【インタビュー】マーティ・フリードマン、ジェイソン・ベッカーを語る「重要なのは音楽が素晴らしいことだ」

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11月8日、いよいよ全国公開を迎える映画『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet~不死身の天才ギタリスト~』。すでにその概要を把握している読者も多いはずだが、この映画のなかで描かれているのは、将来を約束されながら若くして死の宣告を受けたジェイソンの、すさまじい生きざまである。彼を襲ったALS(筋萎縮性側索硬化症)という病魔については、昨今のアイス・バケツ・チャレンジなどを通じて認識や関心が広がりつつあるものの、それに冒された状態というのは大半の人間にとってはやはり容易には想像し得ぬものだし、ジェイソンの置かれた境遇というものにも想像を絶するものがある。

◆映画『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet~不死身の天才ギタリスト~』予告編映像

だが、この映画のなかにも重要な証言者としてたびたび登場するマーティ・フリードマンは、「いちばん重要なのは、彼が病気だということじゃなく、彼が作っているのが“いい音楽”だということ」だと語る。

かつて十代のジェイソンとともにカコフォニーとしてメジャー・シーンに登場したマーティ。ジェイソンのことを誰よりもよく知るミュージシャンのひとりである彼に、この映画にまつわる話を聞いた。ちなみにこの取材が行なわれたのは10月下旬のある日、彼が<LOUD PARK 14>で熱演を繰り広げた数日後のことである。


――先日の<LOUD PARK 14>でのライブ、お疲れさまでした。演奏はもちろんですけど、オーディエンスの反応も素晴らしかったですね!

マーティ:ありがとうございます。僕も嬉しかったです。

――気持ちよさそうに弾いているのがすごく伝わってきました。

マーティ:ええ。僕の場合いつも気持ちいいんですけど(笑)。でも、ああいう雰囲気というのがとても心地好かったし、午前中のまだ早い時間のうちからたくさんの人たちに観に来てもらえてとても嬉しかったです。

――さて、今回は映画の話です。マーティさん自身もこの映画に出演してさまざまなエピソードを披露しているわけですけど、完成した映画を初めて観たときはどんな気持ちでしたか?

マーティ:すごく嬉しくなりました。「ちゃんとした映画としてできてるじゃん!」って(笑)。実際に完成する前は、どうなるか想像しきれなかったんですよ。映画ってとても大きなプロジェクトだし、できあがってみたら妙なものになってる危険性もあるじゃないですか。ダサくなったりとか。編集の仕方、情報の扱い方、説明の仕方…いろんな部分で「ちょっとこれはないんじゃないの?」という感じになってしまうこともある。「ああ、こんなこと言わなきゃよかった」とか、「もっと面白いところがあったのに」とか思わされたりね。いろんな心配がつきまとうんですよ。慎重に扱うべき話題が、単純にセンセーショナルに扱われてしまう場合もある。アメリカのニュースみたいにね。でも、本当に細かいところまで心が配られていて、理想的な見せ方になったと思いました。抗議したくなるような場面は1秒もないです(笑)。

――そこまで言えるのはすごいですね!

マーティ:本当にそうですよ。観終わったときは完全に感激しました。なんか、観ていて欝な気分になってしまうほど悲しくないし、しかもハッピー過ぎないし、とにかく感動できる映画になった。笑いも誘うし涙も誘う、本当のジェイソンに限りなく近い映画だと思います。ジェイソン本人が、憂鬱な感じの人ではないんですよ。いつもプラス思考で、今でも病気じゃなかった頃とまったく同じように下品なジョークを言ったり、冗談めかして誰かの悪口言ったりするし(笑)。ホントに病気の人とは思えないくらいなんです。だから絶対、重苦しい感じにはなって欲しくなかったんですよ。みんなに「かわいそう」と言われる感じのものにもなって欲しくなかった。結果、そういうポイントが強調され過ぎずに、いいバランスで出ているから、非常に嬉しくなりました。

