【佐伯 明の音漬日記】中島美嘉・NANAに想う70年代パンク

ポスト
2006.12.×

NANA starring MIKA NAKASHIMAのアルバム『THE END』を聴く。

R&B系な楽曲からジャジーなもの、
アーロン・ネヴィルと演ったニューオルリーンズ的なもの、
そして、ジャパネスクな楽曲まで飲み込んではアウトプットしてきた中島美嘉が、
コミックから派生した映画に関与することによって獲得したキャラこそNANAであり、
パンキッシュなロック・ヴォーカリストであった。

この場合、どの中島が真の姿なのかを問うのは、まったくのナンセンスである。
“中心と周縁”というテーマは、彼女には当てはまらず、
どの場合も彼女にとっては中心であり、と同時に、すべてにおいて
「優位性はない」のであろう。

中島のカリスマ性は、そうした並列するジャンルを渡り歩きながら
確実なクオリティを作り出すところに生起しているはずだ。

HYDEやTAKURO、Lori Fine(COLDFEET)といった作家陣、
根岸孝旨や土屋昌巳といった編曲陣が脇を固める本作は、
1970年代後期にニューヨークとロンドンでほぼ同時に起こった
パンク・ムーヴメントを期せずしてかつてない角度からとらえるアルバムでもあるし、
2006年をタフに刹那に生きる楽曲集でもある。

一方で、僕の興味が尽きないのは、2次元のキャラを3次元に置換した際に、
シームレスで再現できる中島が持つ“透明感という名の距離感”である。
今、表現に携わる人間が持っておく必要があると思われる、
この「次元を置換し飛び超えていくアビリティ」に照準を合わせていく時、
どうにも立ち上がってくる「どこにも優位性はない」というポイントは、
かつてセックス・ピストルズが歌った“愛らしい空虚”とは似て非なるものであろう。
実に興味深い。

NANA starring MIKA NAKASHIMAのニュー・アルバム
『THE END』
好評発売中

この記事をポスト

この記事の関連情報