REDEMPTION 97がスカパンクシーンを救う

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今から12年前のこと、1997年にKEMURIとPOTSHOTが共に1stアルバムをリリース。この2バンドを中心として日本中でSKA PUNKブームと呼ばれるような現象が巻き起こった。そんな日本のロック史に多大なる影響を残した両バンドの中心メンバーが11年の歳月を経て、まさかの融合を遂げるとは、誰が想像しえたであろう。

◆REDEMPTION 97がスカパンクシーンを救う ~写真編~
◆「Precious Thing」PV映像

Tsuda(ex.KEMURI)とRyoji(ex.POTSHOT)を中心に結成されたSKA PUNKバンド、REDEMPTION 97(リデンプション ナインティセブン)は、結成1年にしてファースト・アルバムを完成させた。

――まずは結成の経緯から。Ryojiさんは2005年にPOTSHOTを解散後、ほどなくRYOJI & THE LAST CHORDSを結成して現在も活動中ですが、Tsudaさんは2007年のKEMURI解散後、どのような活動を?

Tsuda(B):KEMURI解散後はスカバンドをやりたいという夢があったんですが、解散と同時にいろんなバンド仲間から「手伝って!」という話が一気に来まして、当時KEN BAND(Ken Yokoyama)でもギターを弾いていたコリンのバンドU.K.Lとか、EXTINCT GOVERNMENTのベースのKATSUTA★君がボーカルをやってるP・I・M・P、あとJUNIORとか北九州の悪AI意(アイ)とか。そんなこんなで、自分がやりたい曲は地味に作ってたんですけど、なかなか結成に至らなくて。で、KEMURI解散の頃からRyojiと「解散したらスカバンドをやろう」って軽いノリで言ってたんですけど、そうこうしてるうちにUKプロジェクトのM君が間に入ってくれて。

Ryoji(V):最初は、ただの飲み会でしたけどね(笑)。何回か重ねていくうちに、じゃあ誰を誘おうとか、こんな感じにしていこうとかって。

Tsuda:Ryojiとは付き合いが長いから、お互い照れるんですよね。だから自分から話すことができなくて。

――どうやってメンバーが集まっていったんですか?

Tsuda:とりあえずトロンボーンは、KEMURIもやってくれてたシモちゃん(Yuji Shimoda)に頼もうと思ってて。で、このバンドではどうしても鍵盤が欲しいと思ってるって話したら、ヨシオ君(Yoshio Taniguchi)も連れてきてくれて。ギターのRyomaは…

Ryoji:噂を嗅ぎつけて立候補してきてくれた。スカにチャレンジしたい時期だったらしくて(笑)。ドラム探しは苦労したんですけど、最初のシングルのレコーディング直前に、LAST CHORDSのドラムのMakoちゃんに助けてもらって、そのまま、なし崩し的に(笑)。

――バンド名は、スカパンク界の重鎮ASIAN MAN RECORDSのマイク・パークに付けてもらったということですが?

Ryoji:2008年9月の最初のライブが決まる頃に、そろそろバンド名ないとヤバいよねって(笑)。で、Tsudaさんが「マイクに付けてもらおう」と。そしたら、すぐに“REDEMPTION 97”ってメールが返ってきて。最初は“97”が何なのかわからなかったんですけど、メールをよく読んだら、POTSHOTとKEMURIの1stアルバムが出たのが1997年なんですって(笑)。マイクは、その両方に関わってたから、彼にとって97は大事な数字だったらしくて(※ちなみに結成は両バンドとも1995年)。

――当初のバンドのコンセプトは?

Ryoji:一応スカパンクの範囲でやろう、と。その看板は掲げた上で、なるべくKEMURIっぽかったりPOTSHOTっぽくならないように、ちょっとは気にしよう、みたいな。でも本人だから、そこは仕方がないというのもあるんですけど(笑)。あとは、歳相応の部分も出せたらいいねって。一応スカパンクなんだけど、オーセンティックスカとかレゲエっぽいことにもチャレンジしてみたり。

Tsuda:そういう方向性も考えての鍵盤なんですよね。

――最初に思い描いていたバンドのイメージと、今回完成した1stアルバムを比べてみて、どうですか?

Tsuda:お互い、ほぼやりたかったイメージ通りの曲を持って来てるし、そういう点では表現できたかなって気はしますけどね。

Ryoji:これで全部です(笑)。本当はもっと多めに曲があって、そこから選んで作品にできたら美しかったんですけど、何せキツくて(笑)。でも仕上がってみたら、ちょうど良かったかなって。

――曲が足りなくて急いで作ったということもなく?

Ryoji:それはありました(笑)。明らかに曲数足りないっしょ、みたいな。でも、それも踏まえて、結果ちゃんと表現できたかなと。

Tsuda:2曲、本当にギリギリで間に合わなくて、ベーシックしかなくて。どうなるかなと思ったんだけど、あとはシモちゃんとヨシオ君に任せようって(笑)。

Ryoji:レコーディングの直前の練習に、トロンボーンとキーボードが来れなかったんですよ。とりあえず、その2曲は合わせられる人だけでやって、とにかく突っ込んじゃおうって。上モノだからレコーディングで何とかなるっしょ、みたいな。で、奇跡が(笑)。

――その2曲は全体のバランス的に必要だった?

Ryoji:そうですね。“もうちょっと速い曲があってもいいんじゃない?”とか。それまで、わりと変化球の曲から、できていったんですよね。新しいことをやろうっていうテーマもあったから、やっぱりそっちのほうが面白くて。そしたら、あとで意外と王道がないってことに気づいて(笑)。最後の駆け込みの2曲は、わりとハードめというのを意識して作りました。

――ちなみにそれは、どの曲ですか?

Ryoji:それが「Precious Thing」(PV曲)だったり(笑)、あと「Wrong History」。リード曲が一番最後にできるというのも、何かドラマチックで良かったなぁみたいな(笑)。

――1stアルバムが完成したところで見えた、今後の展望などは?

Tsuda:とりあえずツアーは3本なんですけど、できればいろんな所に行きたいというのはありますね。

Ryoji:やっぱり届いてほしいですね。KEMURIとかPOTSHOTが好きだった人でも卒業しちゃってる人、いるじゃないですか。そういう人にも届いて、またライブハウスとかに来てくれるようになったら嬉しい。あと、スカパンクシーンの危機を感じて、このバンドを結成したところもあるんですけど、もちろん若手もちゃんと出てきてるから、なるべく交流するようにしてるんですよ。だいぶ歳が離れちゃってるんですけど(笑)。だから、新しい世代のスカパンクシーンともリンクしてやっていけたらなぁと思ってます。

取材・文●森 泰一(FAMiLIES)
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