――僕自身、彼には会ったことがないんです。だけどもこの映画を観ただけでもわかるのは、彼が実はとてもユーモアがあって悲観とは無縁の人だということで。

マーティ:うん。まあ、映画というのはせいぜい90分程度のものだから、その人のキャラの全部を見せられるはずもないんだけど、そこは大事なポイントですよ。彼は天才なのに、ダークでネガティヴな感情とは一切関係ないんです。この状況にあっても悲観してないんです。それはこの映画からも伝わってきたし、観てる人たちは、「かわいそう」と思う以前に、「自分自身がネガティヴになってる場合じゃん!」と感じるだろうと思う。だってジェイソンは、あの状況にあっても前向きなんですよ。しかもそれは作られた感情じゃないんです。彼に比べればほとんどの人は恵まれた状況にあるわけだし、もっと自分たちはポジティヴであるべきなんだって気付かされると思う。だから、とてもためになる映画だと思います。僕自身にとってもためになったし、とてもインスパイアされるものがある。

――彼の病気というのはいまだに原因も治療法もよくわからないものだし、身近に同じ病を抱えている誰かがいるという人も少ないと思うんですね。だから、彼と同じ状況に自分を置き換えて考えるということがすごくむずかしいわけですよ。

マーティ:うん。無理ですよね。

――ほとんどの人は彼と同じようなことを経験しないだろうと思うんです。だけど実際には、こんなことが誰の人生にも起こり得る…。

マーティ:彼の場合は、状況がかなりエクストリームなわけですよね。でも、人はそれぞれ問題を抱えているじゃないですか。他人にとってはたいしたことじゃなくても。たとえば、すごく歯が痛いとか(笑)。他の国の戦争よりも自分の歯が痛いことのほうが、その人にとって大事だったりすることもあると思うんです。まあジェイソンの場合はそれとは程度が違い過ぎるし、彼の置かれた状況の程度について共感できる人というのは少ないはずなんです。だけど、みんなそれぞれのハードルがあるわけじゃないですか。その障壁を、自分なりにどう乗り越えていくかってことを考えさせてくれる映画なんです。そういう意味において、ジェイソンは最高の“例”なんだと思います。

――確かにそうかもしれません。しかもたいがいの場合、「ジェイソンに比べれば、自分の抱えてる問題なんてなんでもない」と思えるはずで。

マーティ:そうなんですよ。最初、できあがった映画を観るまではちょっと心配だったんです。悲しくなりたくないっていう気持ちがあったから。でも、この映画用のインタビュー撮影のときに監督ともすごく話したんだけど、この監督というのがとてもいい方で。僕が話をしていた時点で、全体的なことをすごく良く把握してるのがわかったんですね。その時点でちょっと安心感はおぼえてたんです。監督自身、自分の希望でこのプロジェクトをやりたかったんじゃないかという気がする。彼自身がジェイソンの人生にとても惹かれているのがわかったから、多分悲しいだけの映画になることはないと思えたし。

――監督がいちばん伝えたかったのが“悲しさ”ではなかったということですよね。実際、インタビューのあり方とかもすごく自然ですよね。マーティさんや他のミュージシャンたちはインタビューに慣れているからナチュラルに喋れていて当然ですけど、ジェイソンのご家族や身近な人たちもすごく自然に話をしているように感じられて。多分インタビューの踏み込み方がとても自然なんだろうな、と思わされたんです。

マーティ:ああ、なるほど。多分、撮影が進んでいくうちに家族もインタビューに慣れてきたのかも(笑)。けっこうメジャーなTVとかにも出てたりするから、あいつらみんな取材の受け答えが上手になってるんじゃないかな(笑)。でも、あの家族は本当にあのままの人たちで、とても素敵なんですよ。正直なことしか言えない人たちですね。裏の顔なんてない。それはずーっと前から、僕が知り合った頃からまったく何も変わってない。だから、家族とまわりの人たちのおかげで、彼はこうして少しずつ自分の寿命を延ばしてきたというか…。家族の絆とか、そういったものが絶対に影響していると思います。

――家族との関わり。友人とかライバルとの関係。そういう部分では、ほとんどの人にとって共鳴できる部分があるはずですよね。ここでちょっと昔の話を聞きたいんですけど、カコフォニーとして彼と一緒にデビューすることになったとき、本音を言えばマーティさんはソロ・アーティストとして自分の名前で世に出ていきたかったわけですよね?

