佐藤竹善、6年ぶりのソロアルバム『Okra』で自身の音楽観を語る【インタヴュー編】

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――9曲目の「BE INSIDE MY LIFE」はレオン・ラッセルが詞を書いていますが、これはどういう経緯で実現したんですか?

佐藤:レオン・ラッセルとは何の接点もないんだけど、アメリカに行った際に一緒に仕事をしてくれるコーディネーターの人が、レオン・ラッセルのツアーも担当してて。ちょうどこの曲はビートルズの「IN MY LIFE」あたりのバロック風の楽曲で、英語の詞で歌いたいと思っていたんです。でも、ボビー・コールドウェルって感じじゃないし“誰だろう?”と思っていて。そしたら、そのコーディネーターに“レオン・ラッセルがいいんじゃない?曲を送ってみれば?”って言われて。それでまた“曲を聴いて気に入ってくれたら書いてください。通常の印税配分ですけどいいですか?”って曲を送って(笑)。そしたら、8~9割はお世辞だと思うんですが、素晴らしいコメントとともに2週間ぐらいで詞を書いて送ってくれて。

――どんなコメントだったんですか?

佐藤:えーと、“君の楽曲は、僕の音楽人生の中でまたひとつのシーンをもたらしてくれた。ありがとう”って。おぉー!

――この詞に描かれているのは、とてもシンプルな告白ですよね。

佐藤:そうですね。70年代初頭のアーティストの詞の特徴というのがあって、極めてシンプルで普通のことをテーマにしてるんだけど、ネイティブの英語がわかる人の観点だと、いわゆる“詩”なんですよね。訳詞の世界ではなかなかつかみ切れない行間に満ちあふれた、70年代初頭の王道のシンガーソングライターの詩で。単純に言いたいことを探るだけではつかめない詩の言葉自体の世界がある。ボビーとレオン・ラッセルはそれぞれ自分のカラーを出してくれたなぁと思いましたね。

――竹善さんが書かれた「BLUE」という曲の中に、“君が好きな 僕のこだわりは きっと 思い込むほどは 小さくもないのかな”という一節がありますが、そのなにげないフレーズとレオン・ラッセルのシンプルな思いを深く伝えてくれる詞が響きあっているように感じました。

佐藤:そぉんなふうに言われるとうれしくなっちゃいますね(笑)。詞に関しては、極めてシンプルなことを言いたくて、シチュエーション的にも普通のストーリーだったりしながら、実は奥の方ではもっと“人生全体や人生の矛盾を伝えられているだろうか?”って考えたり。そういう二重構造なんですよね。でもそれは、“そういうことを言ってるのかな?”って思う人だけが気づけばいいんです。僕の言いたいことが言いたい通りに伝わるのが“(音楽が)伝わる”ってことじゃないと思うんですね。僕が伝えたいと思ってることで、(聴く人が)何かを本人の意志で感じる。音楽とか芸術って全部そのための道具じゃないかなぐらい思ってます。

――11曲目の「CHOICE」は、内面に深く入り込んでくるものを感じて、他の曲とは色合いが違う印象を受けましたが。

佐藤:違いますね。アルバムの中で唯一、聴いた人が聴いた人なりの解釈で何百種類にも分かれるような世界観にしたかったんです。“何を言いたいんだろう?”っていうような。言葉の一個一個が、自分の中の何かと合わさった時に、何かを感じる。ずっと聴いてくれなくてもいいんで、何年かに一回でも引っ張り出して聴いて、それでも「いいな」と思えるようなアルバムが作りたいって昔から思っていて。そこにはつかみ切れなさも大事かなと思うんです。

――つかみ切れなさ、ですか?

佐藤:そう。ジャズなんて特にそうだと思うし、ポップスでもビートルズとかスティーヴィーとか、聴くたびに“こんなことをやってるんだ!”って打ちのめされたり、“こんなことを歌ってるんだ”という発見があるような、さっき話した二重構造の深さみたいなものが常に作品に出していけたらいいなと思う。それはこれから先もずっと、変わらないですね。

取材・文●梶原 有紀子

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