言葉を超えたヴァイブレーション、ソロ作『GRAND CITY APARTMENT』

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言葉を超えたヴァイブレーションが封じ込められていると信じたい


2000年12月にSMILEの活動を休止。
その後、暗中模索の1年間を過ごしてきた浅田信一が、
須藤晃というプロデューサーとの出会いによって新たな進むべき道を見出し、
逞しく、そして温かい血が通った音楽を、再び紡ぎ始めた。
帰ってきてくれて、ありがとう。

人生最大に煮詰まってました

最新アルバム

『GRAND CITY APARTMENT』

Warner Music Japan
2003年01月22日発売
AMCT-10017 2,100(tax in)

1 DEAD MAN
2 サンシャイン69
3 パラソル
4 バイパス
5 オール246
6 ワールプール
7 GRANND CITY APARTMENT



ワンマン・ライヴ決定!
“DEADMAN is ALIVE”

2003.02.23(SUN)@LIQUIDROOM
OPEN:16:30/START:17:30






浅田信一が所属する新レーベル “TRINITAS”。「新時代の“ロックンロール”を創出する」をモットーに発足したこのレーベルを大特集! ミッチー、SOFT BULLET、Curio、Scudelia Electroなど所属アーティストからのコメントもあります! 
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――もうほんとに、お待ちしておりました! という感じでアルバムを聴かせていただきました。

浅田: 2000年の終わりにSMILEを休止してから、とりあえずソロでやっていこうかとか、人に曲提供なんかもし始めた頃だったんで裏方に徹しようかとか、自分の中でいろんな選択肢が出てきてたんですけど。結果的にね、こういうふうに戻って来れてよかったなぁっていう感じですね(笑)。

――どの辺からソロ活動をちゃんとやろうっていうふうに変わっていったんですか?

浅田: うーん、それはねぇ、今回のアルバムのプロデューサーの須藤晃氏との出会いがあってからですね。それまでは、自分がこれからもし歌っていくとしたら、何を歌っていくべきかっていうことすら見えてなかったんですよ。僕がまだ30歳ぐらいにしてモチベーション下げてグダグダ言ってるのと対照的に、彼は50歳になってもすごく音楽に対してピュアに接していて。そういう姿を見てすごく刺激を受けて、僕もまだまだやれるっていうふうに思ったし、やりたいと思った。

――須藤さんに会ったのは2002年春だそうですが、そこで会わなかったらソロ活動を始めるのはもっと先になっていたかもしれない?

浅田: そうですね。先になってたかもしれないし、あるいは始めてなかったかもしれないですね。と言ってもね、今はもちろん始めて正解だったと思うし、これからも続けていくべきだと思うし、続けていく自信みたいなものも自分の中に今はあります。でも2001年の1年間っていうのは、それこそなんか…うーん、鬱状態だったんですよ、人生最大に煮詰まってましたね。SMILEが無くなって、僕は一人になってなんでも自由にできるって想像していたんだけど、自由になったからこそどこに進んでいいか分からないっていう不自由な感覚に陥ったんですね。だから妙に臆病になって。まぁ人に曲を書いたりとか、自分の曲もポツポツと書いたりとか、ライヴをやったりはしてましたけど、それもなんかやってないとどうしようもないところまで行ってしまうなっていう、防衛本能でライヴをやってたんですよね。

 インタヴュー映像必見です!
――そんな状況から始まって、須藤さんと出会って最初にできたのがアルバム1曲目のDEAD MAN」で。そしてアルバムのラストの「GRAND CITY APARTMENT」はニューヨークに行ってからできた曲だそうですが、この2曲の目線やテンションの違いは、その期間の浅田さんの変化でもありますか?

