【インタビュー】BRAHMAN、TOSHI-LOWが語る7年ぶりアルバム『viraha』と生と死と「歌にして乗り越えてきたんだと思う」

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BRAHMANが2月26日、『梵唄』以来約7年ぶり通算7枚目となるオリジナルアルバム『viraha』をリリースする。バンド結成30周年イヤーにリリースされる同アルバムのタイトルは、“離れたことで初めて気がつく、いなくなった人の大切さ”という意味を持つヒンディー語だ。

アルバム『viraha』は民族音階を用いたギターリフと和リズム、そこにオーバーダビングされたコード音のアームアップが躍動感を加えて、ドラスティックに幕を開ける。収録は全11曲。4時間全75曲が間断なく繰り広げられた横浜BUNTAIワンマン<六梵全書 Six full albums of all songs>(2024年11月)のラストにミュージックビデオがサプライズ初披露された新曲「順風満帆」をはじめ、コロナ渦に放たれた「Slow Dance」、モーターヘッド「Ace Of Spades」のカバー、2月7日に先行配信された「charon」に加えて新録音源7曲が、結成から30年を迎えるBRAHMANの今を鳴らす。

「ハードコアに対してはよりハードコアに、ポップに対してはよりポップに振り切った」というアルバム収録11曲は、痛快なまでに潔く、ソリッドで重厚なパンクチューン。言葉は深い。東日本大震災をはじめ被災地にて積極的な支援活動を継続してきたTOSHI-LOWが、前作からの7年間のうちに見続けてきた生と死と、その狭間を描く歌詞が心を震わせ、かき乱す。17,000字におよぶTOSHI-LOWロングインタビューでは、アルバム全曲を徹底的に解説していくと同時に、彼らの30年について語ってもらった。DTM初導入によるデモ音源作りや、知られざる作詞論などについても明かされたテキストをお届けしたい。


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■スマホに話しかければ出てくる一応の正解
■その正解は10年後も正解とは限らない


──アルバムには『viraha』という深遠なタイトルがついていますが、この言葉の意味は“離れたことで気がつく、いなくなった人の大切さ”。こういうタイトルの作品を結成30周年にリリースするというのは、相当意味があるのだろうなと思いますが。

TOSHI-LOW:本当はなんでもよかったんだよ。最初は『ラストアルバム』とか、そういう言葉を探してたんだよね。

──えっ?

TOSHI-LOW:いや本当に。アルバムを作り出した時に、“アルバムを作れるのも最後じゃないかな”と感じてたから。でも、いざ出来上がった時に、なんかそれとも違うなと思ってね。どちらかと言えば“ラスト前だな”と。ただ、ラスト前みたいな言葉に、あまりいい言葉がなくて。じゃあ俺が思ってる“最後なのに、そうじゃない”という愛おしい気持ちみたいなのってなんなんだろうと。それを的確に表す言葉はないんだけど、人と人で考えれば、それはたぶんいなくなってしまった人への気持ちとか、それこそ本当に『viraha』という言葉が表してる通りのことで。ああ、ここだったのかなと。いつも全曲のレコーディングが終わってからタイトルつけるんだけど、本当に作ってる最中…半分ぐらいできたときは、“最後の”みたいな言葉をつけようとずっと思ってた。

──制作中に、どうしてこれが最後だと思ったんでしょう。

TOSHI-LOW:歌詞も、そういうことばかり歌ってるし。自分もそういうものを求めてるんだろうなって。だからはじめは、終わりに向かってると思ってた。でも、終わりに向かうのではなくて、終わりというものを本当に見据えた上で、自分が受けるべき考え、というか。自分の終わりは自分で見られないじゃない? だとしたら、自分が“終わりか終わりじゃないか”なんて考えは、実はないんじゃないかなって。でも、終わりに向かうまでの感情の中に、自分が大事にしているものだったり、自分が訴えたいものがあるんじゃないかな、というのがあって。それって、自分が若い時から言ってる死生観とあまり変わらないんだよね。 だからそれに対する、今なりの答え。

