シニード・オコナー バイオグラフィ

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かつて髪を剃っていたSinead O'Connor('67年12月8日アイルランド、ダブリン生まれ)は、いくつかの理由によって'90年代で最も有名な女性ヴォーカリストのひとりとなった。しかし奇怪なことに、そのいずれの理由も彼女の歌とはあまり関係がない。彼女はわずかな間に、味方よりはるかに多い敵を作り出したのである。とくにアメリカでは、彼女はノンストップで次々と混乱を引き起こした。よく知られている例を挙げると、

1.コンサート前の米国国歌演奏を認めなかった
2.ゲスト司会者がAndrew Dice Clayだという理由でNBCのTV番組『Saturday Night Live』への出演を拒否した
3.グラミー賞はバカな音楽産業の祭典だと授賞式に出席しなかった(それ以前にはMTVアワードやアメリカン・ミュージック・アワードに出席していたのだが)
4.ようやく『Saturday Night Live』に出演すると、ローマ法皇の写真を破ってみせた
5.'92年マディソンスクエアガーデンで行なわれたBob Dylan30周年コンサートで、激しいブーイングを浴びた彼女はステージを降りてしまった

O'Connorが歌手としてだけでなく、ソングライターとしても優れていることは疑問の余地がない。にもかかわらず、'92年に4週間1位になって彼女の名を広めた「Nothing Compares 2 U」が、彼女自身でなくPrinceの曲であること。これもまた、彼女をめぐる皮肉のひとつだ。

ダブリンでTon Ton MacouteというグループのリードヴォーカルだったO'Connorは、'80年代中期にEnsign Recordsと契約した。1stアルバム発表以前に、U2のギタリスト、The EdgeとMichael Berkeleyが音楽を担当した映画『Captive』のサウンドトラック盤で、彼女はデビューしている。しかし実質的なデビュー作は、'88年のゴールドディスクとなった『The Lion And The Cobra』だ。時にハードロックとアイリッシュフォークの要素を同時に含みつつ、複数のジャンルにまたがるエレクトリックサウンド。このアルバムによって、彼女は斬新なサウンドを操るオルタナティヴ・アーティストの地位を確立した。

彼女の歌の特徴は、官能的ヴォーカルと神経を逆撫でする奇声が入り混じっている点だ。パンクロックの女王、Siouxsie Siouxと実験音楽家のLaurie Andersonを掛け合わせたような彼女の不思議な歌は、1度見たら忘れられない浮浪者風のスキンヘッドの外見と結び付いて世界中の注目を集めた。このアルバムがトップ40に入ったころには、O'Connorのその後のメジャー活動は順風満帆のように思われた。

'90年の『I Do Not Want What I Haven't Got』が発表されたとき、その評価に疑いをはさむ者はいなかった。Princeが書いた'85年の「Nothing Compares 2 U」を激しく感情的に歌い上げるO'Connorは完璧な衝撃だった。泣きながら歌う彼女の顔をクローズアップしたビデオクリップは、MTVで大きな支持を得、この映像のおかげもあって、彼女の「Nothing Compares 2 U」は間もなく4週連続1位になった。アルバム『I Do Not Want What I Haven't Got』も同様に6週連続1位になって、その後1年間チャートに留まった。

しかし、この驚愕の成功を収める以前に、すでにO'Connorは急に有名になったことに動揺していたようである。『I Do Not Want What I Haven't Got』には、困惑する女性を描いた自伝的にも聞こえる曲がいくつか収録されている。なかでも「Feel So Different」や「The Emperor's New Clothes」は、あまりにもあけすけだ。後者の歌詞はある歌手のことを歌っていて、その歌手は「彼は私が有名人になったと思っている/そして私がダメになったと/けどそれはちがう/何が欲しいかなんて私には分からない/まだ21歳なのに」と思っている。このアルバムの完成前にO'Connorは、ドラマーJohn Reynoldsとの間の息子のJakeを出産した。そのせいもあっていっそう彼女は感情をさらけ出し、アルバムはジェットコースターのように感情の起伏が激しいものとなった。

前述の国歌拒否事件、法皇写真破り捨て事件の騒ぎのあと、O'Connorは'92年に『Am I Not Your Girl?』を発表した。これは、スタンダードやお気に入りの曲を彼女が思い付きでカヴァーしたようなアルバムで、Marilyn Monroeの「I Want To Be Loved By You」やBillie Holidayの「Gloomy Sunday」、ミュージカル『Evita』の「Don't Cry For Me Argentina」などを収録している。このアルバムは発売後すぐ29位になったあと、わずか9週間でチャートから転落した。

前回のアルバムは「Nothing Compares 2 U」のビデオによって大いに売り上げを伸ばしたが、このアルバムは、いくらビデオを流しても売り上げが伸びたとは思えない。1stシングル「Success Has Made A Failure Of Our Home」のビデオは思い切った作品で、アムネスティ・インターナショナルから借り出した拷問の被害者たちの写真を大写しにしていたからだ。さらに、このころまた彼女のキャリアを停滞させる事態が生じた。子供のころ虐待を受けていたと公表したO'Connorは、インタヴューを受けるたびに音楽よりも児童虐待や政治信念の話ばかりしだしたのだ。「みんなはいつも私のことをひどい女だと思おうとしてて」と彼女は'92年にBillboardのTimothy Whiteに語っている。「私はいつも、そうじゃないって言ってる。私はいい子なんです、私にも心があるんです」

Sinead O'Connorは大いなる才能を持ったヴォーカリストであり、自覚的に作品のなかで心をさらけ出そうとするソングライターだ。いまや彼女の一挙手一投足は、世界中から注目されている。しかし、彼女が最終的に才能のある率直なアーティストだと歴史の判断を受けるのか、それとも――こちらのように思えることもよくあるのだが――長い間バッド・トリップを続けている'90年代版Melanieなのかどうかは、今後を見守らなければならない。

This Biography was written by dave dimartino

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