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ヴィンス・ニール(Vo)
ミック・マーズ(G)
ニッキー・シックス(B)
トミー・リー(Dr)
17歳でロック・ミュージシャン生活を始めたニッキー・シックスは、'81年にトミー・リーとニュー・バンド結成の話を進める。ギタリストのオーディションでミック・マーズと出会い、地元のバンドでヴォーカリストとして活動していたヴィンス・ニールをヴォーカリストとして迎える。バンド名"MOTLEY CRUE"はミックのアイデアにより決定。

'81年12月にアルバム『華麗なる激情』をインディーよりリリース。このアルバムが評判となり、'82年6月にメジャーのELEKTRAと契約。同アルバムを部分的に修正し、ロイ・トーマス・ベイカーがリミックスを行ないメジャーより再リリース。若いメタル・アーティストとしてMOTLEY CRUEは一気に注目を集めた。

その後KISSやオジー・オズボーンの前座として出演し、確実にバンド名を広めていく。'83年9月にリリースした2ndアルバム『シャウト・アット・ザ・デヴィル』は、全米アルバム・チャート最高位17位、プラチナ・ディスクを獲得した。'84年に行なったヨーロッパ・ツアー終了後、すぐに次のアルバム制作に取り掛かる予定だったが、メンバーの交通事故やドラッグなどの問題が発生。最悪の状況でレコーディングを行うこととなる。しかし、このとき制作した'85年6月発表の3rdアルバム『シアター・オブ・ペイン』は、全米最高位6位をマーク、トリプル・プラチナムを獲得する。また、内部事情とは裏腹に、MOTLEY CRUEの人気は爆発的なものとなり、'86年初頭に行われたイギリス~ヨーロッパ・ツアー終了後にはヘヴィ・メタル・バンドとしての頂点に立つ。

'87年3月に4thアルバム『ガールズ、ガールズ、ガールズ』をリリースし、好記録を残しているが、この頃ドラッグ漬けの生活にニッキーが仮死状態にまでなるという状況に陥っていた。その後ドラッグを体から抜き、クリーンとなったMOTLEY CRUEは、'89年9月に5thアルバム『ドクター・フィールグッド』をリリース。初の全米ナンバー1を記録した。その後、ヴィンスの解雇や復帰、レーベル"MOTLEY RECORDS"の立ち上げ、トミー・リーの脱退、新メンバーランディ・カステロの加入など、さまざまな出来事の中、ニューアルバムやベストアルバムをリリースし、いずれも好セールスを記録。

'01年に活動休止宣言後、'02年3月にドラムのランディ・カステロが病死。'04年にオリジナルメンバーで再結成し、ワールドツアーを行なっている。

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