【インタビュー】結成当時のlynch.を再現し、超えるリテイクアルバム『GREEDY DEAD SOULS / UNDERNEATH THE SKIN』

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これはまさに、原点の再解釈、再提示ということになるだろう。

◆lynch. 撮り下ろし写真

2025年4月30日に発売するlynch.の『GREEDY DEAD SOULS / UNDERNEATH THE SKIN』は、そのタイトルからも察することができるように、2005年にリリースされた1stアルバム『greedy dead souls』と、同年に発表された5曲入りシングル「underneath the skin」の全収録曲、さらには当時のシングルのカップリング曲などを改めてレコーディングし直した、全22曲収録の特大作品である。しかも結成20周年を記念してのこの作品には、「GOD ONLY KNOWS」と題された未発表曲もフィーチュアされている。


彼らの基盤にあるものが最新の形で再構築されたこのアイテムについて、メンバー全員に話を聞いた。

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◾️なるべく当時の思い出みたいなものを壊したくはない

──まずは20周年おめでとうございます。このような作品を出すという計画は前々から立てていたんでしょうか?

玲央(G):そうですね。20周年を迎えるにあたって、いろいろな企画を打ち出していこうということをメンバー、スタッフ間で検討していたんですけど、その中のひとつとして、すでに廃盤になっているインディーズ時代の作品を再録しよう、と。当時の作品は葉月と僕、晁直の3人にサポートベースを加えた形で制作したものだったので、それを悠介、明徳も参加したこの5人で再録したいという気持ちもありましたし、それを出すならばこの20周年のタイミングかな、と。そういった経緯で今回の制作に取り掛かりました。

──確認になるんですけど、2005年に出た2作品というのは完全に廃盤なんですね?

玲央:ええ、むしろ敢えて廃盤にしました。

──録り直すとなればいろいろなことを考えることになるはずですし、変えることが目的の場合もあれば、そうでないケースもあるはずです。いざ録り直すということになった時、どんなことを意識していましたか?

晁直(Dr):まずサウンド、音自体についてはおのずと良くなると思っていたので、あとは自分自身の録るテイクについて…。やっぱり当時の作品というのはアレンジ面とかでも足し算が多かったし、今になって聴くと“あぁ、余計なこともやってるな”という部分も多々あるんです。そういうところで改めて引き算をしつつ、今の自分ならこうするな、という現時点で最適解を求めるためのちょこちょこっとした変更をしてみたり。だから大きな意味で何かを変えるという作業は全然してないんです。

──むしろ自分たち自身の変化や成長が自然に反映されればいい、と?

晁直:そうですね。もちろん20年もやってきたわけだから、同じビートを叩いてもやっぱり違いは出てくると思うし。だから、変えること自体はそこまで多くはなかったですね。

葉月(Vo):僕はなるべく変えたくないなと思っていたんです。当時やりたかったものに忠実に、今のスキルでやる。そのスキルが20年前とは全然違うわけなので、その力を持ってしっかり表現したいという気持ちがありましたね。それこそシャウトの仕方ひとつをとってみても、今では結構違ってきてるので、むしろ当時のシャウトのやり方とかを改めて研究して、それを取り入れてみたり。メロディの部分での歌に関しては特に何も考えず、“今ならこうするな”という感じでそのまま歌ったんですけど、シャウトの箇所については今の感じでやってしまうと、当時のあの感触がどうしても出ないことが多くて。えぐみに欠けるというか、綺麗すぎちゃうというか。だから、“このえぐみ、どうやって出してたんだっけ?”と思い出しながら、改めて練習するキッカケにもなったんです。それで実際に試してみたら、今とは全然違うってことに改めて気付かされたり、いろいろと発見もありました。自分としてもなるべく当時の思い出みたいなものを壊したくはないですし、当時聴いてくれていた人たちにも“いいね!”と思ってもらえるものにしたいという気持ちでした。

▲葉月(Vo)

──同時に、当時のlynch.を知らないリスナーの耳にも時代的なギャップの無いものになっているように思います。バンド結成時からの3人については録り直しではあっても、悠介さんと明徳さんにとっては大半が“初めて録る曲”だったわけですよね。ライブでやったことはあっても、そこまで分析的に聴いてはいなかった曲というのもあると思うんですが、今回の作業を通じて感じたのはどんなことでしたか?

悠介(G):アーカイブとして音源を残してないものに関しては、正直ライブでやってきた曲についても、僕の中での正解がまだなかったんですよね、作品として残してないので。それが今回ようやくこうして自分にとっての正解をちゃんと残せたというのは大きいし、しかもそれを作品として出すことによって、今後ライブではその演奏でやっていくことになるので、なんか一個、自分の中での悩みみたいなものが解消されたというか。やっぱりそういう曲がセットリストに入るたびに、あれこれ考えてたんですよね。その悩みが無くなったことがまず大きいし、lynch.のすべての楽曲を自分の音も入った状態で残しておきたいという気持ちもあったんです。それがなかなかできずにいたのがずっと心残りでもあったので、今回の再録でそれがようやく晴れたというか。

