【連載】Vol.100「Mike's Boogie Station=音楽にいつも感謝!=」

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祝100号記念! キース・リチャーズ&ザ・エクスペンシヴ・ワイノーズ“Live at the Hollywood Palladium”!!The Loosest Tight Band You've Ever Heard なのだ!!!


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

2016年11月にスタートした“Mike's Boogie Station”、早いもので本号でVol.100を迎えた。月に2号のペースで好きな音楽とそこへ関係する愛すべきミュージシャンや仲間たちのことを書きなぐって来た。生来LIVE&インタビュー大好き人間としては、“生”情報が多かったような気がする。これからもこの姿勢を変えズガンコに貫いていく予定だ。

ところで前号で“僕はニュー・チューンズFCにも所属してこのことがRSFC創設へ進んでいくんだけどその話しはネクストVOL.100で…”と記したのでちょっとそこに触れておく。僕がアメリカン・ヒット・チャートのニュー・チューンズFCに入会したのは1964年のこと。当時大学生のお兄さん、中谷会長のお手伝いから全ては始まった。その中谷さんがロイ・オービソンのFCを立ち上げた。ビッグ・オーことロイのレコードは当時キングレコードから発売されていたが当時FC設立・活動にあたりそのアーティストの所属しているレコード会社担当者と協力し合っていた関係で、中谷さんに連れられてキングレコードに時々行くようになった。丁度僕が中2になる寸前の春休みだった。或日、同レコード/ロンドン・レーベル担当の武田ディレクターが僕を視聴室に連れ込み、“今度ビートルの対抗馬としてこれを売り出そうと思うんだけど、先ずは聴いてくれ”。ローリング・ストーンズの「Not Fade Away」だった。僕は一瞬にしてミック・ジャガーの“声”に犯られてしまった、彼のヴォーカルにノックダウン。


▲from Mike's Collection

すぐさまストーンズ・ファンになり、東京オリンピック前の9月には夕方からキングレコードでナリスマシ電話のアルバイトを始めた。今も時々遊んでるご近所さんでもある開進第三中学校同級生・野口クンも参加した(ちなみに彼とは2016年にストーンズら6アーティスト出演のデザート・トリップも一緒だった。MBS・Vol.2チェック・イット・アウト  https://www.barks.jp/news/?id=1000135099)。このバイトは文化放送/電話リクエストに2時間近くダイヤルを回しリクエスト曲を入れる。“ストーンズのテル・ミーお願いします、文京区の音羽二郎です”こんな感じだ。交換手のお姉さんも段々と僕の声を覚えちゃって、“今度は何所の誰にする!?”。又ある時なんかTELトークが盛り上がって、こんどお茶でもいかが…、な~んて(笑)。

65年に友人達とRSFC結成。僕は高校受験を控えていたので脇役、初代会長は今でも付き合っている1年先輩の細川さん。ミュージック・ライフ同年8月号(表紙はあのビートルズ&和服の星加ルミ子さん)掲載“座談会 ローリング・ストーンズを楽しもう”に臨席している。そして66年春から二代目会長に就任した。


▲ML65年8月号48頁 from Mike's Library

ところで64年3月20日発売された日本のストーンズ・デビュー・シングル「彼氏になりたい/ストーンド」(HIT-323)ライナーノーツのメンバー紹介を見ると・・・
○ケイス・リチャード(Keith Richard)ギター
○マイク・ジャガー(Mick Jagger)歌 ハーモニカ
○ブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)歌 ギター ハーモニカ
○ビル・ワイマン(Bill Wyman)歌 ベースギター
○チャーリー・ワッツ(Charlie Watts)ドラムス
こう記されているのだ。ミックのマイクはマァ分かるけど、ケイスは笑う(この当時はバート・バカラッチャ、ボブ・ダイラン、シュープリームスの時代)シングル「テル・ミー」ライナーもケイス、そして驚くことにビルは“クイマン”と記されている。

直ぐにキースと訂正され正しく呼ばれるようになった。64~66年頃はミックとブライアンがダントツ人気でケイス、じゃなかった(笑)キースはそんなは注目されなかった。キースが気骨あるロッカーとして話題を集めたのは60年代末期から70年代初頭にかけてのこと。その頃から熱狂的キース・フリークが増えていく。現RSFC会長の池田祐司さんもそんな一人だ。

