「ここでやめたら、ジガーズ・サンの曲は犬死ですからね」

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'98年活動を休止したジガーズ・サンから、ソロ・アーティストとして坂本サトルが完全復活。
北海道・東北地区限定のインディーズCD"天使達の歌"をきっかけに、全国を歌って回り、世の中を見てきた彼へ独占インタヴュー。

──ソロになってからは、音源を作るっていうよりも、歌をいろんな場所で歌うってところから始まったんですよね。

坂本:
ええ、そうですね。

──それはバンド時代に、何かやり切れてないものがあるという反省点からなんですか?

坂本:
いや……、なんていうのかな。とにかくソロになるとき、一からやりたいって思っていたんです。最終的には全国制覇、統一したいわけですから(笑)、そのためにもう一度自分のスタート地点というか足場、陣地ですね。それをきちっと固めてからって思ったんです。それにソロっていうからには、サウンドで勝負する人、キャラクターで勝負する人、歌詞で勝負する人、いろいろいると思うんですね。その中でオレは歌詞だと。そうなると極端な話、人格証明ってことになるだろうから、とにかく自分をさらしていくしかないっていうかね。自分をおさらいするっていうか。それでスタートを切るときに自分の生まれた場所ってのが重要になってきて、そこからスタートしたいって。それでいろんなCDの流通形態を探したんですけど、なくて。それで自分で立ち上げてやったんですけど……。正直、バンドでは失敗したって思ってるんで。だからソロって最後の勝負だと思ったんですね。バンドでは最高の活動ができていたのに、セールス的には最低で。音楽をつづけるか否かってことも考えましたしね。でもここでオレがやめたらジガーズ・サンの曲は犬死ですからね。

──それでご自分のレーベルを作って、北海道・東北限定発売といういう音源を作って、出して。その"天使達の歌"がどうにかしようって、考えたんですね?その「どうにか」ってものさしは?

坂本:
セールスですね。最初はね、インディーズでそこそこやって、メジャーに行けるって話だったんです。それが条件がどんどんかわってきて。思った以上に自分が厳しい状況に追いこまれてるなって思ったんですね。そのなかで、現場でCDが売れていきましたから

──その現場っていうのは、坂本さんの故郷・青森のストリートだったり、飲食店だったりしたんですか?

坂本:
仙台ですね。大学が仙台だったし、音楽をはじめたのもそこだったし。

──ストリートってのは、まあ、最初は勇気がいると思いますが、なんとなく想像できますよね。でも、飲食店へいきなり行くってのは、どうなんでしょう?

坂本:
お店には連絡とって、許可もらってから行くんですけどね。お客さんはオレが誰だか、何しに来たのかすら知らないから渋いですよね。そこで20~30分ライヴして、よかったらCD買ってくださいっていう感じですから。でも、もうね、普通にオレも暮らしているのに、隣のおっちゃんとか、近所の人とか関係のない人になってしまったんですね。そういうところで生活してるのに。デビューしたてのころとか、若いころって、大人が顔をしかめることで逆に安心することってあるじゃないですか。

──否定することで居場所があるっていうね。

坂本:
そうそう。でもオレはそうじゃなかったから。そういう人たちにも聴いて欲しいから。だって、先生にも親にも反発して育った人間じゃないですからね。それが音楽やるときだけ、こういう人達にわからなくていいってのは不自然ですよね。それでやってみたらいわゆるストリート・ミュージックだったという。だから、ジガーズ・サンが活動休止して、ソロ活動やらないとなって中途半端なときに、デザイナーの駿東宏さんが主催するイベントに出ないかって誘われたんです。それが西麻布のイエローで、田島貴男さんや小西泰陽さんが出るオシャレ系大集合のイベントだったんですよ。バンドもないし、たったひとりだから、どうかなとも思ったんですけど、これからソロでやるための奮発材料ってのがほしかったのも確かなんですね。それで弾き語りでやります!って言っちゃって。そこからもう大変でしたよ。弾き語りなんてやったこともないのに。曲もないから作ったり、ジガーズの曲ひっぱりだしたり。当日も『誰?』って感じでしたからね。しかも、そんなところでギターを出して弾き語りなんて、って。一回サーっと人がいなくなったんだけど、5曲目くらいから前の人と同じくらいの人が集まってて。それで一人で歌うことには自信がついちゃったというか。バンドってある意味自由を束縛されてるじゃないですか。そこのタガが外れて弾き語りをやり出したら、今度は弾き語り野郎みたいなこと言われてね。そのとき違うなって思ったんです。弾き語りも楽しかったけど、ソロを謳歌したかったんで、"天使達の歌"の次は別なことをしようって思っていたんですね。でも、6ヶ月も飲食店とか回っていると、そういう曲しか出来ないんですよ(笑)。そういう近い距離でこそ伝わるような。それに坂本サトル=弾き語りって看板を放棄するのは遠回りだし、ただのへそまがりっていうかね。それにイヤイヤやっているわけじゃなかったから、こうなったら極めようと。それで腹くくって、アルバムまで見えてきたって感じですね。迷いがなかった。

──インディーズで出した"天使達の歌"を晴れてメジャーから再び出すことになり、後にアルバム『終わらない歌』の制作に入るわけですね。そのアルバムでひとつ軸となっていたのは?

坂本:
弾き語る坂本サトルですよね。それで棚谷(祐一・カーネーション)さんが、その飛距離を伸ばすためのアレンジを加えるという形でした。

──それで棚谷さんが出してきたアレンジに、納得いかないんだけど……ってのはなかったですか?

坂本:
意見がわかれたら、オレは棚谷さんの意見に従おうって思ってたんです。っていうのも、出てくるもの出てくるもの、オレの想像のラインを1つも2つも上回ったものだったんです。歌詞に向けての口出し方も的確だったんで、アルバムも一緒にやってみたいなって。でもね、"レモネードデイズ"はとまどいましたよね。最初、全部打ち込みでやりたいと。それは抵抗なかったんですね。で、僕が作ったデモを持って、エンジニアの人とこもって作ってくれたんです。でも、できあがったものを聴いて、それはないなって思いましたね。今思うとなぜそこまでこだわったのか分からないんですけど。でも、それまで完璧な提示をしてきた人が最後で間違うことはないだろうと。違うと思うのは、俺がまだ枠にはまっているからだ、と。だから棚谷さんに『オレはこの曲がいいとは思えない。だからいいと思えるように説得してくれ』ってお願いしたんです。それまでも、あくまでオレを肯定してくれて作ってくれていたから間違いはないだろうと。この1年でやりたいことが見えてきたんですね。だから徐々にやってきてるんですよ。アルバムって3000円もするんですよね。シングルで1000円だから、千円札が3枚出しているところをみると、おお!大枚はたいてるって思うんですね。

──坂本さんには多くの市井の人の中に入っていって音楽をやってほしいですね。

坂本:
自分のホームページでは800アドレスを管理してるんですよ。この情報ってのはもう宝ですよね。パソコンでメールとかをやってると、いかに店やストリートでやっていることが大事かわかりますね。両極のようですけど、どっちも外せないですよ。

●音楽文化ライター・佐伯 明

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