デトロイト・テクノ特集

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デトロイト・テクノ特集

時間が進むにつれ、様々な技術が進化し、いろいろな物がうまれては消えていく…。
エレクトロニック・ミュージックもまた人類が進む流れに沿うようにして技術革新と共に進化し続け、その音楽性は定義できないほどの無数の広がりで、様々な人の元へと届いていった。

そんなシーンの中で突然変異のような新鮮さを放ち、確立していったのが"デトロイト・テクノ"だろう。その誕生から約20年も経つ今となっては、その音楽性のスタイルこそ変わり続けているのだが、歴史を受け継いだスピリットは変わらず存在する。

そんなデトロイト・テクノの発端、そしてこの音楽が進む未来とは…。

No Looking Back



SPECIAL INTERVIEW


DERRICK MAY

'88年にリリースされた「Strings Of Life」が世界中のたくさんのDJ達によってプレイされ、一躍その名を知らしめたデリック・メイ。デトロイト・テクノのオリジネイターと呼ばれる存在。日本にもDJとして何度も来日し、絶大なる支持を得る。そんな彼が音楽を作り始めたきっかけから、今の状況、そして彼が進む未来について語る。

RECLOOSE


カール・クレイグが主宰するレーベル、Planet Eからデビューしたリクルース。ハウス、テクノ、ジャズ、からヒップホップまで幅広いジャンルの音楽を吸収し、オリジナリティ溢れるサウンドを表現した1stアルバム『Cardiology』をリリースしたばかり。そんなデトロイト・テクノ界で注目の集まる新鋭アーティストに迫る。

デトロイトは古くから人種間の摩擦がひどい街だった。自動車産業において安い賃金で労力を得るために南部から多くの黒人を迎え入れ、それまで仕事をしていた白人の多くが職を失なってしまったのが事の発端だとされている。

その軋轢が爆発したのが'67年、全米史上最大とも言われ、数千人とも言われる死者を出した暴動だ。その爪跡は、今でもデトロイト市街に残っており、朽ち果てた民家や商店が取り壊されることなく建ち並ぶなど、異様な雰囲気を醸している。そして白人のほとんどは郊外に移り住むようになり、"ゴーストタウン"という表現がこれ以上似合う街もないくらい閑散としている。私は実際に一度現地を訪れたことがあるが、街の怪しさとその空虚さは、今まで体験したことのない異様な雰囲気であった。

しかし、そんな街でも音楽に関しては常に豊かな才能に恵まれていた。'70年代からモータウン、ファンカデリックなどが多くの素晴らしい楽曲をデトロイトから生み出している。この街にソウルが宿っているのか、それともこの街がソウルを剥き出しにさせるのか…、それは私にはわからない。しかし、この土壌に育まれるアーティスト達が今日に至るまで後を絶たないのは紛れもない事実である。

'80年代後半にホアン・アトキンス、デリック・メイが、それぞれMetroplex、Transmatという未来的な名前のレーベルを立ち上げ、そこからテクノロジーを駆使したフューチャー・ファンクとでも呼ぶべき音楽を発表し始めた時、デトロイトの歴史に新しい1ページが書き加えられたのだ。それがデトロイト・テクノの誕生である。

それはデトロイトの地下シーンで生まれ、地元のほとんどの人でさえ、その存在に気づくことはなかった。しかし、セカンド・サマー・オブ・ラヴと呼ばれ、レイヴカルチャーが花開いた'88年の夏、デリック・メイの「Strings Of Life」がたくさんのDJ達によってプレイされた。そのサウンドはメランコリーに満ちていながらも、一縷の希望を感じさせ、ギリギリの状況の中からポジティヴを追求した結果生まれたビートは、フロアの観客を一瞬の隙も与えず躍らせた。

そんなデトロイト・テクノは、フロアを通し、世界中で多くの人々を魅了し広まっていった。アメリカ本国ではそれほどでもなかったが、ヨーロッパ、そして日本では爆発的な影響力を発揮し、4Hero、ローラン・ガルニエ、ケン・イシイなど、数多くのアーティストがデトロイト・テクノの影響を受け、現在活躍している。

