L'Arc~en~Ciel、結成20周年を迎えるいま、その胸中を語る

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L'Arc〜en〜Ciel

再起動 L'Anniversary Celebration.

INTERVIEW

わざわざホテルで打ち合わせしたり、食事とかもすごい良いとこ連れていってくれたりするんだけど、自分たちの実力が伴ってないのに気づいて。これはちょっと違うなって思い始めた。

――『TWENITY 1991-1996』の一曲目の「Voice」の制作の話からいきましょうか。

hyde:その頃は東京に来て、ウィークリー・マンションに泊まりながらレコーディングをして、朝から寝るまでやってましたね。先輩方が使ってたスタジオだったので、恵まれてるって言われた記憶がある。スタジオで僕らが疲れて寝ちゃうと、「エンジニアの人に失礼だろ」って怒られたり。新人らしい感じ(笑)。そのころは泊まる部屋もツインじゃないとダメって言われたから、誰と泊まるか、こいつうるさいから俺イヤだとか(笑)。ヴォーカルなんだから寝かせろよみたいな(笑)、そういうことがありましたね。

――その後、大阪から東京に引っ越してきたの?

hyde:引っ越しまして、メジャーのレコード会社が決まって。そこから“プロの仕切り”が始まったって感じで右も左もよくわからないままメジャーの世界に入っていった。レコーディングも、それまではエンジニアさんと歌録りしてたけど、初めてディレクターがついて、結構細かく言われた。僕的にはそのやり方がよくわかんなくって。僕は精神的に高まって歌えたかとか青臭いところにこだわってたけど、ディレクターはもっと理解していて、今にして思えば、ディレクターの方が正解だった。歌がちゃんと相手に届いてるかどうか、そこを思い知らされた感じですかねえ。

――東京の生活自体は?

hyde:なんかね、気分一新でうれしかった。おうちの道具とかゼロから全部そろえたり。自炊したり、お金を貯めんのも楽しかった(笑)。

―― 一方で最初にあった困難っていうのは?

hyde:困難は、メジャーに任せていろいろスタートしたんだけど、ちょっと、おかしくね? っていう感じのところがポロポロ見え始めて。このころのディレクターさんが、ちょっと大物扱いしてくれたのは良かったんだけど、わざわざホテルで打ち合わせしたり、食事とかもすごい良いとこ連れていってくれたりするんだけど、自分たちの実力が伴ってないのに気づいて。実際にツアーファイナルの東京ベイNKホールも埋まらなかったんですよ。それまでは、順調にソールドしてたのに。だから、これはちょっと違うなって思い始めた。で、メジャーのセカンド・アルバム『heavenly』から、結構L’Arc〜en〜Ciel主体になったんですよ。みんなでもっと頑張んないといけないっていって。『heavenly』でやっと全国プロモーションとかし始めたんです。ライヴも、このままじゃよくないっていって、もう一回ライヴハウスからやろうっていって、ゼロからスタートしたの。それで2回目の東京ベイNKホールは埋まったんですよね。リベンジっていうタイトルで(笑)。

――そして「虹」。

hyde:休止してからの再開の曲。僕、普段からイメージ先行で曲を作る人で、もともと目標の下絵を描いて、そこに曲を合わせていくという作り方をする。だけど、この一曲目がどうしてもうまくできなくて。そうしたら、kenちゃんが僕のイメージ通りの力強くて美しい曲を作ってきたのがすごいうれしかった。この曲はみんなで一生懸命作ったような印象。例えば構成にしてもDメロは僕が作った記憶があるし。歌詞とかもテッちゃんが修正したりした。なんかバンドらしいというか、やっぱこの1曲目は、みんなすごく重要に思ってたんじゃないかなと思う。

――危機感はあったの?

hyde:危機感はなかったですね。危機感というよりも、やっぱメンバーがいない“空白”はあったかなとは思う。心の空白というか。まだレコーディング中は、ユッキーが正式メンバーになるとは決まってなかったからね。空白はありながら、一生懸命作ったっていう感じかな。

――そして東京ドームでライヴをやった。

hyde:俺正直言うと、そんなに売れっ子アーティストになりたかったわけでもなく。まさかテレビで歌うとかそこまで思ってなかったんですね。でも、いざこの世界に入ってきて、自分の芸術を表現したいときって、売れてないとできないことが多くて。例えばコンサートでこういうことがしたい、でかいことをしたいと思うと、お金がないとか動員がないとできなかったりする。それはもうCM打ちたいと思っても、こんなミュージック・クリップを作りたいと思ってもできなかったり。そこでどんどん拍車がかかったんだと思う。くそ、じゃあ、やってやるっていうところ。そういうのがずーっと続きますね。多分『heavenly』を作ったあたりから加速していったんだと思う。自分の中でも意地があって、ポップな曲を作ればいいとも思ってなかったんで、ポップな曲でもカッコよくなきゃダメだなって思ってた。そのへんは意識しながら曲を作ってましたね。あと、時代を見るようになった。どういう曲を作れば皆に受け入れられるかとか意識するようになった。「flower」はまさにそうだった。時代と噛み合わない作品は少し逃げてるというふうにも取れるなとも思うんですよね。チャート、チャートってなるのもまた違うのかもしれないけど、やっぱり時代の中でいかにカッコよく表現できるかっていうのが、プロとして自分たちの目指すべきところかな思う。って、当時はそこまでは思ってなかったけど(笑)、今はそう思う。

あらゆる人が一生懸命L’Arc〜en〜Cielを支えてくれてるっていうのが、正直なところですね。今後もファンも含めて、いろいろな夢を与えられるようなバンドでいられるといいなと思いますね。