マーティ:もちろんそうですよ。当初は完全に自分のソロ・アルバムとして作り始めていたし、曲も9割できて、レコーディングのスタジオも押さえてあったんです。ところがそのレコーディング間際になって、レコード会社の社長から「このジェイソンってやつに会ってくれないか」と言われて。僕は「なんで? 興味ないんだけど」という感じだった(笑)。まだ彼はティーンエイジャーだったし、他のギタリストと会ってる時間なんかなかったし。ただ、実際に会ってみたら、上手いのは当然なんだけど、人柄が素晴らしくて。恋に落ちたと言ってもいいくらいだと思う。すごくいいキャラで、優しくて。正直に言うと、彼の音楽的なセンスとかはまだ発展しきってなかったんだけど、指先の器用さについては見たことがないくらいすごかった。だって、僕はけっこう変態なフレーズを弾くギタリストじゃない?(笑) 当時からそうだったんだけど、彼はそんな僕のプレイのひとつひとつを、その場で即座に真似することができた。僕が彼の目の前でやることすべてを「カッコいいね。僕も弾いてみよう」って言いながら、その場ですぐに弾くことができたんですよ。そんな人を見たのは初めてだった。たとえば自分のバンドに誰かサイド・ギターの人を入れるとしたら、相当教え込まなきゃいけない。それは僕にとって大嫌いな作業(笑)。だけど彼は、僕のプレイを見ただけて弾けた。つまり、彼と一緒に組んだら同じことをライブでも実現できるわけだから、これはすごいことになるなと思って。だからソロ・アルバムとして作り始めていたものを少し変えて、ジェイソンの良さが出る場所もちょっと無理矢理付け加えて(笑)、バンド・アルバムとして完成させたんです。最初のうちは彼に対して興味もなかったんですけど、出会えたことで、いろんな新しいものが溢れ出てきましたね。

――ということは、結果的には当時のシュラプネル・レコーズ社長だったマイク・ヴァーニーに感謝しないといけませんね。

マーティ:感謝ですね、うん。


――カコフォニー自体はアルバム2枚で終わってしまったわけですけど、最初から彼と2人で一緒に作った2ndアルバムは、より満足のいくものになったはずですよね?

マーティ:2枚目を作るまでの間にジェイソンは相当成長しましたからね。1枚目と2枚目の間に2人ともソロ・アルバムを出して。彼に会ってから1年ぐらいしか経ってないのに、演奏の器用さももちろんなんですけど、音楽的な内容もすごく進化して。アホみたいに成長したんですよ、彼は(笑)。だからカコフォニーの2枚目での僕らは、五分五分みたいな関係にある。お互いが平等に貢献してるというか。それってバンドっぽいでしょ? そこで彼の良さがいっそう出てきた。彼の成長の度合いって本当にすごかったんですよ。上達していくペースもすごかったけど、内容がどんどん深くなっていった。もちろん僕自身だって、当時も今も成長し続けてるんですよ。少しずつ、意外といいペースでね。だけど彼みたいにわずか1年であんなに成長したミュージシャンなんて、僕は他に見たことがない。何年ぶんも、いや、何人ぶんも成長したという感じだったんです。「いったいその才能はどこから来てるの?」という感じで。

――これまでたくさんの天才的ミュージシャンに接してきたはずですけど、そんな人は他にはいなかった、と?

