【インタビュー】井上ヨシマサ、作家デビュー40周年記念アルバム『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』発売「本当にやりたかったのは “自分の作りたい音”」

作家デビュー40周年アニバーサリー企画第2弾のアルバム『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』。
本作には、AKB48を含む48グループに提供した曲の数々がリアレンジして収録。彼自身が歌っている曲のほか、フィーチャリングゲストとして柏木由紀・松井珠理奈・村山彩希・岡田奈々が参加している。作曲はもちろん編曲でも卓越した才能を発揮している井上ヨシマサの多彩なサウンドアプローチにも注目させられる作品だ。今回BARKSではこの記念すべき作品について、井上ヨシマサ本人にたっぷり語ってもらった。
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◾︎「曲を聴いてください。こんな形もありますよ」
ということでこのアルバムを捉えていただければ
──AKB48を含めたたくさんの方々の曲を手掛けてきましたね。
井上ヨシマサ:そうですね。今回のアルバムのプロデューサーでもある田村さん(田村充義)は、ビクターで僕のデビューアルバムを手掛けてくださった方なんですよ。僕以外だと広瀬香美さん、キョンキョン(小泉今日子)、ポルノグラフィティとかも手掛けてきて、僕だけ売れていないんですけど(笑)。
──いやいや(笑)。作家としての仕事は、どういう経緯で始めることになったんですか?
井上:最初のアルバムを出して、「もっと頑張ろう」となっていた頃に田村さんが小泉今日子さんの曲を探していて、そこで僕が作ったのがキョンキョンのアルバムに収録された「Someday」だったんです。僕の最初の作曲の仕事でした。それがきっかけとなって、急に楽曲提供のお仕事が増えていきました。田村さんも「作家としての需要があるんだから、続けてやってみたら?」とおっしゃっていました。そうこうする内に光GENJIの曲を作ったりとか忙しくなっていって、自分のオリジナル楽曲制作から逃げているようで。何となく田村さんとお会いするのが少しばかり後ろめたい感じになっていったんですよね。
──80年代半ばから作家として大活躍でしたから、アーティスト活動との両立が難しかったのは無理もないと思います。
井上:作家としての仕事が忙しくて、ソロアルバムまで手が回らなくて。でも、ある時、作曲家として行き詰まって、「他人のオーダー任せで『こんな仕上がりでOKですよね?』みたいなことをするのではなくて、自分の意志で曲を作らないといけない」と思うようになったんです。それで所属していた事務所をやめて個人会社を作り、仕事を自分で選べるようになりました。そこからは作家として曲を書くのも自分のソロのために曲を書くのも分けて考える感じではなくなって、田村さんとお会いするのもちょっと後ろめたくはなくなりました(笑)。
──なるほど(笑)。
井上:作家としての仕事が少なくなっても仕方ないと思いながら、やる仕事の1つ1つにより真剣に取り組むようになりました。そんな頃に出会ったのが秋元康さんです。とんねるずさんのお仕事でしたね。でも、一生懸命やっている内にすったもんだがあって、僕は秋元さんに大口を叩いたんです。「売れる売れないでやってる訳じゃないんです」と電話口でまくしたてて(笑)。秋元さんがそれを覚えていたのが、後に僕がAKB48の曲を作るのに繋がっていきました。秋元さんはAKB48に勝負をかけてたけど当時はまだ売れていなくて、「一生懸命やってくれそうなやつは誰かな?」みたいなことでした。田村さんはとんねるずにも携わっていて、それも縁となって始まったんです。
──積み重ねてきたものが、何年越しかで繋がったということですね。
井上:はい。それが今になって思えば作家としての20周年のタイミングでした。今年はAKB48 が20周年でしょ? そういうのもあって、田村さんから「40周年アルバムを出そうよ」という話が出たんです。五反田の喫茶店でしたね。ただでさえ秋元さんに「早くAKB48の曲を書け!」と言われている状況でしたから、どうしようか迷いましたけど。すると後日、40周年アルバムの企画書が送られてきて、第3弾までが決まっていました。
──昨年の7月にリリースされた『再会 ~Hello Again~』が第1弾、今作『井上ヨシマサ48G曲セルフカヴァー』が第2弾。次の第3弾まで予定されているんですね?