MBS/Vol.100記念号はキース・リチャーズ&ザ・エクスペンシヴ・ワイノーズ、11月13日リリースのニュー・マテリアル『Live at the Hollywood Palladium』にスポットライトを当てたいと思う。【Mike's Boogie Station 音楽にいつも感謝!】のフロント・カバーにはキース&ロニー・ウッドと僕の3人ショットを使用させて貰っているけど、キースとのツー・ショットとサインは各10~20位はあるだろう。ピックだって本人から直接頂いたもの以外にも、某RS公演でフロント・ロー・キース・サイドにいた時に曲終りで彼がスローイングしたピックを偶然にもキャッチしたこともあるものなど、最新ヴァージョンも含め結構な数のPが引き出し中を徘徊している。
それでもキースと初めて直接言葉を交わしたのは割と最近、88年のことだ。この年の10月キースは初のソロ・アルバム『Talk I Cheap』を発表。


▲ストーンズ初来日時の1990年2月ヴァージン・ジャパンは東京ドーム/バックステージでキースにゴールドCDを進呈した。そのCDと同じものを僕もヒットに協力したということで頂いた。 From Mike's Collection

そしてこのアルバムをフィーチャーしてのキース・リチャーズ&ザ・エクスペンシヴ・ワイノーズのUSツアーが11月24日から12月17日まで敢行された。高い酒をガンガン飲む奴ら、と命名されたバックのミュージシャンはワディ・ワクテル、アイヴァン・ネヴィル、チャーリー・ドレイトン、スティーヴ・ジョーダン、ボビー・キーズ。後に僕は彼らと機会ある毎に呑み、語り合うようになる(ワディには今年じっくりとインタビューした、Vol.87 https://www.barks.jp/news/?id=1000179531 )そして女性ヴォーカルはサラ・ダッシュ(ラベルのメンバーとして有名)、彼女ともバルセロナでミッドナイト・セッションで盛り上がった。敏腕・職人ミュージシャンがキースをサポートしたのだ。そんなキースのステージを求めて僕は88年12月ボストンに飛んだ。同地での初日4日にローガン空港に到着。しかし到着時間が予定より大幅に遅れた関係で空港からタクシーでスーツケース持参で会場のオーフューム・シアターに向かったが時すでに遅く、丁度会場から観客たちが出てきたところだった(涙)。以来、海外でコンサートを楽しむ際には余裕を持って必ず前日入りとすることに決めた。この夜からHTLはキース一行と同じところ。そんなこともあって翌5日のコンサートには前夜飲みすぎアイヴァンの付き人となって一緒にタクシーで会場入り。コンサート後、バックステージで初めてキースに話しかけた。しかし緊張のため何を話したかよく憶えていない(冷汗)。


▲88年12月5日@ボストン Pic.by Mike


▲同 Pic.by Rica

2度目は翌年8月31日にキック・オフしたストーンズのSteel Wheels North American TourのワシントンDC/RFKスタジアム、9月24日ライヴ前にバックステージでメンバー5人と会うことが出来た。


▲89年9月24日@ワシントンDC Pic.by Tony

そして90年2月ストーンズが初来日、この時はミック、キース、ロニー・ウッド、ビル・ワイマンにインタビュー。初来日中のロニー、ビルの各イベントではMCも務めさせてもらった。その後はストーンズのアーバン・ジャングル・ツアーのバックステージやHTLでキースと会うことが出来た。92年キースはアルバム『Main Offender』を引っ提げてのツアー。僕は12月にパリとバルセロナでそのステージを堪能した。バルセロナで観客がキースに向かって“リチャ~ズ”と叫んでいるのには吃驚した。翌年2月に今度はUSツアー、ワシントンD.C.でキースのステージを楽しんだ。こんなこともあった、チャーリー・ワッツ・クインテットのライヴを91年6月にBlue Note NEW YORKで楽しんだんだけど、3日のセカンド・ステージにはキースが観客として登場、僕の隣テーブルだった。いろいろ話も出来、友人でもあるNY在住のボブ・グルーエンが記念写真を撮ってくれた。


▲91年6月3日@NY Pic.by Bob Gruen

チャーリーのライヴといえば96年7月にニューヨークのSupper Clubで味わったステージをキースがスティーヴ・ジョーダンらと一緒に楽しんでいた。アフター・パーティーではベロンベロン・キースといろいろ遊んでしまった(ニヤリ)。そういえばこの数年前、92年夏ニューヨークのレコーディング・スタジオでキースに録れたてのテープを聴いて行ってくれと言われた時には大感激だった。しかし僕個人としてキースに正式な形でインタビューしたのは二回しかない。初来日時と98年1月。二度目のインタビューはハワイ/アロハ・スタジアム。


▲98年1月24日@ホノルル Pic.by Mike


ホノルルに飛ぶため成田空港に向かう2時間前にインタビューOKサインが出た。ハワイ公演2日目のステージ前に45分インタビュー、急きょ決定ということでカメラマンも通訳もなし。いつものクソ度胸&ブロークン・イングリッシュで体当たり。コンサート前で忙しいのかマネージャー、付き人、広報担当者らスタッフの同席なし。キースと二人っきりでの実に楽しいインタビューだった。


▲98年1月24日@ホノルル Pic.by Arnold Dunn 友人の西野さんが団扇を作ってくださった!