マーティ:他に絶対いない。見たことないですね。しかもいい方向に成長していた。当時、器用なギタリストというのはいっぱいいたんですよ。だから器用なだけでは珍しくもなんともなかった。でもジェイソンの場合は他の人とは違って、理解力があるというか。だってバッハとかパガニーニからの影響を受けてるのは当時なら普通だったけど、僕はもっとマニアックなクラシックの人から影響を受けていたし、皆さんもよく知ってるように演歌とか民謡とか、中国の二胡の音楽からもインスパイアされてきたでしょ? あの当時でも、僕のギター・プレイはかなり変な方向に発展していってたんですよ。

――なのに彼は、彼自身のルーツにあるはずもない、そうした音楽の影響下にあるフレーズをすぐさまコピーすることができた。

マーティ:そうなんですよ。彼にはまだウブなところもあって、当時、ディープ・パープルも聴いたことがなかったんですね。レッド・ツェッペリンも、ラッシュも知らなかった。そういうルーツが全然なくて、まるで白紙状態でした。だけど白紙だからこそ何でもできたんです。しかも何故か、彼は僕のことを尊敬してくれていて。

――何故か、って(笑)。

マーティ:どうしてかはよくわからないですけど(笑)。まあ、僕のほうがお兄ちゃんだったし、他のギタリストと比べて変わったスタイルだったから、というのもあると思う。もちろんヴァン・ヘイレンとかそういった、それ以前からいる上手い人たちのプレイも彼はコピーできたんだけど、そういったギタリストたちとはちょっと違っていたから、僕のことを面白いと感じてくれたんだろうと思う。だけど彼は僕から何かを吸収した後、マーティっぽいことをするんじゃなくて、自分の方向を見付けなきゃいけないんだということにも気付いたんです。誰かの真似に終わることなく、自分なりの方向に進まなきゃいけないことにね。それが素晴らしいと思うんです。

――そういう話を聞けば聞くほど、彼の作品というものがほんのわずかしか世に出ていないことが残念でなりません。マーティさん自身、キャリアのなかで重要なポイントに達したとき、「今頃本当ならここにジェイソンも到達していたはずなのに」といった思いに駆られるようなことが多々あったんじゃないですか?

マーティ:そういうことを考え込み始めると、非常に憂鬱になります。ただ、ジェイソンはそんなふうに考えて欲しいとは思ってないはず。あまりに状況が酷過ぎて…。彼がずっと普通の状態だったなら、世界中でファンが増え続けて、完全なギター・スターにならないわけがなかったわけですよ。それぐらいデイヴ・リー・ロスと組んだことは完璧な融合だったし、まさにスーパースターへの道が約束されていたと思う。だけど、そこから先のことについて「もしも、あのときこうだったら?」ということを考え始めると、ネガティヴな考えになってしまうから。なにしろ彼は、今でも自分なりに人をインスパイアしているんです。こんな信じられない状況にありながら、曲を作ったりアルバムを作ったり…。しかも彼は、“いい音楽”を作っているんですよ、病気とは関係なく。そこがポイントだと思うんですよね。だから、ジェイソンの音楽を聴くときに「ジェイソンは病気だけど…」という聴き方はやめて欲しいんです。

――ええ。それでは結局、彼の音楽を色眼鏡で見ることになってしまう。たとえば彼は、デビュー当時は「若いのにすごい」と言われていたわけですよね。だけど実際、若くなかったとしてもすごかったわけじゃないですか。それと同様に彼の音楽は、彼が病気じゃなかったとしても素晴らしいものなんだ、ということですよね?

マーティ:そうですね。それが彼の音楽に触れるうえでの入口になるんであれば、そこまでは許されると思うんです。病気とかこの映画を切っ掛けにジェイソンに興味を持って、それで音楽もチェックしようと思ってもらえるのは、いいと思う。だけどそれだけが理由で聴き始めても、それが“いい音楽”じゃなかったら、最終的にそんなに長く聴けるはずがないじゃないですか。切っ掛けは何であれ、いざ聴き始めれば、好きになるか、嫌いになるかしかない。そこで「病気なのにすごいよね」と言うのは、彼に対して失礼だと思う。

――同感です。ところで、ALSという病気についてはなかなか理解しがたいところがあるし、ただでさえ健康な状態にあるとき、そうでない状態にあるときの自分なんて想像しにくいところが誰にでもあると思うんです。マーティさんもアイス・バケツ・チャレンジを実践していたりしましたけど、そうした部分でいろいろと考えさせられる部分があったんじゃないですか?