──生きていくということは死に向かっているということですから、人間は常に今おっしゃったような意味合いを背負っているわけで。

TOSHI-LOW:そういう言い方もあるし、たとえば死というものがあるから生を照らすんだろうし、どっちもどっちなんだよ。その中で、それを忘れないように生きる。たとえばメメント・モリみたいな意味でもあって、本当は。だけど、それを今さらアルバムタイトルにつけてもなと思っちゃうし。こすられすぎた言葉だろって。


──『viraha』のような言葉は日常的ではありませんが、いろんな書籍とか見て探すんでしょうね。

TOSHI-LOW:ネットは便利だけど、めったに落ちてる言葉ではないんでね。結局、ネットの中で“この辺じゃねえかな?”っていうところの文献を買ったりしないと、出てこなかったりする。今回は、また全然違うところの辞書を買ったり。たとえば3万円もするゲール語の辞書とか。

──ええっ? それはアイリッシュの原点に触れようとか?

TOSHI-LOW:そうそう。そこにあるんじゃないかと思って、その辞書をペラペラやったんだけど、結局何ひとつ使わなかった。でもそういうのって、いつどこで役に立つかわからないじゃない? 読まずに自分の本棚に並べてたとしても、何かの拍子に引っ張り出してみたら、“わかる!”ってことがいくらでもあるから。今、何も感じないものに対して“無駄だ”と思ってしまうような感覚って、豊かじゃないというか、逆にもったいない。それに、インターネットの出現でいろいろなものの流れが早くなったけど、“今じゃない”と思ったものはどんどん流れていってしまうから、取り戻せないでしょ。でも、物体とか肉体のあるもの…フィジカルなものって、置いておけば後で何かあるんだよ。まぁ一方で、断捨離しなきゃなとも思うんだけどね。

──昔読んだ本を今改めて読むと全然違う解釈が生まれたりもしますし。

TOSHI-LOW:歳食うことも悪くないなと思うのは、そういうことで。明らかに作者より年下だった自分が、同い年になったり、はたまた抜いてしまうでしょ。俺は寺山修司が好きなんだけど、47歳で亡くなってるから今は抜いてしまってて。そうなると捉え方が全然違うようになる。“俺が今見えているこういう感覚で、当時これを言ってたんだ”って思うと、凄いなって。

──そういうTOSHI-LOWさんの積み重ねが込められた作品でもあるんですね。

TOSHI-LOW:みうらじゅんのマイブームが今、凄いところまで行ってて。若作りならぬ“老け作り”(笑)。先取りするってことなんだけど、できるだけおじいさんに見せるっていう(笑)。コブラみたいな杖をついてたりして、実年齢より10歳か20歳年寄りに見せることをやってらっしゃって、天才だなと思ったよね。…何が言いたいかというと、せっかく50歳まで生きたんだったら、培った数だけ、いろいろなことが分かったほうが面白いということ。“ステージに立ってお客さんがいる”っていう俺たちがやってる状況って、20歳の頃から何も変わらないんだよ。社会が変わっていかない。それじゃいけないっていう戒めもあるよ。大人にならなければいけないっていう部分もあるし、自分が音楽を志した初心を忘れてはいけないっていう部分もある。ただ、少年でいるために無理する必要はないと思っていて、おじさんになったならおじさんの視点があっていい。昔、いたじゃない? 何でも知ってて役に立つ長老。アフリカのことわざにある、 “一人の老人をなくすことは、一つの図書館がなくなることと同じ”っていう。そうあるべきだと思う。



──なるほど。では、『viraha』収録曲について伺っていこうと思いますが、1曲目の「順風満帆」はBRAHMANが順風満帆で30周年を迎えられたということなのか、それとももっと違う意味があるのか。

TOSHI-LOW:歌詞を見ればわかるでしょ。歌詞を見て「あなたは順風満帆ですね」って言ったら、いくらなんでも叩くよ(笑)。あんまり年上の人を叩かないっていう主義ではあるけど(笑)。

