もともと演歌・歌謡曲という流行歌中心だった日本の音楽界に自作自演アーティストの出現によりフォーク、ロックというジャンルが生まれたのが’60年代後半。ことに女性ヴォーカリストに限っていうと、加藤登紀子や森山良子らがその時期に登場。’70年代に入ってユーミンこと荒井由実(現・松任谷由実)が登場し、一躍ヒットアルバムを連発する。ニューミュージックという言葉がポピュラーに使われるようになったのはこの時期からである。
その少し後、東京という最先端の街のオシャレ感を匂わせて登場したユーミンとは対極ともいえる、雪で根深い北海道から中島みゆきが登場。コンプレックスや別れなど、重いテーマを独特のヴォーカルスタイルで歌う中島も絶大な支持を獲得するのに時間はかからなかった。その後、フォーキーなものから次第にニューミュージックスタイルの女性シンガーソングライターが増えていき、’80年代アイドルブームの流れを汲むGIRL POP系アーティストへ進展。ことロックといえば、’80年代中盤のバンドブームに活躍したプリンセスプリンセスの奥居香、SHOW-YAの寺田恵子から、Dreams Come Trueの吉田美和、リンドバーグの渡瀬麻紀、JUDY AND MARYのYUKIなどに受け継がれていった。
ビーイング時代、小室哲哉時代を経由して’90年代中盤になり、外資系大型ミュージックストアが急激な成長を遂げていく過程に“J-POP”という言葉が生まれる頃には、ジャンルも多種多様になっていき、ポップスからは宇多田ヒカル(’99年~)、鬼束ちひろ(2000年~)、R&BではMISIA(’98年~)らが現われた。特に、中島みゆきの流れを汲んでいるようでもあるCocco(’97年~)、椎名林檎(’99年~)など、より個性的に、かつ本物志向のアーティストが指示を得るようになった。“うねり”や“叫び”ともいえるヴォーカルスタイルでアルバムをミリオンに導いたCoccoや椎名、鬼束などの成功から、そのフォロワーともいえる個性派女性ヴォーカリストが続々登場しているのが最近のJ-POP界である。
いつものようにメーカーから届く数ある新曲をランダムに聴いていて「選択の朝」という楽曲が妙に気になった。レッド・ツェッペリンの「天国への階段」、アニマルズの「朝日のあたる家」、ガンズ・アンド・ローゼズの「ドント・クライ」、ジョー山中の「人間の証明」、ARBの「ファクトリー」……。
なんだろう? 何か懐かしいものを思い出させるメロディーを奏でるギターと、<mama!><daddy!>という印象的な言葉たち、そして、静と動が混在している、まるでつかえてるものすべてを吐き出してでもいるような哀しいヴォーカル。斬新なそのタイトルも充分気になる。繰り返し聴いてみるが、何度聴いても飽きるどころか、またプレイボタンを押してしまうという、まるで中毒的症状を誘うヴォーカリストは“亜矢”という女性シンガーであった。
また気になるのが、この詩、曲、アレンジ、ギター、ベースを亜矢自身が手がけていることと、その他のミュージシャンのクレジット。そして、カップリングで収録されている中島みゆきのデビューアルバム『私の声が聞こえますか』の1曲目「あぶな坂」をヘヴィなロックにアレンジしてのカヴァーである。このマキシシングルが3枚目、タイミングよくして1stアルバムがリリースされるという…。
久々の衝撃が走った。
亜矢は中島みゆきと同じ北海道で生まれ育った。ニルヴァーナの傑作『ネヴァーマインド』に衝撃を受け、たくさんのパンクやハードロックを聴きあさった中学時代を送るが、家庭の事情で高校1年で高校をドロップアウトしている。以後、アルバイトを転々としながらバンド活動を展開。ギタープレイヤーとして、セックスピストルズなどをカヴァー。ある日、バイト先のパブで東京から来たという客との会話をきっかけに上京を決意。その3日後には上京していたという。ひょんなきっかけでメジャーデビューを控えたバンドのヴォーカルに抜擢されるが、CDリリース目前にバンドが空中分解。以来3年間、自分で曲を作っては、独自に8トラックのレコーダーに録音をし続け、米軍基地や渋谷の路上で歌うという生活を送っていたそうだ。
そんな亜矢から生まれた楽曲の数々は、彼女の殺伐とした“生き様”そのものがまるで“音”に変換されたようにヒリヒリと、そしてメロディーは豊かに、言葉は“凶暴なまでに純粋な愛の”描写で溢れていた……とある。
世界的ロック・スターとの“シアトル・セッション”が実現
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そんな彼女のデモテープがシアトルに渡り、パール・ジャムやレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンのプロデュース、リンプ・ビズキット、レッド・ホット・チリ・ペッパーズのミキシングなどを手がけるシアトル音楽シーンの中心的人物“アダム・キャスパー”のもとに。一発で気に入ったアダムは他のスケジュールをペンディングにしてまで、亜矢のレコーディングを熱望したという。
アダムのブッキングでドラムにはパール・ジャムのマット・キャメロンが、ベースにはモンスター・マグネッツのジョン・マクベインが参加。また、偶然スタジオに遊びに来て亜矢の楽曲を聴いたサウンド・ガーデンのキム・セイル(G)、ウォーカーバウツのグレン・スレーター(Key)、そしてなんとニルバーナのクリス・ノヴォセリック(B)が、予定外に次々レコーディングに参加していくという事態に発展。シアトル発の人気バンドが勢揃いするという豪華極まりないセッションが実現したのは、日本人アーティストではもちろん、世界でも亜矢が初めてのことである。
先行のマキシシングルも含めて計3回に渡るシアトルでのレコーディングで、昨年夏の時点でほぼ完成していたという亜矢の1stアルバム『戦場の華』がそれだ。驚くことに完成したアルバム収録曲の90%は、亜矢が独自に録り溜めたデモテープのアレンジのままに新緑されたそうだ。それも豪華な夢のメンバーで……。
ただし、豪華なミュージシャンたちはあくまでもコロモである。やはり何よりもベースになる亜矢のヴォーカルと、その楽曲たちが強烈なパワーを放っているのである。
時代の進化とともにユーザーの耳が肥え、評論家とユーザーの境がなくなりつつある現在、作られた偶像のアーティストはもはや必要とされていない。本物だけが受け入れられるという、ある意味非常にストイックな時代に、亜矢というロック・アーティストの存在は必然をもって登場してきたのは間違いない。