into the Wild」(『REVIEW II -BEST OF GLAY-』収録)あたりもそうなんですが、ビート感、リズムの面白さ、リフレインの面白さが強調されているように思います。「whodunit-GLAY × JAY(ENHYPEN)-」にも確実にそれがありますし、キャッチーなメロディを繰り返すだけで十分に音楽は楽しいというか、根源的な音楽の気持ち良さがあるように思うんですよね。

TAKURO:これは時代論にも通じるところで、30周年ということで、今回ベルーナドームで<GLAY EXPO '99 SURVIVAL>の曲をやるけれど、90年代の曲って長いですよね。イントロがちゃんとあって、Aメロがあって、Bメロがあって、サビがあって、もう一回サビをやったあとに、Dメロがあって、ソロがあって、落ちサビとか。でも2020年代になると、アルバムですら40何分で、もちろんイントロも短いし、リフレインも少ない。普通に暮らしていたら、そういう音楽の影響はやっぱり受けますよ。俺なんかは自分から最新の音楽を獲りに行くことはないけど、子どもたちと一緒に車に乗っていると、まぁとにかくワールドヒッツが流れてるからね。

──なるほど。

TAKURO:その中で、5年くらい前、当時11歳の娘が松原みきの「真夜中のドア〜stay with me」を歌い出したり、ザ・ウィークエンドの「Save Your Tears」がクラス中で流行ってるという話をしてたりして。僕たちの時代の音がリバイバルして、いままたトレンドになってたんですよ。やっぱり面白いよね。感心するし、微笑ましいし、もう“知っちゃってる” 俺には感じられない新鮮さを感じてて、羨ましい気もするし。

──お嬢さんには1980年代サウンドが新鮮に聴こえて、それを素直に取り込もうとしているという。

TAKURO:そう。14歳の感性が音楽的な欲求におけるピークっていう話もあるけど、分かる気がする。そのころって、音符で音楽を聴いてたわけじゃないんだよね。生活全般だもんね。好きな人が振り向いてくれないときに流れる音楽の切なさは、もう何にも変えられないというか……。そういう感性で音楽を聴いてる人たちを目の当たりにすると、音楽の感じ方も自ずと変わってくるし、寄り添うこと自体がある意味、優しさだと思うようになった。


──古今東西、ロックアーティストはダンスミュージック方向へ行く傾向もあるじゃないですか。ローリング・ストーンズは『Some Girls』でディスコティックなサウンドを導入しましたし、デヴィッド・ボウイの『Let's Dance』は文字通りダンサブルな楽曲を中心に構成したアルバムです。そういったかつての先人たちと、最近のGLAYのスタンスは近いのかなとも思ったりもしました。

TAKURO:それはやっぱり、人間って、中国の古事で言われるように「四十にして惑わず、五十にして天命を知る」からじゃない? 多分もっと売れたいと思ったんだよ、ミック・ジャガーもデヴィッド・ボウイも。でも、トレンドに寄って売れてはみたものの、“それはそれ、これはこれ”って思ったんじゃないかな。だからその後、ローリング・ストーンズは『Blue & Lonesome』というブルースアルバムを出したりしたわけだよ。俺らもそう。「いま巷ではループもので抑揚のないものがいいらしいぞ! 俺らがやったらどうなるんだろう!?」っていって実際にやってみたら「面白いけど、何か物足りないね」ってなるんだと思う(笑)。この世界でそこそこ生きてきちゃったから、テクニックで流行りものにトライすることはできちゃうけど、結局、レコーディングのあとでHISASHIとの飲み会の時に見るYouTubeはレベッカとかBOØWY、RED WARRIORSだったりするわけ。で、マジで興奮して、「この感じが今回の新曲にあったか?」みたいな話をよくする。

──結局、そこなんですね。

TAKURO:次のアルバムなんて、びっくりする人もいると思うよ。1980年代、1990年代のJ-POPの雛形みたいな曲もあるから。A、Bでサビ行って、A、B、サビでB行って、ソロがあって、Cに行って転調して……みたいな。「やっぱ、これだよね!」ってなるかも(笑)。で、俺たちが一番証明していかなきゃいけないことは、いくつになってもバンドキッズでいられるってこと。もうライブ後のHISASHIとのYouTube視聴の場にぜひ居てほしいもん(笑)。絶対に俺たちがまだまだバンドキッズだってことを分かってもらえると思う。

──そう言えば、前回お会いした時、TAKUROさんはKENZI & THE TRIPSを聴いていましたけど──。

TAKURO:あ、この間、LOFTのライブにHISASHIと一緒に行ってきたよ。

──そうやって先輩バンドの音源を聴いたりライブに行ったことを喜んで語っていたりする姿は、まったく子どものようでもありますね(笑)。

TAKURO:まさに、LOFTのライブ中の俺たちは子どものようだったよ。「BRAVO JOHNNYは今夜もHAPPY」だ! ウォー!”って(笑)。

──いま「BRAVO JOHNNYは今夜もHAPPY」で喜んでいる人なんて他にいませんよ(笑)。

TAKURO:歌が始まってしまえばもう、さっき言ったような一番多感な時期に受け取ったあれやこれやが吹き出してくるわけだから楽しかったねぇ(笑)。

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