明徳(B):僕の場合、この2作というのはそもそもリスナーとして接してたものでもあるので作品に対するリスペクトのあり方が、初期からのメンバーとは違うというか。だからこそ、オリジナルの状態を大事にしたいという気持ちがすごくありました。こういったリテイク作品っていろいろと賛否両論が出てきがちじゃないですか。オリジナルは絶対に越えられないというのもあるし、わざわざ比べるべきじゃないというのもあるし。ただ何より大きかったのは、廃盤になっていて、聴きたくても聴けずにいた人たちがたくさんいるということで。今回のリリースを機に普通にこれが聴けるようになるわけで、そういう人たちや当時のlynch.を知らずにいた人たちにも聴いてもらえるのが嬉しいですね。同時に僕としては当時の作品に対してリスナーとしてのリスペクトがあるので、なるべく原曲に忠実な演奏をするよう心掛けました。ただ、ライブではそこそこやってきた曲たちだし、ちゃんと自分の身体の中にも入っているんで、なるべく編集のない状態で録ることも意識しましたね。

▲玲央(G)

──確かに考えすぎてしまうとわからなくなりますよね、こういう作品に取り組む時というのは。

明徳:自分の中で消化しているリズムというかグルーヴ、それだけ出せればあとはもうそのままでいいというか、楽曲のアレンジとしてはわりとそのまま行くべきだろうと思いましたね。

玲央:晁直が言っていた足し算云々という違いは確かにあるんですけど、それ以前に、当時は本当に厳しい環境だったんです。後ろ盾なく始まったバンドで、予算面も含めてすごくギリギリでやっていたんですよ。ドラムも当時は確か1日で録ったもんね?

晁直:そうですね、全曲を。

玲央:今だとだいたい1日3曲前後ぐらいのペースで比較的余裕をもって録れる。その3割ぐらいの時間しか与えられてない中で、アコギや上モノとか合わせてギターも1日半で録ったかな。でも時間があればいいというものでもなくて、それこそ考えすぎると音が鈍くなってくるんですよ。それに当時は“これを1日半でやらなきゃいけないんだ”と思いつつ、同時に“1日半でやってやる!”という気持ちもあったわけです。そこが大事だったなとも思いますね。今回もトータルで20何曲あるわけですけど、録り自体には敢えてさほど時間をかけていないんです。当時の空気感を出すにはどうしたらいいのかと考えると、やっぱりその“やってやる!”という気持ちが欠かせないと思ったので。なにしろ当時のlynch.はまだスタートして間もない頃というか、表向きにはまだスタートしていない段階でレコーディングしていたわけです。そこには守るべきものもなかったし、自分から取りに行く姿勢でしかなかった。そういった空気感を今回の音源でも多少なりとも出せたらいいなと思っていたので、制作期間的には時間の余裕はあったんですけど、敢えて自分の中で“これぐらいのペースで録ってやろう”というリミットを決めて…。

──そうすることで今なりの“やってやるぞ!”感を反映させたかったわけですね。音楽的な変化、自分たちの成長とか成熟みたいなものを実感できる機会にもなったのではないかと思います。その辺りはどうでしょうか?

晁直:まあ、成長はしてるんでしょうけど、“成長してるのかな?”という自分に対する疑問もなくはなく(笑)。とはいえもちろん、ただただ時間が過ぎただけではないので、演奏面でも人間的にも成長はしてるはずだと思います。バンドとしてもこれまでたくさんの経験を重ねてきたわけで。だから成長してることは間違いないんですけど、どんなふうに成長できてるのかというのは説明できないですよね。でもむしろ、それが成長できていることの証なのかなと思ったりもします。

▲悠介(G)

──各曲に対して、改めて分析的な見方ができた部分というのもあるのかなと思うんです。レコーディング方法も当時とはかなり違っているはずだし。

晁直:そうですね。ただ、ドラムに関しては変わってないんです。スタジオで生のドラムで録るスタイル自体も変わってないし。逆に、そこは変えちゃいけない部分なのかなと自分で勝手に思っているところもあって。

玲央:確かにレコーディング環境とか作業の進め方は変わってきましたけど、ギターについても結局弾くのは自分なので。やっぱりその人自身の経験とか考え方が音に乗っかってくるものだと思うんですよ。だから当時は当時ですごく荒々しいんですけど、攻めている姿勢というのが自分で聴いていてもビシビシ伝わってくるし、やっぱりこのタイミングでもう一度それを出していくのもアリかな、と。とにかくこの初期の2枚については、“攻め”しかないんですよ。だけどなんか“立派だな”とも思いました、自分のことながら(笑)。ちゃんと考えた上で、怯えながらも攻めているのがわかるので。失敗したらどうしようって、ちゃんと意識しながら攻めてるんです。だから、よくやってたなと思います。

──葉月さんはどうですか? 当時の自分を褒めたくなるようなところもあるのでは?

