LOUDNESS二井原実インタビュー[後編]「常にLOUDNESSらしくデカい音でやる。“あの人”がやり続けたかったことでもあるはずだから」

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二井原:1曲、高崎君が歌ってるんですよね。「Where am I going?」という曲でのヴォーカルは、全部彼です。前回のアルバムから「ちょっと1曲歌わせて」という話が出てくるようになって。彼は、僕が持ってない声を持ってるんですよね。曲によっては彼のほうが得意というか、彼の声のほうがハマる場合もあるんです。いわゆるデス・ヴォイスみたいなのが、僕はできないんで。最近、クリーンなヴォーカルとデス・ヴォイスが同居するツイン・ヴォーカルのバンドも多いじゃないですか。そういうイメージで解釈してもらえればいいんじゃないか、と。とはいえ、さすがに彼も“弾きながら歌う”というのは結構キツいようで、「歌いたいのはやまやまなんだけど、ライヴを考えると」というジレンマがあるみたいなんですけどね。いわゆるギター・ソロがなくても、あのリフを弾きながら歌うというのは大変なことだし。

――自分以外の誰かがヴォーカルをとる、ということに抵抗はないんですか?

二井原:まったく。たとえばAEROSMITHでもジョー・ペリーが歌う曲があったり、ROLLING STONESだってキース・リチャーズがちょこっと歌ったりするのがカッコ良かったりするじゃないですか。そういう意味では全然アリだなと思うから。

――しかし二井原さん、ハイトーンが相変わらず強烈ですよね。失礼な言い方かもしれませんけど、まったく衰えがない。そこにこだわり抜きたい、という気持ち自体がモチヴェーションになっているようなところもあるんでしょうか?

二井原:というか、歌っていて美味しいところを探そうとすると、結局そこに行き着いてしまう。自分自身が「歌い切ったな」「これは満足だ」と思えるようなテイクを録ろうとすると、どうしてもハイトーンになってしまうんですよ。それがいいのか悪いのかはわからないけど(笑)。

――その声を保つために、普段から心掛けていることというのは何かあるんですか?

二井原:まず、お酒を呑まなくなった。あと、運動をするようになった。一度、声が出なくなってしまったことが過去にあって、それ以来、もう一度基本的な発声というものを見直そう、と。それ以降10年くらいは、日課のように基礎的な発声練習をしていますよ。

――つまり、10年前よりも健康的に歌えているということですね?

二井原:ええ、確実に。声域も2音くらい上がってるし、下ももっと出るようになってきているんで。しかも、スタミナもついてきた。

――怖いもの無しじゃないですか!

二井原:いや、いい状態なのは確かですけど、そうやってケアしていても風邪を引くときには引くし、7日間とか8日間とか連続で歌うということになると、やっぱり出るものも出なくなってくる。3連チャンくらいなら大丈夫なんですけどね。海外とかだと何日もライヴが続くことがあるし、しかも日々、移動でしょ? まるでサーカスですから(笑)。

――そんな生活が、嫌になってしまうことはないんですか?

二井原:いや。やっぱりライヴが楽しいんですよ。それに尽きますね。オーディエンスが待っててくれてるというのもあるし。初めて行く場所に自分たちの音楽を知ってる人がいてくれるということだけでも相変わらず驚かされるし。高崎君はとにかく「世界に通用するバンド」というのを発端にLOUDNESSを始めたわけで、日本で何が流行ろうが眼中になかったというか(笑)。そういう部分もまったく変わってないですし。

――当時の経験を通じて、二井原さんにとっていちばん財産になったことというと?

