九州は福岡県の城、福岡城(舞鶴城とも言うが日本全国舞鶴城と呼ぶ城はいっぱいあるので私は呼ばない)である。城主は黒田長政(1601年築城)福岡出身としてやはりこの城はひいきさせてもらいたいとこもあるが、残ってる石垣を見ても、城の創りを見ても、世間的に有名な城に決して劣る事はないと評価したい。

城作りの名手で有名だったお隣熊本城の城主、加藤清正も当時福岡城に訪れた際、福岡城の石垣や考えられた城内の造りに感銘を受けたと記されている。

「よかね!よかよか!黒田さんよかばい!こぎゃんよか城なかなか建てれんけんねえ」

「そりゃ~うれしかね~、でもかとちゃんの城も最高やないね、今度明太子ば持って来るけん、辛子蓮根ば食わしてくれんね?」

絶対こういう会話してたに決まっている。

福岡城は緩やかな丘に建っている事で創りは平山城である。日本にはこの平山城タイプが一番多い。
解りやすく説明しよう。城の造りにはいくつかのタイプがある。山城、平山城、平城、海城、などだ。専門家が名付けたカテゴライズなのであなたの近所にある城はどのタイプで呼ばれているかはわからないが平和な時代が訪れるとともに、山から丘へ、丘から平地へ、外から中へ、中から外へ、そしてやっぱり中の奥の方へと城の形も変化して行ったのである。

「山の上での生活など面倒でございまする!もう徳川幕府の天下でどうせ敵など攻めては来ないではありませぬか。だったら平地に御殿を建てて暮らした方が楽ではございませぬか、ってかぶっちゃけ本丸まで階段登るのもういい加減疲れるんスよねえ、テヘッ!」

そんなノリで江戸時代に建てられた城は平城が多いのも頷ける。

福岡城は自分が一番訪れた事が多い城である。幼い頃の写真を見ても福岡城内や大濠公園で撮影されたものが非常に多い。当時は天守台から今は無き平和台球場が見渡せ、デーゲームの歓声が天守台まで届いた事を今でもはっきりと憶えている。建物も今の福岡市内ほど高い建物はなく反対側には博多湾が今よりも広く大きく見る事が出来た。親父の肩車から見えた福岡市内のパノラマの景色はどんな景色よりも格別だった。前回にも書いたように黒田長政も幕府に遠慮して天守を建設しなかったと伝えられてきたが、近年の調査では当時の手紙のやり取りの中に「天守ば取り壊そうと思っとっちゃんねえ…」などと書かれた文章が発見されている。

江戸時代は戦がなく平和ではあったが大名は徳川幕府に対しては常におびえており、目を付けられたら何をされるかわからなかったので自ら天守を壊したり、堀を埋めて城を狭く見せたりしながら顔色を伺っていたのである。これを「調子にノってなんかいません宣言」と言うらしい、今私が決めたのだ。確かに天守台の基礎石を見ても、穴蔵の深さを見てもこれだけの土台を作っておいて天守を建てなかったわけねえぞと子供の頃から思っていた。

天守台の広さを考えると絶対に地下1階を含む5層6階の天守だったと言いきれる。これで3層の天守だったとは思えない。近年は復元の話が浮上しているらしいが、やはりそこは城マニア。ちゃんとしたデータが出て来ない限り復元は勘弁してほしい。そっちの方が夢がない。街のシンボルを増やす意味として気持ちはわからんでもない、だが、私は今のままの福岡城跡を「愛してええええ、いるのさああ、狂おし~~~いほどおおおっ!」

吉川さんもそう言っておられるではないか。やっぱりこんな城の話で盛り上がった夜はKISSに撃たれて眠りたいゼ~~~お~イエ~イ!

少し前に不審火により下之橋御門が一部焼失してしまった時、復元が進められたが出来た門を見ると幼い頃から見てた門とずいぶん違う気がして違和感を覚えた。復元というのはシビアなのだ。だからこそ的確なデザインが求められる。無理なら復元などしなくてもいいのだ。そこにロマンがあると声を大にして、ついでに中島卓偉のニューアルバム『共鳴新動』も発売されてますよと4回くらい言いたい。

明治時代になり廃藩置県が行われ、城の建物ほとんどは解体されてしまったが、城内にはいくつかの櫓、多聞櫓、門などが復元されたのも含め残っている。当時は約50近くの櫓が、25近くの門があったとされる。今でこそ城のど真ん中を道路が通り、堀も埋め立てられその大きさを判断するのは難しいが、大濠公園もすべて城内、福岡高等裁判所、福岡市美術館も城内である。どこを見ても石垣の造りが美しい。そして頑丈だ。石垣の造りにもいくつかの呼び方と種類がある。

時代の進化に合わせた順番で書くと、

1.野面積み。これはもっとも古い石垣のタイプでその名の通り石を積み上げただけである。ぶっちゃけ簡単に登れてしまう。

2.打ち込み接ぎ。これは石を切って合わせて打ち込んで行くやりかたを指す。ちなみに私はこのタイプの石垣に濡れる。

3.切り込み接ぎ。これは石をすべて計算して切り、そして打ち込み、積み上げた石垣を指す。これは時間も金もかかったとされる。

他にも亀甲積み、算木積みなどいろんな呼び方の石垣があるが、基本はこの3つの種類が主である。石垣も時代によって進化しており、この先にコンクリートが生まれる事になる。確かに切り込み剥ぎの石垣は見た目も綺麗だし、敵も簡単には登れないので防御としてはもってこいなのだが、個人的には打ち込み剥ぎのブロークンな感じが好きだ。演奏が上手く綺麗にまとまった音楽を聴くとつまんないように、ちょっとした隙があるからこそ親近感が湧く。演奏の上手いSEX PISTOLSなんてありえないのと同じである。

福岡には城がないなどと思ってもらっては困る。他にもいい城はたくさん残っている。石垣や堀があればそれは残っているのだ。天守がないと何も残ってないと思われるのはしゃくである。どんな人も自分の街に城跡がある事は知っていても天守がないと「城跡はありますけど何も残ってないですよ」と言う。

「違う!違う!そうじゃ!そうじゃな~いいいい!」と、マーチンさんも言っているように、石垣があれば、いや、極論を言えばそこに何も残ってなくても、城があった歴史が残っているなら、マニアからしてみればそれは現存しているのと同じなのである。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル