暗黒の王子、オスカーの夜に降臨す

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暗黒の王子、オスカーの夜に降臨す

 

ハリウッドはオスカーの宵。車で10分の距離にあるダウンタウンL.A.のShrine Auditoriumでは、4時間におよぶアカデミー賞の授賞式が幕を閉じようとしていた。しかしこの晩、ハリウッドの本物のドラマは、Julia Robertsの長ったらしい受賞スピーチや、Russell CroweとSteve Martinの険しいまなざし、おしゃれの達人を自認するJoan Riversに彼女同様、シックでファッショナブルなMelissaの丁重な談話とは、まったく別のところで起きていた。そう、ロサンゼルスで本物のドラマと魅惑を求めるならば、行くべき場所はShrineではなくWiltern Theatreだった。あらゆる暗黒と絶望を背負って立つSir Nick Caveが、近々発表される4年ぶりの新録音アルバム『No More Shall We Part』のプロモーションのため、珍しくBad Seeds抜きのセミアコースティック・ライヴを行なったのである。

Dirty ThreeのWarren Ellis(ヴァイオリン)とJim White(ドラムス)、それに元Band Of Susans(もっともなバンド名だ)のSusan Stenger(ベース)を従えたCaveは、『Gladiator/グラディエーター』の雄壮なシーンや『Traffic/トラフィック』のサスペンスと複雑な筋立て、『Crouching Tiger, Hidden Dragon/グリーン・ディスティニー』に描かれる華麗な空想世界、『Almost Famous/あの頃ペニー・レインと』に見られるロックンロールの陶酔に『Chocolat/ショコラ』のほろ苦い官能、そのすべてをありありと眼前に浮かばせたのみならず、会場に集まった献身的な信奉者たちの途方もなく熱狂的な反応を引き出した。嵐のようなその喝采は、はるばるShrineまで届いていたかもしれない。

ミニマルなバックバンドが加わるのは途中からのことで、Caveはひとりでステージに現れた──例によって堕落した牧師のように、ディケンズの小説の登場人物さながらに青ざめた顔をし、漆黒の髪をJohnny Suede風のオールバックにして、葬儀屋のような黒いスーツを身につけ、両切りタバコの煙に包まれて――この時点で彼は早くも、その後いく度となく繰り返されるスタンディングオベーションを受けることになった。まだひと言も歌わず、一音も発していないのに。彼がピアノの椅子に腰をおろすと、立派な小型グランドに視界をさえぎられて失望した女性ファンが、「顔が見えないわ!」と叫ぶ。Nickは無表情に「見るほどのもんじゃない」と答え、『Boatman's Call』収録の“West Country Girl”に取りかかる。この白熱した最初のナンバーが、コンサート全体の流れを決めた。そればかりか、冒頭のオーディエンスとのやりとりが呼び水になって、観客はコンサートのあいだひっきりなしに、大声で曲をリクエストしたり、彼らのアイドルがひと息つくたびに臆面もなく高らかに愛を告白した。

EllisとStengerが加わった2曲目で、Caveがひねくれ者らしく「悲しい曲をやろう」と言うと、別の客が(ウケを狙って、ならいいのだが)「楽しい曲をやって!」と叫んだときのこと。我らがSaint Nickは、ふと動きを止めてタバコの煙を深く吸い込んだ(ちなみに、喫煙が生命に関わる悪癖であることは周知の事実だけれど、それでもCaveにかかるとタバコを吸うという行為がすばらしくクールに見えることは否定しようがない。曲の合間に「タバコが大好きだ!」と誇らしげに宣言するときなどはことさらに。タバコ業界の宣伝キャンペーンのキャラクターが、Joe Camelから彼に替わったら、その影響力たるや、国民の健康に対する深刻な脅威となるだろう)。彼はそれから煙を吐き出し、自分の全レパートリーを簡潔に要約するそっけないコメントを返した。「楽しいのはやらない。俺がやるのはアングリーなやつと悲しいやつだ」。オーディエンスが、皮肉にも大喜びではやし立てる。「これは悲しい曲」とCave。「俺はこういうのしかやらない」。そう言って彼が弾きはじめたのは、同じく『Boatman's Call』の収録曲で、哀感あふれる“People Ain't No Good”。続く“Henry Lee”は『Murder Ballads』収録の熱いナンバーで、オリジナル・アルバムヴァージョンを歌ったCaveのかつての恋人、PJ Harveyが去った今も、ありがたいことにその強烈さは少しも損なわれていない。

