もと若者Boo Radleysポップの傑作

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──もと若者Boo Radleysポップの傑作──


30歳を人生の大きな節目と感じる人は多いだろう。だが、Boo Radleysのギタリスト兼作詞家Martin Carrは、気がついたら人生の一大事30歳の誕生日を迎えていたという。「ラッキーなことに病気で寝ていたんだ。でも、もしかしたら病気なんかじゃなくて、30歳になったというだけだったのかもしれない」。ロンドンに住むリバプール生まれのCarrはそう言って、大笑いした。

Carrに年齢の自覚がないと責めることはもちろんできない。30歳になるずっと前から、落ち着いていたからだ。「Sice(Boo Radleyのリードシンガー)と僕は、10歳か11歳のころからの付き合いで、12歳くらいの時に、いろんなことをやったすごくいい年があったんだ。それ以来18年間そのことばかり話しているんだから。それで、ほかに友達がいないんだろうな」

現実の増しゆくはかなさを鋭く敏感に見る(過敏という方がぴったりくるという意見もあるかもしれないが)感性と混じりあった、心の若者がもつある種のノスタルジアがBoo Radleyの曲にはいつも感じられる。最新アルバム『Kingsize』には特にこの感じが色濃くみられる。アルバムに収録されている15曲は、音楽的にいうとこれ以上ない自信作、ポップの最高峰に近いものだ。最高のチューン、冴えた演奏、心地よいレトロと大胆な'90年代を巧みにミックスしたサウンド。

しかし、耳にやさしい旋律とは裏腹に、Carrの詩は疑念と絶望に満ちている。たとえば、1つ例を挙げると「Comb Your Hair」のコーラス部分。「こんなに若いと感じることは今しかないかもしれない/人生の半分、間違った生き方をしてきた/覚えておいてほしい、僕がどんな風に生きていたか/僕のエネルギーを」

Martinを本気にさせたのは、年齢のことだけではない。『Kingsize』には、ニコチン中毒とアルコール中毒との長年にわたる戦い(Martinはアルコール中毒者更生会に出入りしていた)を歌ったものもある。曲名が皮肉な「Heaven' At The Bottom Of This Glass(グラスの底の天国)」や「Good Vibration」に似た小組曲「Monuments For A Dead Century」の皮肉のこもったユーモアに特に注目してほしい。「Philip Morris、会ったことがないけど、知ってるよ/決して殺すことのなかった自分の息子のように接してくれた/僕はあんたのしもべさ、うまく育ててくれたよ/僕の墓にあんたは花を飾ってくれるかい」。こんな詩もSice独特のはちみつのように甘い雰囲気で歌われているため、ともすれば暗い面は見過ごしてしまいがちだ。

だが、Booの世界に希望がまったくないわけではない。冗談がかった「Jimmy Webb Is God」で証明されているように、愛は心を慰めるし、音楽もそうだ。Glen Campbellの「Wichita Lineman」のようなクラシック・ポップ作品をつくるWebbをCarrは高く評価している。しかし、手放しにというわけではない。「Webbは本当に素晴らしい曲をつくる。僕の結婚式でも、DJに“Wichita Lineman”を5回もかけてもらったんだ。でも、Webbの書いたこの本“Inside The Art Of Songwriting”を読んでみて思ったんだけど、作詞を深刻にとらえすぎていると思うんだ。半分も理解できなかったよ。僕にとっては、作詞は音楽的すぎてとらえられないものなんだ。作詞はそんなに客観的なものであるべきじゃない、もっと内発的なものなんだ。少なくとも僕にとってはそういうものなんだ」

“Blue Room”という言葉が使われている曲名「Blue Room In Archway」「Song From The Blue Room」に加え、このイメージが数曲に繰り返し登場する。Carrの孤独感の象徴“Blue Room”は詩的な想像上の部屋ではなく実在する。ロンドンのアーチウェイ地区にあるCarrのアパートの一室、床から天井にいたるまですべてが青い。「とても大きな部屋で、あまり明かりがないから、暗くなると水の中にいるみたいなんだ。妻と一緒にゆっくりとテレビを見る部屋で、だからそこに行けない時でもそこに行きたいと思うような場所。変わり者になって、みんな“blue room”を持ってる、って言ってもいいよ」、そういってMartinはクスクス笑う。

