高度な圧縮表現に潜む音楽の内的衝動

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仲井戸麗市と土屋公平が意気投合し麗蘭が組まれた'91年、2人以外のメンバーをどうするか?という部分で、仲井戸と土屋がそれぞれに音楽仲間を連れてくることで落ち着いたのが麗蘭のオリジナルメンバーである。すなわち早川岳晴(ベース)とポール鈴木(パーカッション)だ。

後に「なぜドラムではなくパーカッションだったのか?」という問いに対して、土屋は「
通常のドラム&ベースではない構成で、当時のCHABO(仲井戸)のデリケートな感情を掬い取りたかった」と語ったのであるが、まさにこの発言通り、麗蘭は“デリケートな超リズム&ブルース”がこの世に存在することを僕らに知らせてくれたと断言できる。

仲井戸のミュージシャンズ・キャリア30周年記念に、9年ぶりにオリジナルメンバーでツアーをスタートさせた麗蘭。

7月22日、赤坂ブリッツでおこなわれた久々のライヴは、「夏の色調」がレゲエ・アレンジになったことや新曲群を聴くにつれ、タフになった麗蘭を感じることができたが、ファーストアルバムのオープニングをそのままセットリストにした(もちろんファーストアルバムの曲順は最初のツアーによって踏み固められたものだが)「ミッドナイト・ブギ」から「待ちわびるサンセット」の“あり得ぬ場所感”と“血流のような情感”は、麗蘭独自の、そして不滅のテイストであった。

僕の個人的な体験として、赤道直下の島に行っても白夜の国のパブにいても、「待ちわびるサンセット」に匹敵する胸躍る感覚や少なからずの諦めは、なかった。

…つまり、音楽の出現とともに去来するインナーヴィジョン、インナーエモーションを麗蘭は高度に圧縮表現しているのだと思う。

新曲にして麗蘭初のインスト「霧のスプートニク」もアンコールで披露され(仲井戸氏のMCによりこのナンバーは土屋氏が仲井戸氏に贈ったことが判明)、今回のツアーが麗蘭のボトムと新生面を同時に見せ聞かせているのだと知り得た。

CHABOはソロ名義ではおよそこうした曲は作らないだろうし、仮に作ったとしてもRecはしないと思う。

この曲は、'60年代をまさに多感に生きたCHABOと、サンプルとしてのベンチャーズとの間にある微妙な距離感を端的に音楽化している。おそらくは'60年代を子供として生きた土屋公平が音楽化のための媒介になっているのだろう。

麗蘭はまだまだ未開の音楽領域を残していると思えた。

古井戸から始まった仲井戸麗市の音楽キャリア、そしてストリート・スライダーズから始まった土屋公平の音楽キャリア、その二つが融合した“もうひとつの音楽”として、麗蘭楽曲は輝いていた。

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