悲しみと怒りは、地獄の福音歌と呼ぶにふさわしい名曲“The Mercy Seat”にも引き継がれた(Caveはこれを「Johnny Cashの曲」と冷笑的に紹介して、Cashが最近手掛けた見事なカヴァーヴァージョンを引き合いに出した)。Whiteも加えて3人編成になったバックバンド(Caveを含めて“Dirty Four”となる)は、今やとても“ミニマル”とはいえない伴奏で激しく荒れ狂った。フィドラーのEllisでさえ、フロントマンであるCaveを食いかねない勢いだ。ある時は胎児のように丸くなって床にうずくまり、楽器の上におおいかぶさって、拘束服を着せられた精神病患者のようにしゃがんだまま体を揺すったり、またある時は1000ワットの電気を通した糸につるされた操り人形のように、痙攣しながらステージをのたうちまわる。

とはいえ、ステージの主役はもちろん、常にCaveだった──たとえピアノの椅子に座りっぱなしで、実はびっくりするほどハンサムな顔を半分隠していたとしても。陰鬱でコミカルな来世の哀歌“God Is In The House”(この夜“house=会場”に詰めかけた人々の大半がCaveを神格化していることを思えば、いかにも妥当なタイトル)や、気絶するほどロマンティックなバラード“Love Letter”(Caveいわく「特定の女の子あてに実際に書いたラヴレターだ──結果は大成功さ!」)といった、馴染みのない新曲でも、スタンディングオべェーションがとぎれることはなかった。それに客席からの叫び声や金切り声も。「『Henry's Dream』の曲をやれ!」と誰かがどなれば、ほかの誰かが「何もかもやれ!」とわめく。すると、低俗なギャラリーの野次に妨げられることなく、じっくりとショウを味わいたいらしい見物人が「Nick Caveに向かってごちゃごちゃ言うな!」と叫んだ。

Caveはリクエストに応えるだけの人間ジュークボックスにはならず、セットリストは'86年の『Your Funeral...My Trial』(“Sad Waters”)から、'90年の『The Good Son』(“The Ship Song”)、'92年の『Henry's Dream』(“Papa Won't Leave You, Henry”)、さらにこれもPJ Harveyに捧げた『Boatman』期の“Into My Arms”にまで及んだ('94年の『Let Love In』の曲をまったくやらなかったのは不思議だが)。昔のバンド、Birthday Partyの“Wild World”を黙示録的なアレンジで聴かせ、コアなファンを唸らせもした。こうして彼は観衆の大多数を満足させた。が、たとえ彼がOscar Meyerのボローニャのジングルや98 Degreesのカヴァー曲を、あの悪魔ばらいのごとき、炎熱地獄の呪いのごとき声で歌ったとしても、吸血鬼のように貪欲なファンは、喜々としてそれをむさぼり食ったに違いない。

このスリリングな晩に演奏された曲のなかで、Caveの深淵をもっともよく垣間見せたのは、おそらく殺人狂のバラード“Stagger Lee”──血に飢えたTarantino風のところがめちゃくちゃに面白い「とんでもないワル、悪党のなかの悪党の歌」──だろう。ぜいぜいと喘ぎながら神経を逆なでする声で、「50人の女のいかしたアソコを渡り歩いて、ひとりの金持ち男のケツの穴にたどり着く」とか「ひざまずいて俺のムスコをしゃぶらないと命はないぜ」といった、内輪でしか通用しない独りよがりな歌詞をワイルドに突き進む彼は、機知に富むと同時に邪悪で、ふざけていると同時に悪意に満ち、残忍であると同時に滑稽だ。笑いすぎて、あるいは恐怖のあまり、あるいはその両方で、オーディエンスが思わず失禁してしまうようなパフォーマンスを提供する。それこそがまさしく、ハリウッドでエンターテインメントと呼ばれるものなのだ。

 

 

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