【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』22本目=佐々木亮介、「わざとさん」

▶<Tour WILD BUNNY BLUES> 22本目
▶2025年4月10日(木) 奈良NEVER LAND
▶書き手:佐々木亮介 (Vo, G)
◆ ◆ ◆
セロニアス・モンク(Thelonious Monk)が1964年に録音した『Solo Monk』というアルバムがある。
高名なジャズピアニストの高名なアルバム。
可愛くて可愛くないところが可愛いジャケットのアートワークも有名。まじ有名。
だから今更自分がこんなところで何か客観的にっていうか批評的に語ろうみたいな気はないんですけど。
知らないし、そんなに。
そのアルバムに「I'm Confessin' (That I Love You)」というスタンダードの演奏が収められている。
自分は東京から奈良へ向かう道中、このトラックを何度も再生していた。
聴いて感じたことを書き出してみようと思う。
“おいおいコイツまじかよ、ジャズ語る気かよ”とは俺も思う。
しかし自分に出来ることはせいぜい結局自分語りであって、ジャズの話ではない。
-----
この演奏には“わざと”の美学が貫かれている。
っていうかセロニアス・モンク自身が“わざと”の人なのである。
とも言える。
え、どうなんでしょうか、言えますよね。
敬意を表して“さん付け”しますと“わざとさん”。
いつかの『ガキの使いやあらへんで』で誰かが大喜利の回答として“わざとさん”って言ってたなあ。
印象深い回答だなあ。
モンクも“わざとさん”だと思う。
印象深い。
わざと不協和音、わざとズレて、わざと弾かない、わざと最後ふざけてピロピロピロ。
もちろん自然と演奏しているんだと思うけど、“わざとさん”として生きてきた歴史が余りに長く濃いので、自然と“わざと”が出てしまうのではないか。
自然なのに、わざと? 矛盾しているじゃないか。
否それで良い、それが良い。
深い業を持った者だけが成立させ得る奇跡的に美しい矛盾というものがこの世にある。
すんばらしい。
とか俺は思う。
と言っても、演奏を聴いていると折に触れて“あ、これ今わざと壊しにいっているな”と感じることもある。
例えばSonic Youthを聴いてる時みたいに。
“うん、みんなが気持ち良いっていうのとちょっと違うのは知ってるぜ。でも俺はこの気持ち悪さも気持ち良いって知ってるんだよね”みたいな。
“わざと”で壊してるんだから、“なんでそんなしなくてもいいようなことを”と眉を顰める人もいるだろう。
だけど、人生の様々な局面においてついつい“わざと”何かを壊してしまう、というようなモンク的な矛盾を抱えてる人っていうのは一定数いるはずで、っていうか自分がちょっとそうだと感じているから一定数いてくれないと困るっていうか沢山いてくれると気が楽なんですけど、とにかくそういう人はニッコリしてしまう演奏だと思う。
あ、これって負の部分だと思ってたけど、モンクのようなアルケミストの手にかかっちゃえば面白い音楽に昇華できる重要な素材だったのかなって思える、ってことでしょうか。
おい、ずいぶん自分に都合良くキャッチしてるね佐々木くん。
勘違いでも良い。
俺は気持ち良い。
ありがとう、セロニアス・モンク。
ありがとう、わざとさん。
-----
“わざと”に目を凝らすと、そこにはいくつかの種類があるように思う。
例えば二つに分けるとして。
一つは、繊細でナーバスで攻撃性も孕んでいる“わざと”。
もう一つは、リラックスしてふざけているようにすら感じられる“わざと”。
1957年のピアノソロアルバム『Thelonious Himself』で聴ける“わざと”は前者で、やっぱり繊細だしナーバスだし、そしてその攻撃性は外側に対してではなく内側に向かっている感じもする。
自分を追い込んで崖っぷちで対峙するような、自分の音楽を組み上げるための破壊と構築を繰り返し、緊張感とか集中力の漲りがあるように思う。
だからちょっとしたことで一気に崩壊へ向かってしまいそうでもある。
しかしその様がとてつもなく美しい。
対して『Solo Monk』は後者で、力が抜けているしチルと言っても良いような緩さがある。
壊れはしなさそう、でも緩過ぎたらほどけてしまいそう。
もしかしたら人によってBGMに出来てしまうかも知れない。
こだわりのない居酒屋がなんとなくユウセンでジャズかけてフンイキ出してる、みたいに。
でもこの緩さの中にはゾッとする部分があるように俺は思う。
何にゾッとするか言おうか、言っちゃおう。
『Thelonious Himself』から7年経った『Solo Monk』では“わざと”が磨かれまくって堂に入りまくっちゃっていて、リラックスしたまま破壊行為ができる、そういう恐ろしいゾーンでたった一人ピアノを弾いている、と思うからだ。
そこはきっとめちゃくちゃ孤独な場所だと思う。
ゾッとする。
自分気合い入ってます!みたいな感じで破壊してる様って、“そっすよね、眉間の皺すごいですし、もう中指立てちゃってますもんね、うん、でしょうね、わかります、わかります”って感じで、わかります二回言っちゃうほど理解し易い。
それも格好良い。
でも『Solo Monk』は“いや別に自分、普通ですけど、普段こんなですけど”みたいな顔でリラックスしたまま破壊している。
怖くないですか?