――そのあたりから、ブラスやストリングスが入ったり、音楽的にすごく自由になってくる。

hyde:うちのメンバーがまったくそのへんにこだわりがなくて。逆に言うと『Tierra』でも、僕がアルバム入れたくなかったヴァージョンってのがまさにブラス・ヴァージョンで。僕はその曲の雰囲気はブラスがないほうが好きだから、ゆるしてもらったんだけど。初期の頃はキーボードがコンサートで鳴ること自体がイヤだった。メンバー以外の力が加わるのイヤだったりしたけど、メンバーはそのへんこだわりが無いみたいだった。そのころ先輩方が、僕らについて思うところがあったみたいで、“今時のバンドはそれぐらい自然にやるんやな”って言っていたらしいです。だからラルクは最初から枠って物が無かったのかも知れませんね。そして『HEART』ってアルバムから岡野(ハジメ)さんがプロデューサーとして参加するんですけど、岡野さんの功績ってのは凄いでかくて。僕的にはプロデューサーって馬が合わなくって毛嫌いするぐらいのところがあったんだけど、今となっては岡野さん無しのレコーディングは考えられないくらいに5人目のメンバーって感じですね。その頃から時代が寄り添ってきて「花葬」「浸食-lose control-」「HONEY」を3枚同時にシングルを出したりしました。調子に乗ってますよね、完全に(笑)。シングル3枚いっしょに出すって、世の中的にはもうあり得ないんじゃないかな。よくこの時代に、俺たちいれたなっていう。こんなこと、今後も難しいんじゃないかと思うんですよね。

――そのときって一回、達成感はあった?

hyde:いや、このころはホント、ピンクレディーぐらい忙しかったと思う(笑)。てか、“余裕なし!”みたいな感じ。「HONEY」を作ったときの記憶がまさにそうなんですよね。レコーディング当日に、作ってる曲がどうしても気に入らなくて、サビだけのちょこっとしたアイデアがあったんで、こういう曲があるんだけど、こっちに一日かけてみねーかって。レコーディング中に“一日くれ”っていって、一日もらって作ったのが、「HONEY」。そのときにメンバーが、うーん、でも無理だなってなったら、この曲は出来なかったですね。このときには発表できなかったと思う。

――今につながることでいうと、それまで以上にバンドとして音楽の幅が出てくると思う。

hyde:そうっすね。僕的には幅はありながらも、いかにそこで自分の芸術を通すかっていう。今だからできることというか。あと、このころからソロが徐々にスタートし始めたんだけど。ソロをやっていろいろな他の世界観を知ることによって、L’Arc〜en〜Cielに還元することが逆に多くなったんですよね。作曲方向がまず変わった。自分で曲を作るときに、ジャッジメントする人が自分になったんで、そこで初めて一曲の大切さというか、自分のディレクションっていうのが初めて確立した。自分のOKラインがすごく上がったんですね。それまで実は僕、ボツ曲が多かったんですよね。3、4曲書いて2つぐらい落ちるみたいな。でも、このへんから落ちなくなってきた。それは多分自分のバー(←ハードル?)が上がって、無駄な曲は出さなくなったからだと思うんですけど。次に歌い方がやっと変わった。だからそのころL’Arc〜en〜Cielに戻ったときに、L’Arc〜en〜Cielの歌が凄く歌いやすくなったんですね。歌いやすいっていうか、うまく感情を込めれる。今までも感情を込めてたんだけど、それが声になってなかった。ただの精神であって、声でその精神を伝えれてなかったんじゃないかなと思うんですよね。ソロをやることによって、ちょっと自分を見つめることが多くなったのかな? 歌うことの喜びが少しずつ見え始めて、歌い方も、歌手っぽくなったというか。普通のプロの人っぽくなったというかね(笑)。未だに僕、ヴォイトレとか実際3日しか行ったことないんで、基礎がまったく出来てないと自分では思ってる。でも今、基礎的なことをどっかで意識して歌ってる。やっぱソロやってないと、案外そこは気づかなかったんじゃないかなと思う。なんだかんだいって、自分の好きなことやるためにソロに出たわりには、L’Arc〜en〜Cielに還元できるんだな、してしまうんだなっていう。今も気持ちのいい状態で歌うことができるので、楽しいですね。今まで歌に対して軽く見てたところがあるから、そこが自分の弱点っていうのにも気づいた。だから少し、ちゃんと歌おうっていうか。前は適当だったんで、歌えばいいんだろぐらいだったんで、ちょっと最近は真面目に練習したりとかして(笑)。20年目にして、たどり着いたの、ちゃんと歌おうって(笑)。僕はあんまり研究するタイプの人じゃないんですよね。

――最後に、自分にとっての20周年は?

hyde:うーん、20年って、すごいですよね。いろいろあったけどね。山あり谷ありだし、ここでは言えないようなことも山ほどあるよね。バンドが20年やってくっていうのはホント奇跡ですよね。多分、年間何万ってバンドが生まれてくるけど、20年やってるのって何組いるんだろう。多分、ホント数えるぐらいだと思う。ただ、単に時間は経たないですよ。奇跡ではあるけど、みんなの努力だと思うんですよ。今となっては、バンドだけのパワーじゃないですね。あらゆる人が一生懸命L’Arc〜en〜Cielを支えてくれてるっていうのが、正直なところですね。みんながL’Arc〜en〜Cielに対していろいろ夢を描いてるところがあるんですよね。今やりたいことってL’Arc〜en〜Cielなら出来るかなとか。だからある種、僕らだけの物じゃないんですよね。20年間でその裾野がどんどん広がったんだよね。今後もファンも含めて、いろいろな夢を与えられるようなバンドでいられるといいなと思いますね。

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