葉月:いや、褒めるのは無理ですね(笑)。“なんでこうしたんだろう?”と思わされることの方が多いです。曲自体は別に悪いとは思わないんですけど、「greedy dead souls」とかを今になって聴くと、ホントに骨組みだけみたいな状態だなと思えてしまうんですよ。まぁ最初の作品なので、そうなるのも仕方がないんですけど。もちろんどの曲も完成形にはなってるんです。ただ、曲自体に装飾が全然ないというか、“こういう装飾をするとこんな効果があるよ”というのをまだ全然考えられていなかったんだなという印象ですね。“こういう曲がやりたいんだ!”という思いだけで作っていたというか。ただ、当然それを重ねていくことで“こういうバンドがこういう曲をやると、こうなるよね?”という知識を身につけていって、その後の作品に作用していくことになったわけですけど。だから本当に当時の作品は、無骨というかシンプルだなと思いますね。

▲明徳(B)

──そんな武骨な初期の作品、楽曲について、悠介さんはどんな印象を持っていましたか?

悠介:なんだろうな。パッと聴いた時の最初の印象は、アメリカよりもUK寄りな感じの空気を感じたように思うんです。あの当時のいわゆるアンダーグラウンドな感じというか、陰湿というわけじゃないけどカラッとはしてない印象というか。当時の自分としてはそこが好きになって“ああ、なんかいいバンドができたな”と思った記憶があります。しかも「greedy dead souls」からさほど間を置かずに「underneath the skin」が出てきて、またちょっと空気感が変わったのを感じさせられたりもして、“今後、このバンドはどんな景色を見せてくれるんだろう?”というような興味が湧きましたね。

──自分自身が関わるようになると捉え方も当然変わってくると思いますけど、当時からそういった興味、好奇心の対象ではあったということですね?

悠介:そうですね。だから当時の僕は、“こういうバンドが出てくるのはいいな”と思っていたはずです。ちょっと偉そうな言い方ですけど(笑)。やっぱり純粋にカッコいいな、というのがあったし。

──明徳さんは初期の楽曲、音源にはどんな印象を?

明徳:最初はどういう人たちなのか知らなかったんですけど、だからこそ逆に、あんまりヴィジュアル系のバンドという印象も持たなかった気がします。バンドをやり始めた頃の自分はまだそんなに知識もなかったんで、当時は“ジャパメタか歌謡曲、ニューウェーブ的なところから出てきた人たちが多いんだな”という程度の認識しかできてなくて。ただ、このバンドはそのどれとも違うし、“どういう人たちなんだろう? わからんけどカッコいいな”という感じで聴いてましたね。

▲晁直(Dr)

──とても頷ける話です。やはり最初からlynch.は音楽的に“ありそうで、なかったもの”を目指していたのかなと感じさせられます。

玲央:いや、“みんながやってないことをやろう”というような意識はむしろなくて、各々がそれまで活動してきたフィールドの特色、各自の音楽的嗜好を反映させれば、それがそのままバンドの音になり、特色になるはずだと思っていたんです。ちょうど晁直を誘った当時、彼自身は名古屋のハードコア系のライブハウスで活動していて、そういったいわゆるヴィジュアル系ではないシーンでやってきたメンバーがいるというのもいいなと思ったんです。自分がよく知ってる界隈ではない人間の血が入った方が、絶対にバンドとして面白いものになるはずだから。そういうところから集まってきたメンバーなので、結果的には“ありそうで、なかったもの”になったと思うんですけど、それを狙っていたわけではなかったですね。そうなろうとしたというより、そうなってしまったというか。僕はバンドというのは、そういうものだと思っているんで。

──葉月さんは当時、曲を作るにあたって“他にはないものを”というような意識を持っていましたか?

葉月:いや、どうだろう? 当時思ってたのは…こういうヘヴィなアプローチで、チューニングをガツっと下げて、いわゆるニューメタル的なことを自分なりに表現するってことを、僕はだいぶ早い時期からやっていたはずだということなんです。2000年当時かな。ただ、当時のバンドは売れなくて(笑)。ところがその後、日本でもそういうアプローチをするバンドが増えてきて、その人たちが築き上げたジャンルみたいになったところがあったんです。そのことが当時は悔しくてたまらなくて。“俺の方が先にやってたんだぞ!”とか思ってましたし、だからこそ自分たちの音楽性を曲げたくないというのがありました。実際、このバンドを組めた時は“よし、これで俺も売れるかも”という気持ちでしたね(笑)。だから当時は“絶対、世間に認めさせてやる!”と思いながら作ってたと思います。ヴィジュアル系の領域の中で、ヘヴィな音楽をやる存在として。


──今、ニューメタルという言葉が出ましたが、そういった音楽のトレンドというものには周期というのがあるし、タイミング次第で“一周回って新しい”みたいな流れになるケースもあれば、“今それをやるのはダサい”という見え方になることもあるわけですよね。

葉月:むしろlynch.が始まった2004年当時は、そういうのが一番ダサいとされた時期だったかもしれない(笑)。

玲央:もはや新しいものではなかったですし、むしろ“まだそれをやってるの?”という時期だったと思いますね。

葉月:やっぱりあの手の音楽がピークにあったのは1999年とか2000年あたりだったと思うんです。むしろ2004年当時にどんな音楽が流行っていたかというのを、思い出せないところがありますね。

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