浅田: やっぱり須藤晃氏とのある種の邂逅(かいこう)みたいなものによって僕は変化をしていったんだと思うんですね。レコーディングでもそうだし、彼と出会って曲を作りながら"このままじゃいけないな"と思って、"じゃあ自分なりにどういうことができるだろう?"って思いながら須藤氏とのコラボレートを続けていって、2002年は何か動きたいなって思うようになって。夏に一人でアメリカに行ったんですけど、アリゾナやニューメキシコあたりを車で旅しながら地に足がついていって。で、テロ以降のニューヨークにはどうしても行きたかったから、そのときにニューヨークにも行ってグラウンド・ゼロを見たんです。それで、あれが象徴する何か…パワーみたいなものが僕にとってはすごく衝撃的で。グラウンド・ゼロって直訳すると爆心地っていう意味なんですけど、その"ゼロ"という言葉、ゼロから何か新しいものに変わっていく姿が僕の姿とリンクして。必然的に、僕の1stアルバムはニューヨークでレコーディングをするんだって、そのときに感じたんです。もちろん言葉や環境の違いでうまく進まない部分も想定していたんですけど、それも含めて、じっくり東京で腰を据えてレコーディングするんではなくて、動いていく……アメリカのハイウェイを走っていたときに、この先にある一生のうちで二度と見ないかもしれない景色の儚いからこその大切さ、みたいな、そういうことを感じながら車を走らせてたんですね。そういうスタンスというか。ニューヨークでレコーディングすることはそんなに珍しくないし大したことでもないのかもしれないけど、今、テロ以降のニューヨークはもう二度とないニューヨークだと思うんですよ。そういう街でレコーディングするということが、僕にとっては重要だったんだと思います。

――実際にグラウンド・ゼロを見て、どんな感想を持たれましたか?

浅田: やっぱり“LOVE & PEACE”とかそういう感想を抱くのは当然なんですけど、でもそれを超越した圧倒的なものを感じましたね。そういう感覚は、僕は今まで人生の中で初めて感じたんですよ。レコーディング中も時間をみつけて何度か行ったし。擬似的には伝えたくないなって思っていて。自分がその場所に行って、何も感じなかったらそれはそれでいいと思うし。なんかね、東京とかで暮らしてたら感じられない、一つの物事に対する盲目さっていうのかなぁ。グラウンド・ゼロのモニュメントに「GOD BLESS AMERICA」とか「アメリカ頑張れ!」とか書いてあって、それがすごいリアルで、そこに訪れる人たちの気持ちっていうのが。そういうふうに考えられたりすることって奇蹟的なことだと思うんですよ。だから、僕もそういうふうに純粋に、音楽に対して思ったことを言える…言えたらいいなと思うんですけど。そういうことがもしかしたらニューヨークに行ったらできるんじゃないかって思ったからニューヨークでレコーディングしたかったし、ニューヨークで曲を作りたかったっていうのがあるのかな。レコーディングのために滞在したのは2週間だったんで、7曲中6曲は日本から持って行った曲ですけど。「GRAND ~」はニューヨークで書いたんだけどニューヨークのことを歌った曲ではなくて、いろんな人に支えられて僕はやってるんだっていう…須藤さん、マネージャー、ディレクター、事務所のプロデューサーも、本当に1年間何もやんなかった僕をみんな待っていてくれて。その人たちのために頑張ろうっていうんじゃないんだけど、その人たちに支えられて、やっぱり俺は頑張るべきなんだなって思って。僕ね、"頑張る"っていう言葉がすごい嫌いだったんです。だって、もういっぱいいっぱい頑張ってるんだから「頑張れ!」なんて言われたくないっていう感じで。でもなんか最近はイイなと思えて。もっと頑張れるんだよな、とか思うんですよね……話ズレて行ってますけど…なんか、そう…頑張りました(笑)。