時として交響曲のように調和がとれた高みに達する美しい弦楽器と金管楽器の音色を集めた『Kingsize』は、Boo Radleysにとって最高の費用を投じた最大のアルバムだ。Carrによると準備不足からということだが、レコーディング・スタジオで過ごした時間も、これまでに出した5つのアルバムよりもずっと長い。「前もってリハーサルすべきだったのに、しなかったんだ。曲が完成したかどうかいつもわかるわけじゃないから、めちゃくちゃだったよ。いつもだったら、曲の完成具合についてメンバーの考えは一致しているのに、今回はそれぞれの意見が違ったんだ。だから一緒に演奏していても、何かが違うと感じたんだ。それでも、そのままレコーディングを続けていたんだけど、ある時、“これじゃ、だめだ。もう一度最初から録り直しだ”ということになったんだ。曲を捨てるなんて初めてだったよ。もう、常識なんてあったもんじゃなかった」

『Kingsize』はポップの最高峰にもっとも近いアルバムだ。これまでのところBoo Radley史上、最高記録。

Martinは続ける。「それで2、3週間前に、BBCでセッションのレコーディングをしたんだけど、スタジオでは3か月かかってもうまくいかなかったのに、何度もやったかいあってすぐに完璧に演奏できたんだ。アルバムの時にもこうするべきだったんだ」。一息おいてから、「アルバムはバッチリだったように聞こえるかもしれないけど、実際はそうじゃなかった。聞いた感じよりも、ずっと難しかったんだ」

'80年代終わりにリバプールで活動を開始し、1995年にブリット・ポップ大流行のさなかに出したアルバム『Wake Up!』がBooの最大の成功だった。だが英国でのヒットは長く続かなかった。『Wake Up!』に続くアルバム『C'mon Kids』は、いらいらさせられる弁解の余地のない、実験的な作品で、批評家のお気に入りだったが、大半のリスナーは受け入れなかった。残念なことに、前のアルバムに比べてとっつきやすい『Kingsize』が'98年秋にイギリスでリリースされた時の反応も、この時と同じでよいものではなかった。にぎやかで軽快な“Free Huey”をリード・オフ・シングルにしていたが、うまくいかなかった。Martinは首をひねった。「ラジオ局がこの曲の放送を断ったんだ。それで終わりさ。たぶん、僕たちの曲がすごすぎたんだ。今のように景気の悪い時には、ラジオ局は超コンサバになるから、売り込むのが難しいんだ。ここのラジオではFatboy Slimがずっと流れているから。僕たちもそれにならおうと思ってやったんだけど、メロディの感じは僕たちならではのものにしたんだ。そうして、時代にこびたといってもいい作品“Free Huey”ができあがったってわけさ。みごと僕たちが間違っていたことを証明してるよ」。ラジオ局のディレクターにはわからないかもしれないが、ポップファンにはわかるはずだ。「Free Huey」を初めとした楽曲がこれまでのところBoo Radleysの最大のヒットになっている。

『Kingsize』が米国でどのように迎えられるかはこれからだ。今までのところ米国では、Martin、Siceを初めとしたBoo Radleyメンバーはあまりついていなかった。しかし、米国本土で今年演奏できるかどうか決めるのはまだ早い、とCarrはいう。もしBooがニューヨークで演奏することになったら…。Martinが夜行き着くところといえば、すぐにわかるだろう。グリニッチ・ヴィレジのお気に入りの飲み屋にまっしぐらに決まっている。「あそこは楽しいんだよ。自分達が誰かってことを考えたら、行くしかないだろう」と、笑いながら言う。そこの名前は、って? もちろん、Boo Radley'sだ。

dave_dimartino
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