井上:そうなんです。「第3弾は勘弁してくれ」と言ってるんですけど(笑)。第1弾の時点で力を使い果たしてしまったので、今回の第2弾も大変でした。前作は過去40年を振り返って、曲を提供したアーティストのみなさんと一緒に歌う企画。そして今回は完全に48グループの曲のセルフカバーです。ただここで第三弾をやめてしまったら また田村さんに会うのが後ろめたくなると知っているので やります! いつかは(笑)!
──シングル曲から劇場公演曲まで、幅広く選んでいますね。
井上:はい。実はコロナ禍の時期に世の中全体が止まってしまって、暇になってしまったんです。そういう中で僕は家のスタジオでずっと作業をしていたから、自分のためにも、みんなのためにも、今まで作った曲のカバーを1日1回投稿するようになったんですよ。ある程度リアレンジしてオケを作ったら、歌いながら携帯で動画を撮ったりしていました。まあ、1コーラス、サビだけとかだったんですけど。ゆきりん(柏木由紀)にも連絡をして、「僕の歌で毎日やってるけど、メンバーも参加してくれたらみんなが喜ぶから」みたいなことで、家で携帯で録ったデータを送ってもらったりしました。それを整えて投稿したんですよね。
──何曲くらい投稿しました?
井上:多分、20、30曲やりました。田村さんはそれを覚えていて、「あれ、どうなったの?」って聞いてこられました。「SNS配信用に弾きながら歌ったりしただけだから、ギターとかのデータは残ってないかも」と言ったんですけど、実際に家に戻って確認してみたら「この曲、ドラムのデータしかないじゃん……」というようなのばかりで(笑)。前にやった時のデータが残っていたら第2弾はもっと簡単だと思っていたんですが、全然違ったんですよね。だから自分で歌いたい曲を選んだりするところからまた始まっちゃって、「最初から録り直した方がいいかな?」ということにもなって、結果重労働。
──動画投稿の際は、どなたが歌のデータを送ってくださったんですか?
井上:ゆきりん、河西智美ちゃん、岡田奈々ちゃんとか、あと何人かいましたね。岡田奈々ちゃんは、アカペラでもすごく歌えちゃうんですよ。オケを流しながら歌ったのかと思って本人に確認したら、アカペラで歌ったのを録っただけだと言っていてびっくりしました。まあ、あの頃にそういうことをやっていたのが、今回のアルバムのきっかけになったということですね。
──その頃に送ってもらった歌の素材は、今作に活かされているんですか?
井上:そういうのもありつつ、新しく録ったりもしました。「2番だけ新たに歌ってくれればいいから」ってゆきりんに言ったんですけど、「せっかくだから「カラコンウインク」を歌いたいです」と。「カラコンウインク」は去年リリースした歌ですから、新たに全部歌ってもらいました。
──各曲の新しいアレンジが、とても楽しいアルバムです。井上さんは普段から作曲はもちろん、編曲でも腕を振るっていらっしゃいますからね。AKB48の曲でもイントロの時点でリスナーの心を掴んでいるじゃないですか。
井上:あんまり言われたことないんですけど、そうなんですよ(笑)。
──秋元さんの要望でイントロとかを作り直すことも度々あるとお聞きしています。
井上:めっちゃ直しますよ。ハイハットやテンポ感とかもそうですし。今回のアルバムで本当にやりたかったのは、「自分の作りたい音」ということでした。アレンジだって「音」だし、歌詞だってそうなんですよね。そういうことを追求しているから、ミックスダウンもずっと自分でやってます。40周年の第1弾はマスタリングも自分でやっているんです。
──「真夏のSounds good!」も、新しいアレンジによって雰囲気が変わりましたね。シンセサイザーの音色も含めて、80年代的なテイストを感じます。
井上:テクノロジーの進歩によって生まれるその時代の音ってあるじゃないですか。僕も新しいシンセが出る度に買ったりしていたんですけど、今は新しいものとか古いものの基準が曖昧になっている時代だと思ってます。洋服もそんな感じですよね。新しいけど「それどうやって着るの?」っていうのはあるけど(笑)。