もちろん、その音楽の生誕地デトロイトでも、ムーディマン、セオ・パリッシュ、リクルース、カオスなどたくさんの若い世代のアーティストにその遺伝子は受け継がれている。誰の真似もせず、メジャーに頼らずとも音楽活動を続けていく独自性を確立したスタイル。彼らはそういったやり方で世界を股にかけ、宇宙にも飛び出さんばかりの勢いで精力的にツアーを続けているのだ。

更に、2001年から始まった<デトロイト・エレクトロニック・ミュージック・フェスティバル>(DEMF)は、3日間で約150万人の人が集まり(それは2年連続で続いている)、地元の経済復興へも貢献し始めた。それは瀕死の自動車産業、デトロイト市当局がとったその場しのぎカジノ政策よりも、より健康的にデトロイトを活性化し
つつあるのだ。

そんな多くの人々を魅了したデトロイト・テクノは、未来へと向かうために、今なお加速しながら進化し続けている。

<RIP グーちゃん>


デトロイトで最も黒いグルーヴがやって来る!
3Chairs JAPAN TOUR

3 Chairs
オリジナルメンバーであるMoodymannことKenny Dixon Jr.、Theo Parrish、Rick "The Godson" Wilhiteの3人に加え、Malik Pittman(Marcellus Pittman)が新たに加入して、現在は4人となった3 Chairs。これまでにコンピレーション的アルバム『3 Chairs Project』をリリースしているが、このほど完成した初のフルアルバム『3 Chairs』は、それぞれの音源ソースを持ちより、ともにスタジオに籠り、さらにはジャケットワークも自分達で手掛けたという正真正銘の4人の共同合作だ。

今回、そのアルバムのプロモーション・ツアーとして来日が決定。すでに'01年に初来日を果たしたMoodymannをはじめ、Theo Parrish、初来日が待たれていたRick "The Godson" Wilhite、Malik Pittmanのフルメンバーが揃い、3都市でイベントを行なう。

さらに今回は、本人たちの希望により、オープンからラストまで4人だけという本場デトロイトで行なわれているセットが実現! デトロイトで最も黒いグルーヴがフロアを押し寄せ、唸らせるはずだ。

Rick "The Godson" wilhite(souledge)
3 chairsのオリジナルメンバーRick "The Godson" Wilhite。デトロイトでrecord shop VIBES incを営む彼は、DEMF2001にも出場し、Theo parrish同様、幅広い選曲と卓越したmixスキルで魅せる。またヒップホップにも精通し、そのセットには定評がある。3 chairからのリリースの他、Track ModeとMusic Is...との合同コンピレーションシリーズ「ABSTRACT FUSION」にも参加している。

Malik Pittman(unirhythm)
3 chairsの新メンバーとして迎えられたMarcellus PittmanことMalik Pittmanは、レーベルunirhythmの主宰。また、Rick WilhiteとともにVIBE incのスタッフでもある。彼の才能が冴えるTheo Parrishとの合作「ESSENTIAL SELECTION Vol1(sound signature)と、vol2(Track Mode)などの作品をリリース。Theo Parrishのお勧めDJでもある。
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3 Chairs Japan Tour
Featuring
・MOODYMANN (Kenny Dixon Jr)
・Theo Parrish
・Rick "The Godson" Wilhite
・Malik Pittman(Marcellus Pittman)


【札幌】
2002年7月5日(金) 札幌 Precious Hall
AD :3000/with flyer :3500/Door :4000yen
open/start :22:00
info :011-513-2221(Preciuos Hall)

【東京】
2002年7月6日(土) 東京 Yellow
AD :4000 with 1D/Door :4500 with1D
open :22:00 /start :23:00
info :03-3746-2368(Yellow企画室)

【京都】
2002年7月7日(日) 京都 京都大学西部講堂
(京都市左京区吉田泉殿町百万遍交差点下ル)
AD :3000 with 1D/Door :3500yen with 1D
open :15:00/start :16:00-21:00
info :075-751-9373
info@dj-napalm.net(西部講堂連絡協会)
http://www.dj-napalm.net/3chairs.html

total tour info:
AHB Production 06-6212-2617ahb@hibik.com
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