ゾッでしょ。
-----
ジャケットが的確だ。
いや確かに、落ち着いた色調だし、部屋のイイところに飾りたくなるようなオシャレなジャケットですよね、素敵、で済ませても良い。
良いんだけど、この絵のモンクの目も怖くないですか?
なんか不穏な眼つきっていうか。
腹落ちしてなさそうっていうか、“はあ?”って思ってそうっていうか。
“私は気ままでのんびりした空の単独飛行を楽しんでいます、あなたにもこのようなリラックスした逃避の感覚をお一つシェア致しましょう、はいどうぞ”って感じはしない。
乗ってるのはただのプロペラ機じゃなくて、武器が搭載された軍用機なんじゃないかって気さえしてくる。
ゾッでしょ。
-----
これはGoogle検索しただけの情報だけど、「I'm Confessin' (That I Love You)」はChris Smithという人の作曲、Al J Neiburgという人の作詞らしい。
元は「Lookin' For Another Sweetie」という題で、Fats Wallerの1929年の録音が最初らしい。
ちなみにFats Wallerのヴァージョンの、ジプシー音楽ぽいような色気のある感じもカッコいい。
で、1930年に今の歌詞になった、と。
Louis Armstrongが取り上げてヒットソングとして名高い、と。
要するにこの曲は、演者によってニュアンスは違えど、タイトル通り所謂ラブソングとして扱われている。
“Confess”という単語には白状とか懺悔みたいなヘヴィな意味合いも含めて“告白する”という意味があり、スタンダードとして歌われる時の歌詞もシンプルながらしっとりした愛の告白について書かれているように思う。
例えばDean Martinのヴァージョンは、しっとしとにしっとりしてる正統なラブソングって感じするし。
さてモンクの演奏はどうか。
この硬質なピアノのタッチに、しっとりしたラブソング、という風合いがあるだろうか。
いや、ない。
って自分は思う。
あ、Louis Armstrongのヴァージョンも、カラッとした感じではある。
サッチモのパブリックイメージ通りというのか、ニカッと笑いながら歌ってそうな。
でもそのカラッニカッの中には、ラブソングとして感情移入したくなるようなエモーショナルさが少なからずある。
なんか色々経てからのニカッなんだろうなーみたいな、気ぃ遣っちゃうような。
比べるもんでもないけどやっぱりモンクの「I'm Confessin' (That I Love You)」は、曲がそもそも持っているイメージに対して極端にドライなんだと思う。
その捩れ方に痺れる。
じゃあこれは何を告白しているんだろう。
恋愛感情の告白という感じでもないし、自己愛みたいな自分にうっとりという感じでもないし、隣人愛とか人類への愛とか生命への愛みたいな大袈裟な感じでもない。
しかし確かに愛っぽいもの、ポジティヴな何かは宿っている気がする。
いや誰に告白するともなく、“わざと”の美学を貫いているだけという感じもする。
“俺はこう”と、ただ明け透けにそこにいる。
告白するまでもなく曝け出し続けている。
自分の“わざと”な人生をこの音楽に捧げているんだけど、全力投球って感じじゃなく、ただいつも通り貫いてる。
強えー。
それは“わざとさん”だけが表せるたった一つの愛の形なのかも知れない。
あ、なんか格好つけて文章を書いてるだけになってきたかも。
でもそんなふうに感じましたよ。
どのフォルダにも分類させてくれない、ちょっと不協でちょっとズレててちょっと隙だらけでちょっと余分にピロピロピロしたりするような、そういう愛。はっはっは。
-----
ニッコリどころか、はっはっはと笑えてきた。
ちなみに自分はシェイクスピアという人の『十二夜』っていう短い喜劇を連想したりしました。
それもはっはっはですね。
-----
a flood of circleのやり方が完成していると実感出来たなら、それをエンターテイメントとしてやり続けるという覚悟もできたのかも知れない。
でもまだ自分は自分なりに破壊したり構築したりし続けている。
