予想できないことを予想しろ

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RED HOT CHILI PEPPERS
feature interview

予想できないことを予想しろ
Anthony Kiedisが転向してIggy Popを目指したのでないとしたら驚きだ。目指していなくても別に私は構わないのだが。IggyPopは、最新作アルバムから判断すると、Tom Waitsを目指すことにしたようだ。だが、長髪で筋骨たくましいロサンゼルスのサーフィン狂を期待していた人は少々面食らうだろう。目の前に現れるのは、短髪で筋骨たくましく、髪を脱色した都会的な'74年頃のIggyなのだ。そしてKiedisのバンドがステージに登場して"SearchAnd Destroy"などをカヴァーしたところで、もうどうしようもない。

ロンドンのCamden Palaceに集合しよう。ロンドン在住じゃない人でこの場所に行く人のために説明しておくと、CamdenPalaceはご想像どおりカムデンにあるファンキーなクラブである。カムデンとは"宇宙で一番クールな場所"と神自身が宣言した場所だ。OasisのNoelとLiamもここに住んでいる。このPalaceは、以前は映画館だったが今ではパンクの溜まり場になり、最近ではダンス・クラブとしてよく知られており、とてもRed Hot Chili Peppersが演奏するような場所とは思えない。Red HotChili Peppersだったら、大々的なロック・フェスティヴァルを荒らし回るだろうし、実際'99年の夏はずっとその予定だ。実は、これは"シークレット"ライヴなのだ。ヨーロッパ各地で予定されている一握りの小規模なショーの1つ。その目的は、新しいギタリストに慣れてもらうというよりも、インタヴューをこなす退屈さを和らげるため。そもそもこの新ギタリストは、旧知のJohn Fruscianteなのだから(笑)、そもそも慣れる必要なんかありはしない。

Johnは、バンドにとって一大転機となったアルバム『Mother's Milk』と『BloodSugarSexMagik』で演奏した後、バンドを脱退した。後任として、元Jane's AddictionのギタリストDave Navarroが加入したが、今回再びDaveにかわってステージに復帰。髪型は以前よりフワリとした長髪で、Fleaに気を遣い、お客を悲しませんばかりに激しくメロディアスなギターを弾いている。Johnは復帰したことを喜び、Flea、Chad、Anthonyも彼が戻ってきたことを喜んでいる。そしてよくできたニューアルバム『Californication』には、メンバー全員が喜んでいる(「これは姦淫(fornication)を歌ったものではなく、カリフォルニアの文化が、地球上の遠く離れた場所に触手を伸ばすようになったさまを歌ったものだ」)。これは、ChiliPeppersがこの4年以上の期間に、つまり前回のアルバム以降に到達した最高の境地なのである。

ああ、Iggy、じゃなくてAnthonyは、恋をしている…

「1曲目を聴いてくれ。正統派のラヴソングだ!こんなコーラスがある。"あなたはおはようと言い、私はそうしますと言う"。これは結婚の場面を歌ったんだよ!このレコードにはそんな曲が3つか4つある」

この新しい作品について友達と話をしていたら、女の子たちはみんな、これは男向けのレコードだと言い、男たちも全員この意見に賛成のようだ、という話をしていた。でもAnthonyはそう思っていない。

「そうかな。アメリカでは、僕の女友達はみんな電話をかけてくれたよ。大いに気に入ってもらえたんだ。ロマンチックなレコードだと思うよ。このレコードを録音する2か月か3か月前にガールフレンドと恋に落ちたんだ。だから僕の心を駆け巡っていたのが愛の気持ちだったことは間違いない」。

今でもそうなのだろうか。
「うん」と彼は笑う。
「今でも恋してるんだ」。
結婚したの?
「バンド内で本当に結婚してる奴はいないよ」。
ただし「メンバー同士ではね」

'95年の『One Hot Minute』以降の期間は、バンドがまとまっていたとは言えない。ニュー・アルバムを作るという噂が頻繁に持ち上がっては立ち消えになった。Anthonyはリハビリ・センターで酒とドラッグを断ち切ろうとしていた。Anthonyのバイク事故。Chadのバイク事故。DaveNavarroは脱退してJane's Addictionに再加入し、そのときFleaも連れていった。そしてJane'sAddictionがまた解散したら脱退してChadと一緒にバンドを結成し、その後また脱退。ChiliPeppersは前回のアルバムの後、その気になれば、解散していたとも言えるし、やがて解散することになったとも言える。いったいどういう状況だったのか。

「今回のアルバムを出すまでにずいぶん時間がかかったのは、ドラッグが原因ではないと思う。これまでにもリハビリ・センターには入ったことはあるし、その間もたくさんの仕事をこなしていた。前作と今作の間を4年と見ることもできないな。僕に言わせれば、このレコードの作業に取りかかったのは1年ちょっと前だったんだ。だから僕にとっては、『Californication』は、曲作り、リハーサル、アレンジ、レコーディングに1年かかったもので、その前の3年間はレコードには全然関係ないものだった」。

関係…ない?

