【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第34回「岡山城(岡山県)卓偉が行ったことある回数 8回くらい」

ポスト

古写真を見る限り城の櫓や門が大抵黒か城のツートーンカラーでまとめられている。市松模様である。いわゆる新宿LOFTのステージである。まさにツートーン、スカの定番カラーである。超スカな城なんである(無理矢理もいい加減にしろ)

広島と反対のお隣の兵庫県姫路城が真っ白な城に対して、岡山城は真っ黒である。このコントラスト、残っていたら最高だったのだ、姫路城と岡山城でツートーンよろしくスカだったはずなのに。全部上から弾かなきゃスカじゃねえのに。下から弾いたらスカじゃねえのに。そりゃカッティングだし。1弦と2弦だけしか弾かねえし。それは別にさぼってるわけじゃねえし。全部の弦弾いたらスカじゃねえし。ツートーンのギタリストの基本だし。

築城は1590年代。たくさんの大名が入れ替わり立ち替わりしてきたが城の基本ラインは秀吉に仕えていた宇喜多秀家が建てて、最終的には池田家が幕末まで治めることとなる。その都度城を拡張していくというお決まりパターンで幕末まで行き、その後は発展と共に堀も埋め立てれ、櫓や門も取り壊される。が、天守やその他本丸にあった月見櫓などはそのまま現存。なんとその後は本丸に中学校も建設。本丸御殿の場所にそのまま中学校の校舎が建てられている(あれだけ広い本丸御殿をそのまま学校として使うという概念はなかったのだろうか?まあええか)

昭和3年に天守は見事国宝まで上り詰める。が先程書いたように米軍の空襲により、月見櫓と西の丸西手櫓を残してすべて焼失してしまったのである。もうマジでマジでマジでマジで残念でならない!!!!!戦争反対!!!!!!ラフィンノーズの戦争反対を大合唱したい。現存していたら私は日本で一番好きな天守は岡山城天守だと宣言しただろう。

と、まあここまでまずは熱く天守について語ったわけだが、現在は外観復元された天守が建っている。城マニアにはまったくもっていただけない。しかも瓦に桐の紋が使われていて秀家のイメージで再建されている、そんなのいらんわ。

本丸から天守を望むとまさに横広、真ん中の地下1階に天守の入り口があるが左手に見えるちょっとしたでっぱりが塩蔵である。このデザインはとても好きだ。でも天守を近くで見るとまさにコンクリート過ぎて切ない。口パクしてるアーティストのライブを観に行ってふと気付くと「これCDをでかいボリュームで流してるだけやん」という感覚に近い。

っていうかマジでもう一度木造建築で立て直さない?データも古写真もちゃんと残ってるんだし。それを望みたいです。
この記事をポスト

この記事の関連情報