二井原:何もかも、ですね。LOUDNESSというバンドのヴォーカリストになれたということ自体が何よりも大きな経験だったし、そのバンドで海外に乗り込んでいけたことも自分のなかでの“宝”だし。今、こうして話をしているのも、ある意味、あの頃の経験があったからこそだと思うんですよ。実際、とにかく無我夢中だったから、あんまり客観的に自分の置かれてた状況を把握できていたとは思わないんだけども。海外でのツアーなんて、言われるままに移動して、着替えて、歌って、また移動して…という繰り返しでしたよ。でも、そういう日常から戻ってきてこんなふうにインタビューとかで話していると、「ああ、自分らはそんなにすごいことをしてきたのか」と感じさせられる。台風の真ん中にいると、わからないことってあるじゃないですか。それと似てると思うんです。

――日本国内の状況も、LOUDNESSに対する風向きみたいなものも、だいぶ変わってきましたよね? かつては“日本のバンド”というだけで拒絶する人たちも多かった。

二井原:今でもいますよね(笑)。でも確かに変わってきた。2009年の<LOUD PARK>とかはビックリしましたよ。自分たちの演奏中にあんなにお客さんが集まってくれるとは思ってもみなかったし、思いのほかリアクションも良かったし。あのときのお客さんには若い世代も多かったはずだし、LOUDNESSの名前は知っていても観たことのない人がほとんどだったんじゃないかと思うんだけど。

――そこで実際、そういう人たちを振り向かせたわけですよ。

二井原:曲を重ねていくにしたがって、会場のヴォルテージが上がっていくのがわかりましたからね。そこに「日本人だから」という変な差別はなかったように思います。純粋に音に反応してくれたというか。そこで「もう1回観てみたい」と思ってもらえるようなライヴをすることが重要なんですよね。それは国内も海外も同じことで。親子で観に来てくれるようなファンもいますからね、向こうだと。

――しかし2010年はとにかく、いい機会が目白押しですよね。LOUDNESSに初めて触れようとしている人たちにとっても。

二井原:そうですね。とにかく2011年は30周年ですから、2010年は目一杯アグレッシヴに活動して、2011年に繋げていきたいな、と。

――最新アルバムのブックレットには、亡くなった樋口さんに対しての「あなたは永遠に我々にとってのヒーローだ」という意味の英文があります。たとえば活動をしていくなかで「今ここに樋口さんがいたら、こんなことを言うんじゃないか?」みたいなことを考えることもあるんでしょうか?

二井原:それはむしろ、ないかもしれない。ただ、とにかく「バンドを動かす」というモチヴェーションをずっと燃やし続けようとしていた人だから、その遺志は確実に受け継いでいかなきゃいけないと思うし、樋口さんに対して恥ずかしくない音楽をやっていかないと、とは当然思います。でも結局は、一生懸命にバンドを続けていくということ。それがあの人に対してできる最大のことだと思うんで。妥協なく、中途半端じゃなく、納得のいく状態で、常にLOUDNESSらしくデカい音でやる。それがみんなの求めてることでもあるはずだし、樋口さんのやり続けたかったことでもあるはずだから。

――最後にもうひとつ。年月を重ねていくなかで、ミュージシャンも“年のとり方”みたいなものを考えなければならなくなってくるところがありますよね。でも、LOUDNESSは間違っても“枯れ”を逃げ道にするようなバンドであってはいけないと思うんですよ。

二井原:そうですね。もっとアグレッシヴに、もっとハードに、もっとスピーディーに。そうじゃなければLOUDNESSではない。もしも仮にもっとブルージーなこと、ジャジーなこととかをやりたいんであれば、それは他の場でやればいい。LOUDNESSは、そういうことをすべき場所ではないと思うから。

文/撮影 増田勇一

<樋口宗孝 追悼ライヴ>
『EVERLASTING MUNETAKA HIGUCHI 2010』
2010年11月14日(日)東京・渋谷 C.C.LEMON HALL
OPEN 17:00 / START 17:30
出演:LOUDNESS、他

<LOUD PARK 10神戸公演>
10月16日(土)神戸ワールド記念ホール

◆LOUDNESSオフィシャルサイト
◆<LOUD PARK>オフィシャルサイト
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