──ははは。ですから、あえてこのタイトルにしたところにTOSHI-LOWさんの思いがあるのだろうなと。

TOSHI-LOW:俺ら、別に特段に上手くいってないからね。ただラッキーなのはメンバーがいる、命がある、ということだけなんだよ。そう考えたら、起こる全てのことは、命さえあれば、っていう。失敗も成功も、幸福も不幸も、すべてがあざなっているわけで。そのどっち側でどう見るかによって、どうせ違うんだからさ。たとえば、後のち考えたら、“あの時大変だったね。でもあの時大変だったから、こういうことに気づいたんだね。変革できて今があるんだね”ということもあるじゃない? “30周年だ、やった! 俺達の実力と才能すごいでしょ?”みたいなことを言ってたら、ド馬鹿だと思う。年を取って謙虚な言い方になったりとか、そういう人たちってみんなわかってるんだよ。これは自分の実力以外の運が働いたっていうことや、逆風だと思って頑張ったら、追い風になってたっていう経験を経て、そういうものだってことを知ってる。結局、風はどっちから吹いても一緒じゃんっていうことを知ってるんだよ。あとは、自分たちのやる気の技術っていうかさ。その時に生き残っていくことだったり、どうにかやりくりして先に進むということだけが、サバイバルだと俺は思ってるから。そうすれば霧が晴れて、晴天に恵まれる日も来るし。でも晴天に恵まれすぎると今度は水不足になる。だったら、起こるすべてのことを想定しておけばいいじゃん。嫌なことが起こっても、“また来たか。わかったよ”って。

──いろんなことが起きるけども、それを受け止めていくしかないということは、TOSHI-LOWさん、BRAHMAN、我々が体験してきたことでもあると思うんです。震災だったり、台風被害だったり、豪雨だったり。やっと復興に向かったかと思えば、また同じことが繰り返される。そういうことを目の当たりにされたからこそ、こういう歌が生まれるんだなと。

TOSHI-LOW:ここ14年〜15年くらいだよね。だから、めっちゃ平和で80年代のバブルみたいな状況が続いていたとしたら、俺、バンドやってないかもね、わかんないけど。何かしらの逆境みたいなものに抗っていることに対して、生きてるなって自分は感じるんだよ。


──そうした状況の変化に対して、自分はどの位置にいるのか、といった意味を考えさせるのが2曲目「恒星天」でしょうか。恒星のように不動の思いを持つといったことを考えさせられます。

TOSHI-LOW:恒星天は、天動説/地動説についての言葉で。間違ってても、みんなが正しいと思っていれば、その時それは正しくなるよね。星が動いてて地球は動いてないっていう天動説が、まさにそれで。対して、自分の中で信じてるものは、社会や科学の真実じゃなくていいという部分もある。たとえば、誰ひとりに認められなくても、自分がこうだと思うものに突き進む人生も、俺はアリだと思ってて。“社会通念上、常識上、こうだ”というのはあるけど、そんなのはどんどん変わっていくし。俺が子供の頃はどこでだってタバコを吸ってたのに、今はその行為が非人道的な感じになってるでしょ。今やTVでおっぱいは見られないし。それに対して文句を言ってるわけじゃなくて、常識なんてそんなもんなんだよって。そんなものに合わせるより、自分がいいと思うものに合わせたほうがいい。それがバランスだと思うんだよね。そういう生き方をした上で、その人が幸せだったか不幸だったかなんて、他の人がどうこう言う必要ないんだよ。

──自らの中に恒星を持つということですね。

TOSHI-LOW:そうね。自らの天体図みたいなものを持っていても、俺はいいと思っているし、それを並べ替えてもいい。今わかる科学がすべてではないから。ただ、自然には従わなければいけないし、そういうものに従っていけばいいんじゃない?と思う。みんなが正解を知りたがってる時代だし、スマホに話しかければ一応の正解は出てくるかもしれないけど、その正解は10年後も正解とは限らないよね。

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