マーティ:健康についても、もちろんいろいろ考えました。健康なときは誰も病気について考えたりしませんからね。ジェイソン自身も若い頃はそんなこと考えてなかったと思うし、今にして思えば、食生活のあり方が良くなかったことも何かしら関係してるんじゃないかと思えるくらい、昔の彼の食事は酷かったんですよ。今でも憶えてるのは、チーズバーガーとかをクルマのダッシュボードのところに放置したままにしておいたのを、次の日に平気な顔で食べてみたり(笑)。レコーディング中はファミリー・サイズの大きな容器入りのM&Mチョコレートをずーっと食べてた。健康のことなんかまるで考えないタイプだったし、僕にもそういうところがあった。もちろん今は、もっと健康について考えないといけないと思ってます。

――そうしたことも含めて、この映画は普段の生活のなかで見落としがちなことについて、いろいろと気付かせてくれるものでもありますよね。

マーティ:それは絶対あると思う。特に“やりたいこと”を抱えてる人にはね。それをホントにやりたいなら、中途半端にやってちゃいけない。どんな壁が、どんなハードルがあってもやるべきだと思う。ジェイソンは、音楽のために生まれた人だと僕は思うんですね。そしてたくさんのハードルがあるなかで、自分の音楽を作っている。他人の音楽じゃなくて、自分の表現したいものをやってるんです。みんなそれぞれにハードルがあるわけだけど、そのハードルを言い訳にするか、乗り越えていくか…それは自分で選択するしかないじゃないですか。この映画を観たら多分、みんなそれを感じるんじゃないかな。いや、多分じゃなくて絶対ですね。僕自身も、この映画のおかげで気付かされたことがたくさんある。自分の得意じゃないことをしようとするとき、やっぱりどうしても怠けがちになるじゃないですか。だけどジェイソンだったら「そこでもうちょっと頑張れば、次の段階に進めるんだよ」って言うだろうなって思えるんです。そうやって自分のなかで彼と対話することがある。たとえば僕は、機材関係のことがそんなに得意じゃない。だけどそんなのは、全然たいした問題じゃないわけですから。

――やりたいことをやり抜くためには、どんどん自分のなかでのハードルを上げていく必要もあるわけですもんね。

マーティ:うん。それでいいと思う。ホントにやりたいことがあるんだったら、そこまで徹底的に頑張るべきだと思う。僕自身、毎日のようにハードルを超えようとしてますよ。音楽についてもそうだし、その音楽をどうやってプレゼンテーションするかということについてもそうだし。でも、自分では最高の音楽だと思っているし、だからこそ、そのためにいろいろと頑張れる。誰でもやりたいことがあればハードルはつきものだし、そこに文句は言えないんです。遠回りしなきゃならないことも多いけど、そうすることで得られるものも絶対にあるし。自分の目的地に行くまでにはいろんな壁があるじゃん? ジェイソンの場合、目的は“いい音楽”を作ることなんです。それしかきっと考えてない。もう長く生きられないと聞かされたとき、彼がまず気にしたのは、そのとき作っていたアルバムが完成できるかどうかってことだったんですよ。音楽を続けられるかどうかだけを気にしていた。それはきっと、僕も同じ。とにかく僕らがやりたいことは音楽だし、どういうふうに音楽を目的地に届けるかということしか考えてないから…。本当のアーティストってそういうものだと思う。

――よく「明日、世界がなくなるとしたら今日は何をしますか?」みたいなことを聞かれることがありますよね。その答えが“音楽”以外にはないわけなんですね?

マーティ:音楽しかないですね。音楽やっているときには、「これは僕の最後の曲になるかもしれない」とか、それぐらいの気持ちを込めてやっていかないといけないと思っているんです。でもそうやって“いい音楽”と思えるものを作れたら、それを伝えていくために、音楽そのものとは直接関係のないことについても頑張れるし、ハードルを超えていこうと思えるんです。そうしていくことが、また次に音楽を作ることに繋がっていくわけだし。


取材・文:増田勇一

◆『ジェイソン・ベッカー Not Dead Yet~不死身の天才ギタリスト~』公式サイト
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