そういえばアロハ・スタジアムにタクシーで向かう前に煙草購入でコンビニ/ABCストアに寄ったんだけど、レジ前に土産用ウクレレ(殆ど玩具)が大量にぶら下がっていた、7~8ドルだったかな。ひとつゲット。インタビュー後CDや色紙等5マテリアル位にサインして貰ったけど、最後にウクレレにも。キースはいきなりそれを弾き出し“チュー二ングがなってない、ワハハ”!帰国後、お茶の水の楽器店でウクレレケースを購入したんだけどそちらは¥10000近くした。そのお店の副店長さんがキースの大ファンで僕のことも知ってて、ウクレレを嬉しそうに撮影していたことを想い出す…。


▲from Mike's Collection

その後もキースとはいろんな形で遭遇している。この何10倍のエピソードが…。でもそんなキース・メモリーズに浸っているとまた本題に入れなくなってしまう。いつもの癖で古希爺はすぐ昔話をしてしまう。

ではでは記念号の本話題にいこう!!キース・リチャーズ&ザ・エクスペンシヴ・ワイノーズ“Live at the Hollywood Palladium”!!『あなたが今まで聴いた中で最もルーズでタイトなバンド~The Loosest Tight Band You've Ever Heard』をキャッチ・フレーズに、今回未発表ヴァージョンを加えてのリリースとなったキースの1988年LIVEである。


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

エクスペンシヴ・ワイノーズ初のUSツアーの終盤の12月15日LA/ハリウッド・パラディアム(4000人収容)での記録である。元々ライヴ・レコーディングする予定はなく、キースのマネージャー/ジェーン・ローズが保存用映像として収録したものからのオフィシャル化である。


▲Pic.by Paul Natkin

89年から90年にかけてキースのLIVEがブートレッグで大量に出回ったことが切っ掛けでキースの考えで公式化され91年12月に『Live At The Hollywood Paladium, December 15.1988』のタイトルでCDリリースされた(US UKは92年2月)。そして同時にライヴ・ビデオと16頁カラーブックレットがセットになった“Limited Edition Box Set”も登場したのだ。この映像エンドロールには<Thanks to All Bootleggers who Make This Necessary>と記してあったのだ(大笑)。


▲Pic.by Paul Natkin

当日のセトリは…、
Take It So Hard*
How I Wish*
I Could Have Stood You Up*
Before They Make Me Run
Too Rude*
I Wanna Be Your Man
You Don't Move Me
Make No Mistake*
Time Is On My Side*
Big Enough*
Whip It Up*
Locked Away*
Little T & A
Struggle*
Happy*
Connection*
Rockawhile*
It Means A Lot
*13曲が91年CDリリース楽曲。


▲Pic.by Paul Natkin

今回これにもう3曲の初登場ヴァージョンが加えらまさに(オールモスト)ファンには30年ぶりの喜びである。
今年 11月 13日に BMG(国内のディストリビューションはワーナーミュージック・ジャパン)からリリースされる。又ワーナーミュージック・ジャパン取り扱いの輸入盤には英文ライナー和訳添付が予定されている。今回初登場は3 曲は「Little T&A」「You Don't Move Me」「I Wanna Be Your Man」。
2020年版『Live At The Hollywood Palladium』収録曲は以下の通りだ。
1.Take It So Hard
2.How I Wish
3.I Could Have Stood You Up
4.Too Rude
5.Make No Mistakes
6.Time Is On My Side
7.Big Enough
8.Whip It Up
9.Locked Away
10.Struggle
11.Happy
12.Connection
13.Rockawhile
14.I Wanna Be Your Man(Box Set and Digital Only)
15.Little T&A(Box Set and Digital Only)
16.You Don't Move Me(Box Set and Digital Only)