奈良でもそういうつもりで演奏した。
来てくれた人ありがとう。
モンクのような錬金術がない場合、ただ誰かが眉を顰めるどころか見向きもされないことになっていく可能性がある訳ですが、自分はまだ幸運なことに自分のバンドがあって自分のスタッフがいて自分のオーディエンスの方々がいまして、で、ほんと悪いんだけど皆さんに甘えてるっていうかね、もうちょっとね、このまま行ってみたいんすよね。
そっちに昨日までよりもっとキラキラが待ってる気がするから。
勘だけど。
──佐々木亮介

◆ ◆ ◆
■<a flood of circle Tour 2024-2025>
11月28日(木) 千葉LOOK
11月29日(金) 千葉LOOK
12月06日(金) 堺FANDANGO
12月07日(土) 堺FANDANGO
w/ THE CHINA WIFE MOTORS
▼2025年
01月23日(木) 名古屋CLUB UPSET
02月09日(日) 京都磔磔
02月11日(火祝) 広島SECOND CRUTCH
02月13日(木) 松山Double-u Studio
02月15日(土) 高知X-pt.
02月16日(日) 高松DIME
02月18日(火) 静岡UMBER
03月06日(木) 神戸太陽と虎
03月08日(土) 鹿児島SR HALL
03月09日(日) 大分club SPOT
03月11日(火) 岐阜ants
03月16日(日) 横浜F.A.D
03月20日(木祝) 新潟CLUB RIVERST
03月22日(土) 郡山HIPSHOT JAPAN
03月23日(日) 盛岡CLUB CHANGE WAVE
04月05日(土) 長野J
04月06日(日) 金沢vanvanV4
04月10日(木) 奈良NEVER LAND
04月12日(土) 出雲APOLLO
04月13日(日) 福山Cable
05月09日(金) 仙台MACANA
05月10日(土) 水戸LIGHT HOUSE
05月15日(木) 八戸ROXX
05月16日(金) 八戸ROXX
05月18日(日) 山形ミュージック昭和SESSION
05月23日(金) 岡山PEPPERLAND
05月25日(日) 福岡CB
05月30日(金) 札幌cube garden
05月31日(土) 旭川CASINO DRIVE
06月05日(木) 名古屋CLUB QUATTRO
06月06日(金) 梅田CLUB QUATTRO
06月13日(金) Zepp DiverCity TOKYO
06月21日(土) 沖縄output

この記事の関連情報
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』24本目=HISAYO、「ザ・対バンのお手本のような夜」
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』23本目=アオキテツ、「島根かシネマ」
佐々木亮介(a flood of circle)、弾き語りツーマン<雷よ静かに轟け>第十夜のゲストにHEATWAVEの山口洋
a flood of circle × 金属バット対バンライブ<KINZOKU Bat NIGHT>4度目の開催決定。ゲストはストレイテナー
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』21本目=渡邊一丘、「案外大切なことは覚えているものかもしれない」
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』20本目=アオキテツ、「長野は縁があって」
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』19本目=HISAYO、「会って喋りたい」
【連載コラム】a flood of circle『THE WILD BUNNY DIARIES』18本目=佐々木亮介、「嘘じゃないっす」
佐々木亮介(a flood of circle)、弾き語りツーマン<雷よ静かに轟け>第十夜を7月開催