――「GRAND ~」は今作の中で唯一、作詞、作曲、演奏、歌、全て浅田さん一人で完結させた曲ですよね。

浅田: このアルバムのいいところってラフなところや乱暴なところだと思うんです。僕が一人で作っていたら、ある種の達成感や安心材料を求めるために作り込んで、"今"を出せるアルバムを作りたかったのに、だんだんそういうことを忘れてしまったでしょうから。で、それを象徴しているのがまさに「GRAND ~」で、書いた日の夜に須藤さんの部屋に行って歌詞を見せてギター弾きながら歌って。「じゃあ明日レコーディングしよう」っていうことになったんですけど「この曲は一発録りで、ギターも歌もハーモニカも全部一緒にやってくれないとダメだよ」って言われて。で、ブースに入って、エンジニアとアシスタント・エンジニアと須藤さんの前でライヴをしたわけです。僕としては"ギターとちってるし直したいなぁ"と思ったんですけど、須藤さんが1テイクしかやらせてくれなくて。そのとき須藤さんに「この曲はそういうふうにして人に伝えるべきだし、これをレコードにすることがこれからの浅田くんのキャリアの中ですごく大きな意味を持つし、自信にもなると思うよ」って言われたんですよね。それで、レコーディングしたテイクをコントロール・ルームで聴くときにね、アメリカ人のローディーがミキサーの一番真ん中に座ってて「俺が聴きたいんだからどけよ!」とか思ったんですけど(笑)、プレイバックが始まったら聴き入っちゃってどかないんですよ。で、彼はアメリカ人で日本語わかるはずないのに、歌詞の"ここを聞かせたいんだ"っていうところで目をつぶって相槌打ったりしてて。7分近い曲なんですけど、アメリカ人がその7分間一歩も動かずに目をつぶって聴いている光景を見て、言葉を超えたヴァイブレーションみたいなものがこのテイクには封じ込められているんだろうなって…そう信じたい。なんかね、今回ほんと、ニューヨークで僕は自由にバカができたんですよね。それはやっぱり、一流のミュージシャンたちが周りをガッチリ支えてくれたんで、僕自身はやんちゃなことができて。バンドでやってたときは"僕がしっかりしてないと"っていうのがあったけど、今回はわりと野放し状態で(笑)。

――で、早くも2ndのレコーディングをロンドンで終えて、帰ってきたところなんですよね?

浅田: はい。ニューヨークでレコーディングするっていうことを決めた段階で、もう1枚はロンドンでレコーディングしたいというのは最初からあったんですね。それはなぜかというと、『GRAND ~』はいずれも須藤氏とのコラボレートで生まれた曲で、みんなと会ってバカ騒ぎをしてる、外に出てるときの僕を出した作品。ロンドンでレコーディングしてきた曲は、須藤氏とのコラボレートを終えて家に帰って、寝る前に一人でいろいろものを考えてるときに書いた曲なんです。それらを1枚のアルバムに入れるっていうのはちょっとナンセンスだなって自分の中で感じたので、2枚に分けたかったんですね。で、2枚に分けるんだったら、1枚は今の僕を象徴するニューヨークで、もう1枚は僕のルーツ・ミュージックのUKミュージック、ロンドンでレコーディングをしたいって思っていたんです。だから1stと2ndは、言ってみたらコンセプチュアルなもので、裏と表、ネガとポジです。でも両方あって僕だとういうふうに僕自身が思ってるんで。

――ロンドン・レコーディングはどうでしたか?

浅田: ニューヨークでこれだけ僕の、ある種の日常の切り取りというか、乱暴なものができたから、逆に、より僕の本質的な部分を迷いなく追求できましたね。"とことんやっていいだろう"って割り切れていたし。セルフ・プロデュースだったから大変だったんだけど、それはそれで充実してました。

――ロンドンも2週間の滞在だったそうですが、その時間で作り込むってかなりハードですよね?

浅田: “半分ぐらいは観光できるだろう”ぐらいな感じで行ったんですけど、フタを開けてみたら、もう全っ然それどころじゃなくて。最後の方とか徹夜3日ぐらいで、ハイテンションと鬱が5分おきぐらいにやってくるみたいな感じ(笑)。ナチュラルハイな状態で、いわゆる気が★ったような世界観は作れたんじゃないかと思います(笑)。イキきれたと思いますね。

――浅田信一のハイとロウが『GRAND ~』と次のアルバムの2枚に表われていると。

浅田:そうですね。

――2月にライヴがありますけど…。

浅田: あ、もう今はライヴ楽しみです。大丈夫です(笑)。楽しみにしててください。

取材・文●望木綾子

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