「ただ生活をしていたと言うところかな。バンドをやっている人間は、レコード会社のスケジュールの都合だけで、音楽を製品として送り出さなきゃいけないと感じるべきじゃないと思う。人々と一緒に成長し、ここに到達するまでにやったことをすべて実際にやり通すことが僕たちにとっては大事だったんだ」

Dave Navarroが'98年に脱退、復帰するようなそぶりをしばらく見せていたJohnFruscianteが復帰、Chili PepperのギタリストだったHillelSlovakはヘロインの過剰摂取で死亡するなど、いろいろなことがあった。Fruscianteは、脱退してから再加入するまでの7年あまりの期間にドラッグ地獄を味わった。彼とAnthonyがまた一緒になったら、同じことの繰返しになるのではないかと思われた。

予想できないことを予想しろ

「Johnは脱退して、経験しなければならないことを経験したんだ。それは僕も同じだ。他のメンバーだって同じさ。あの頃はこれ以上ないというくらい苦しかった。最後にはすべてが完璧と言えるようになった。こうしてみんながまた一緒になってみると、僕らみんなが困難や学習や変化をくぐり抜けてなければならなかったということが、完全に理解できる。今では全員がとても仲良く、仕事に夢中だけど、Johnがバンドを辞めた頃は、お互いにそれほど仲が良かったわけではなく、一緒にやっていることが楽しめなくなっていた。今はすごくいい状態なので、済んだことをうだうだ言ったり、これから何が起こるのかと気に病んだりすることなんか想像できないね」

「ドラッグ中毒は奇妙で、ずる賢い敵なんだ。論理的な理由付けなんかできやしない。ドラッグ中毒で苦しんでいるようなときには、"わかった、こいつはいけないことだ、こんなことしていたら死んじまう、傷ついて人生が台無しになってしまう"なんて具合にはいかないんだ。頭でそんな風に考えるわけじゃない。言えることは、あんな生き方に戻りたいなんて思っていないこと、そして精神状態が変わったということだ。今、自分内にああいう刺激がないというのは本当に気持ちいいし、Johnもそうじゃないかな。この件についていつJohnと話しても、彼はドラッグでトリップすることにまったく興味を持っていないんだ。今のJohnは、音楽を聴いたり、音楽を演奏したり、昔の映画を見たり、探偵小説を読んだり、ヨガをやったり、僕らと一緒にいたりするだけで、この上なくハッピーなんだ。こういうことも僕らの波瀾万丈の人生の一端だけど、もう昔話さ」。

Anthonyはもう大丈夫なのだろうか。

「大丈夫だよ。本当にもう長いことドラッグはやっていないよ」

それでは、ギタリストが交替した原因はいったい…。

「このバンドには相性の良さっていうのが欠かせないってだけさ。Johnとの間にはそうした相性の良さがあるんだ。去っていったDaveNavarroは、素敵な人間で素晴らしいミュージシャンだったけど、僕らとの相性が抜群というわけではなかった。Daveを軽く見ているわけではないよ。彼が在籍していた間、一緒に演奏ができて本当にラッキーだったと思っている。ちょっと奇妙だけど、あの期間一緒にやれたのはそのせいだよ」

「実際に解散はしなかったけど、メンバー全員が"どうやって続けていったらいいんだ? もうやっていけないよ"と思った時期は確かにあった。Daveとこれ以上やっていけないと僕らが気付いた頃、多分Daveも同じことに気付いたんだと思う。それで別々の道を行くことにしたんだ。何日か経って、Fleaの家に行って、これからどうしようか相談したら彼が"Johnと一緒にやるというのはどうだい?"って。僕は"そりゃあそんな夢が叶えばいいけど、まず無理だろうな"と言ったんだ。そうしたら彼は"どうかな、まんざら無理でもないような気がするんだ"と、Johnに電話をかけた。そうしたらJohn自身も考えを変えていたんだよ」

「Fleaは、メンバーの中で一番よくJohnとコンタクトを取っていた。あの時期、僕は合わせて3回しか彼と会っていなくて、僕とJohnがコミュニケーションを取るのは、いつも不自然で難しい感じがしていた。いつも僕が彼のために祈るという状況でね。まあ他人のために祈るような余裕があったときのことだけど」。

また一緒にやるようになったときは、どんな感じだったのだろうか。

「どんなだったと思う? 申し分なかったよ。最初は"やれやれ、これから昔のことをああだこうだ言わなくっちゃいけないんだろうな、そうなったら困るな"と思った。でもお互いに顔を見合わせたら、そんなことを議論する必要なんかないとわかった。だって相手のことを大事に思っていたんだからね。ただ"じゃあ、やってみようか"と言っただけだ。音を出してみたらもうパーフェクトだったね。そしてライヴで演奏するたびに、自分の気分だの時差ボケだのまったく関係なしに、完全に触発されて、みんなの演奏が聴けることを楽しみにするようになったんだ」

「僕が得た一番の教訓は、予想できないことを予想しろ、ということだ。苦しんでいる時期には、先行きを明るく思えないことが多かった。僕はまったく間違っていた。先のことなんて誰も予測できないんだから、相手を信頼するしかないんだ」


Sylvie_Simmons (1999.6.29)
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