発売形態は…、
◆限定版スーパー・デラックス・ボックス・セット


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

●リマスターされた 2 枚の180gブラックLP 13曲
●3 曲の未発表曲ボーナス・トラックの 10 インチ・アナログ(I Wanna Be Your Man、Little T&A、You Don't Move Me)。このボックス・セットとデジタル配信のみ限定 。
●オリジナル・アルバムのリマスターCD 16曲
●オリジナル・コンサート・フィルム・DVD※このボックス・セット限定
●40 頁ハード・カバー・ブック。デヴィッド・フリッケのエッセイ、キースへの新しいインタビュー、キースの アーカイヴからの貴重な未発表写真。以下を含むツアーからのアーカイヴ資料のレプリカ
●ツアー・プレス・リリース
●キースの手書きのセット・リスト
●バンドの楽屋を示した手書き表示
●ツアーの日程表
●プレス写真
●チケット(半券)
●VIP&バックステージ・パス
●キースのカスタム・ハリウッド・パラディアム・ピック
●ショーで配布されたプロモーション用のワイン・ラベルとバッグ
●さらに、さらに!!!

◆1CD リマスター・アルバム 16曲


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

◆180g 2 枚組アナログ LP リマスター・ブラック・アルバム 13曲


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

◆180g 2 枚組アナログ LP 限定版レッド・リマスター・アルバム・デジタル 13曲


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

◆デジタル配信あり 16曲

このコーナー最後にもうワン・ショット“限定版スーパー・デラックス・ボックス・セット”!!!


▲提供:ワーナーミュージック・ジャパン

☆☆☆☆☆

【ストーンズ・カバー】

僕は半世紀以上に亘ってストーンズ・カバー・ヴァージョンの収録されたレコードやCDそして映像などを集めている。先日ベルリン在住で世界的ストーンズ研究家、そしてウン十年のマイ大仲良しニコ・ゼントグラフから“もうすぐリリースのロリー・ギャラガーのベスト・アルバムもチェックだよ”というメールが来たが、僕はやっぱりすぐに予約してしまう。


▲モリ―・タトル 提供:BSMF RECORDS

そんなストーンズ・カバーで最近注目しているのがモリ―・タトルの「She's A Rainbow」!アメリカーナ・シーンで注目のまだ20代の女性シンガー。昨年アルバム・デビューし先ごろカバー10曲を収録した『but I'd rather be with you』(BSMF RECORDS/BSMF-6193)を発表した。そこにはアコースティックでストーンズ・テイストを見事に醸し出している「She's A Rainbow」が収められている。こういったタイプのジャパニーズ・シンガーが全く出てこないのを寂しく思いながらモリ―・タトルを聴きまくっている今日この頃だ。


▲CD『but I'd rather be with you』 提供:BSMF RECORDS

☆☆☆
【DOUBLE FANTACT ジョン&ヨーコ展】
ダブル・ファンタジー展でジョンとヨーコの愛の軌跡を振り返る





10月9日からソニーミュージック六本木ミュージアムで始まった“ダブル・ファンタジー展”(来年1月11日まで開催)、僕は一足早く前日の8日、プレス向け内覧会へ行ってきた。ジョンとヨーコについて今更語るまでもないが、彼らの濃厚な12年間を眼鏡とサングラス、写真、衣装、楽器、作品等々を通して辿る素晴らしい企画だ。元々ジョンの故郷リバプールで2018年に開催された同展だったが、その後ヨーコさんの故郷である東京で日本ならではの展示品をプラスして言わば日本ヴァージョンのダブル・ファンタジー展。これはファンならずも見逃せない企画である。

展示品についてネット、出版物で既にご覧になった方が多いと思うが、簡単に触れると、
(1)二人の誕生から出会うまでの簡単な年表
見たことが無い貴重なヨーコさんの写真に注目!



(2)有名なインディカ・ギャラリーの再現と二人の眼鏡



(3)TWO VIRGINS~Wedding~Bed In
二人が最も熱く燃えた時期の軌跡



(4)ジョンとヨーコの充実のソロ活動時期
途中「失われた週末」を再スタートする時期迄



(5)ダブル・ファンタジーと日本の滞在記
再スタートしたジョンと主夫時代に滞在した日本での記録(日本のみの展示を含む)





(6)映像で見る二人

それぞれ二人の濃い時期だったのでじっくり回ると1時間はゆうに過ぎてしまう。最後のショップ・エリアは充実のアイテムが勢ぞろいしている!

ジョンとヨーコをミュージシャン、芸術家、平和活動家、家庭人として取り上げたこの展示に現在のファンはどの様に感じ、思ったかは想像できない。しかし二人の記録は、芸術の枠を超えた至上の愛があったからこそ見る度に我々の心へ深く深く刻み込まれていくのだ。ヨーコさんの思いを少しでも共有できたらこの展示会の意義はあったと思う。僕は雨の六本木から地下鉄に向かいながらふとそう思い帰路についた。

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