──(笑)。飛び道具的な新しさは、創作に使える新しさとは限らないですからね。
井上:そうなんです。一時期新しさはエッジが立っている音、出るとこまで出る音圧に向かっていったりもするけど、そういうものよりも昔のソフトな方向に時代が戻ったりもしていますし。今はソフトシンセのDX7が最新のソフトシンセと同じ値段で出ていたりするんですよね。
──ヤマハDX7は、洋楽も含めて80年代の音楽を語る上で欠かせない存在です。
井上:僕が初めて買ったシンセもDX7でした。ソフトシンセを買ってみたら「あの頃の音だ!」ってなりましたよ。そういうのもあって、「自分が好きな音を最新としてもいいよな」と思うようになったんです。だからこのアルバムも「敢えて80年代、70年代にこだわりました」ということでもなくて、曲毎に自分が好きな音で作っています。
──ラテン、ボサノヴァ風味の「カラコンウインク」も、好きな音をピュアに追求していった結果、こうなったということですね。
井上:そうなんです。「曲が活きるように作った」というか、「アーティストありき」じゃないものということですね。「曲を聴いてください。こんな形もありますよ」ということでこのアルバムを捉えていただければ。どれも曲に必要なものを集めてやっていますので。でも、過酷な作業なんですよ。
──作家としての楽曲制作とは別の過酷さということですか?
井上:そうです。誰もダメ出しをしないというのは、大変なんですよ。自分と向き合わないといけないですし、逃げたい気持ちに抗いながらやらなきゃいけないので。よく「AKB48の曲を書かなきゃいけないし」と、言い訳していました(笑)。前作のアルバムをやっている時には、AKB48のシングルを2枚やっていたんです。
──原曲を知っているファンが驚くアレンジが、たくさんあると思います。例えば「泣きながら微笑んで」は、かなり振り切っていますよね。大島優子さんが歌った原曲はピアノを基調としたしっとりとしたテイストですけど、疾走感に溢れたロックになっていて驚きました。
井上:「この曲を新たに料理しました」みたいなことでもあるんですけど、それだけではないんです。どの曲も自分で生んだわけじゃないですか? 作った後に歌詞がついて、そこからまた直していったりするわけですけど、僕は最初に作った時の原石みたいなものを思い出すことができるんです。だから改めてアレンジするにあたって、「ここまで行くことができる」というのがわかるんですよね。つまり、最初に作った時のものが僕の中でオリジナル。「AKB48が歌うのならば、こっちの方がまろやかに伝わるんじゃないかな?」という感じでアレンジしたものは、僕にとってはどちらかといえば第2弾なんです。
──「泣きながら微笑んで」も、最初に頭の中にあったイメージは、今回のような感じだったんですか?
井上:あの曲は弾き語りが前提だったので勿論ここまでではないですけど、メロディに込めた熱さとテンションはパンクにしても問題無いレベルです。優子(大島優子)が歌う時は「ソフト」と言うのも変ですけど、歌詞に合うような形で仕上げました。そういう解釈だと僕が歌っている今回のバージョンは、第3弾ということですね笑。
──第2弾のAKB48版を経て、オリジナルの原石を踏まえつつ辿り着いた第3弾?
井上:はい。だから逆輸入? アメリカでヒットしちゃった「泣きながら微笑んで」の逆輸入みたいな感じ!と言ったら大袈裟かな(笑)? どうしても「AKB48で売れた曲を作家がもう1回歌ってまた売っちゃおう」みたいな感じで見られがちですけど、「あの曲、本当はこういう感じだったんだよね」ということも、このアルバムで出せると思っていました。「彼女だったらこうした方がいいかも」って、もともとのものから変えたりもするんですけど、「あの曲はこんな気持ちで描き始めたんだよね」みたいなことを40周年のこのタイミングで、そういうのを思う存分出してもいいんじゃないかなと。
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