倉橋ヨエコ、ラストアルバム『解体ピアノ』特集INTERVIEW

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──最後の曲「輪舞曲」。この悲しみを笑い飛ばせるようになったのはいつのこと? それともまだ?

倉橋ヨエコ:『解体ピアノ』を産んで、今は笑えてますが、またすぐ泣いてるかもしれません。分かりません。きっと人って人生でたいしたことはそうそうできず、必死に毎日を繰り返して行くうちに、日替わりの感情で結局生涯を終えて行くのかなあ…とかも思ってみたりします。人生奇麗には運ばないし、後悔したまま死ぬこともあるかもしれない。長い目で見ることも必要だけど、嬉しくても辛くても、その日その日の正直な自分を積み重ねられたら幸せだと思うし。人それぞれ、知らぬ間に人生の集大成もできていってると思う。そんなもんかなあって。そしてそれでいいのではないかと、素の私もそう考えてます。

──メロディ、アレンジとも多彩で、とても音楽的に興味深いアルバムに仕上がっています。これまでどういう音楽生活を送って、こういう多彩な音楽性を身に付けたのですか?

倉橋ヨエコ:まず私は自分の曲を子供だと思ってます。歌詞を書いて歌に乗せ、ピアノで伴奏した段階で表現者としてはもう満足です。健康でかわいい裸の子供が体から転がり出て来た愛おしさです。プロデューサーやアレンジャーには、“産みたてのこのしわしわな裸で外を歩かせる(世にCDとして出す)わけにはいかないんで、何かかっこいい服、面白い服、刺激的な服…お任せしますので着せてやってください”と、お預けするんです。そうしたら、自分では着せてやれなかった色んな服を身に纏い、子供らが帰ってきたら“わあ~こんなええ服を着せてまえて、ありがたいのう。うちの子ラッキーだわー!”となります。どんなアレンジの服でもただただ珍しくって嬉しくて、母ちゃんは棚ボタ気分なんですね。そんな風に思う訳は、3歳の時から大学まで、ピアノをクラシック畑でマイペースにやってきただけの無知さでしょう。他のジャンルの音楽の楽しさを知らないが故、何を聴いても子供みたいに耳が新鮮です。こだわりもないし。でも、やりたいことは1つではっきりしている。歌詞を伝えるため。音楽は言葉の架け橋。こういう本来ミュージシャンとしては狭く生きにくい、でもはっきりしてる感じが、逆に多彩感に吉となってるのかもしれません。

──昭和歌謡、アングラ、自虐感、こういう世界観は創作上のモチーフだったのか、それとも現実的なものだったのか。現実的なものだとしたら、どうしてこういう世界観があなたの中で形作られてきたのでしょうか。

倉橋ヨエコ:昭和は、この発声法が一番生かせて気持ちいい時代なんですよね。自然な小さいかわいい声出せないんです(笑)。発声も昼ドラです。歌詞の世界観は地です。そうとしか思えないから歌詞にしたくなるし…。たぶんコミュニケーション能力があって、人と絡むのが好きで、サービス精神があり、気遣いのできる素晴らしい人間だったら、歌いたいとも思わなかったと思います。そんなまどろっこしいことをしなくても、十分言葉で伝わるし生きて行けるから。上手に愛したり愛されたりができないが故、その悲しみが渦積もり、こんな歌を作らせるのかなあと思います。しかもたぶん、自分はひどい人間なので歌えるんだと思います。特に、表現の世界では、人のことを思いやったり気にしたら、正直な意志は突き通せないし、歌えなくなります。人生的にはまあ簡単に言うと、元々引きこもりのいじめられっ子です。歌はその溜まったものの破裂です。でもいい歌ができると、大逆転。いじめてくれてありがとうと幸福さえ感じます。そんな感性が忙しい人間です。

──9月にリリースされるベスト盤には、最後の新曲が入るとのこと。この新曲はどんな曲なのか、ヒントを教えて。

倉橋ヨエコ:8年間やってきた“音楽”との歩みは何だったか、ということを思って作りました。もうタイトルの一言でわかりますよ。あとは聴いていただいてのお楽しみです~。

──歌手生活8年間で印象に残った思い出は?

倉橋ヨエコ:もちろん音楽的なことも学びましたし、歌詞を書かせる人間としての部分も少しは成長したとも思うんです…。曲を作り始めた頃の未熟な自分に会ったら、確実に“このこんちきやろうめ!”と殴ってますねー。見てられなくて。だからこれから平均寿命まで生きるとしたら後50年(笑)。この8年があったかなかったじゃ、人として全然違う人生を歩むんだと思うんです。ファンの皆さん、スタッフの方々、バンドメンバー、プロデューサー、ミュージシャン友達…本当にたくさんの人との出会いと言葉で頂いた刺激が1つ1つ思い出です。

──ファンへのメッセージを。

倉橋ヨエコ:最初私は勝手に歌手になりました。歌は自分一人で作っているとしか思ってませんでした。でも、誰かに聴いてもらうことで、私が吹き込んだ以外の第二の新しい命も宿ることを知りました。それはファンの皆様の言葉や応援を頂いて、気づけたことでもありました。それをまた私は新しい曲を歌うパワーにしてました。こんな風に自分勝手に歌手になったつもり人間が、最後は皆様にちゃんと歌手にしていただき、表現者として幸せな結論が見えました。素晴らしい経験をさせていただき、命への息吹をいただき、8年間本当にありがとうございました。最後に。宜しければラストライブ<感謝的解体ヨエコツアー>で、倉橋ヨエコの解体を見守りに来てくださいね。皆様への感謝で壊れて逝きたいと、わくわくしております!それでは、その時までさよならはまだいいませんよ。またお会いできるのを楽しみにしてます!!

構成・文●森本智

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