【イベントレポート】『長谷部宏トークショー』、飛び出す歴史的証言のガトリング

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日本人で初めてビートルズを撮影したカメラマン長谷部宏の写真展「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」が、現在新宿ビームス ジャパン Bギャラリーで行われている。今回その記念として長谷部が写真を撮り続けていた音楽雑誌「ミュージックライフ」の元編集長東郷かおる子をゲストに迎え、トークショーが行われた。

◆トークショー画像

■ビートルズとの思い出

東郷かおる子:まず、長谷部さんと言えば日本人で一番最初にビートルズを撮ったカメラマンとして有名なんですけど、その当時の編集長は星加ルミ子さん。ビートルズの写真撮影を依頼されたときはパリにいらしたんですね。

長谷部宏:僕はそもそも映画雑誌のカメラマンだったんだけど、テレビが出てきて映画がダメになっちゃった。それでちょっと充電しようとパリに行っていた。そのときにシンコーミュージックの先代社長草野昌一さんと偶然カフェで会ったんだ。そこで連絡先を知らせておいたら半年くらいしていきなり電報が来て、ミュージックライフがビートルズを取材できることになったからロンドンに行ってくれって。

東郷かおる子:で、彼ら主演の映画「ハード・デイズ・ナイト」をパリで観に行った。

長谷部宏:映画館に入ったら皆がキャーキャー言っちゃって何にも聞こえない(笑)。だけど、どれがジョンで、どれがポールだかは見当ついた。でもこんな凄い人気のある奴らって撮りにくいんじゃなかなぁって思っていたけど、ロンドンに行ったら、要するに彼らは日本人なんか見たこともないから、星加さんの着物を珍しがって。全然お高くとまってなかったね。

東郷かおる子:メンバーにはいい印象を持ったわけね。で、無事に取材が終わって星加さんが東京に戻ってきたときに日本中のマスコミが大騒ぎになっちゃったわけですよ。「日本人がビートルズに会った!」って、逆に星加ルミ子さんの取材になって(笑)。そしていよいよ1966年にビートルズが来日するわけですが。

長谷部宏:彼らが泊まってるホテルの1階下に部屋をとって、いつ取材OKになってもいいようにずっと待機して。

東郷かおる子:メンバーも外出できなくて非常に不満に思ってたらしいし。

長谷部宏:ジョン・レノンとかは絵を描いていて時間つぶしをしてたんだろうけど、それにも飽きちゃって。そういう時間にマネージャーが僕たちを呼んでくれたんだろうね。

東郷かおる子:そのときに撮ったのが、ジョンがシェーのポーズをしてる写真。


シェーのポーズを取るジョン・レノンの写真の前で、星加ルミ子と長谷部宏の貴重な2ショット。

長谷部宏:星加さんが一生懸命「シェー」なんて教えてるから、「みっともないからそんなのやめろよ」って言ったら、ジョンもポールも面白がってやってましたね。

東郷かおる子:ビートルズの武道館コンサートはアリーナには観客を入れてなかったでしょ。コンサートの写真はどうやって撮ったの?

長谷部宏:写真は基本的にはダメだった。だけど、僕は雑誌の写真撮ってるんだから「ダメですかそうですか」とはいかないから、カメラに大きな紙を巻き付け、隙あらば撮ろうと思って入った。たまたま女の子が立上がったら、そこにガードマンがサアッーと集まったんだよ、僕の周りが手薄になったから、今だ!って数枚撮ったんですよ(笑)。

東郷かおる子:写真に関してはうるさかったんでしょうね。当時その写真をミュージックライフで見て、高校生の私は涙を流さんばかりに感動してました(笑)。長谷部さんはビートルズが解散した後もポール・マッカートニーの取材はかなりしてるんですよね。

長谷部宏:ウイングス時代に日本公演が決まって、その直前1975年のオーストラリア・ツアーを取材に行った。奥さんのリンダ・マッカートニーに僕の写真集「小さな世界の大きな巨人たち」を見せたら、彼女もカメラマンだから「あたしもこういうの出そうと思ってたのに、先に出されちゃったわ」って悔しがってたけど。でもすぐ仲良くなって、発売前のフィルムをくれたりしたな。

東郷かおる子:長谷部さんを撮ったリンダの写真もあるし、リンダとはカメラマンとしての眼を通して写真談義とかもしたみたいで、リンダの撮ったカレンダーは毎年サイン入りで長谷部さんのところに届いたんだよね。

長谷部宏:オーストラリアで、動物園へ行ってコアラを見るから一緒に行かないかって誘われたんだ。で、約束した場所に行ったけど、いつまで待っても来ないんだよ。そしたら丁度日本から入国拒否の知らせが入ったときで、なんだかもめてたね。それでもコアラを観に行ったんだけど、リンダが「日本に行かれなくなっちゃった、日本の政府って嫌いだわ」って。「KOHが持ってるレンズを買おうと思ったのに」って言うから、そのレンズを外してあげたんだよ。

東郷かおる子:私、すごく覚えてるんですけど、ポールはビートルズ以来の来日だったから、ミュージックライフは星加さんとポールの対談っていうのを企画してたんですよ。それが無しになって、ものすごく残念だったって記憶がありますね。


■レッド・ツェッペリンは狼藉者?

東郷かおる子:私が長谷部さんと来日バンドの取材で最初に地方行脚して廻ったのが、なんとレッド・ツェッペリンなんですよ。

長谷部宏:こいつら本当に狼藉者で(笑)、一緒にバスに乗っていると、日本の女の子は誰でもどうにでもなると思ってるから、道を歩いてる子を見て「あの子がいいから、バスを停めろ!」って言うわけ。そんなことばっかり。でも、ミュージシャンとしてはちゃんとやってた。

東郷かおる子:そりゃあ、そうでしょ(笑)。でも、レッド・ツェッペリンの初来日って、当時、日本のロック・ファンにとって黒船だったんですよ。その前に流行ってたポップスの世界に、爆弾を落としたみたいになっちゃって。ホントにびっくりしました。コンサートの写真も撮ったのよね。

長谷部宏:まずね、ロバート・プラントが出てきて、「ハロー!」って叫ぶ声が武道館の天井にこだまして、凄いインパクトがあった。

東郷かおる子:当時は普通1時間くらいのコンサートだったのが、ツェッペリンはいきなり3時間半でしたからね。もう観てる方もくたくたなんですよ。でも、彼らは凄い体力があって。で、前の方に大学の運動部員が雇われたようなガードマンがいるんですけど、それが始まる前から客と殴り合いをしてるんです。で、演奏が始まった瞬間に、ウオーッと客が舞台の方へ押し寄せて押し合いへし合いの大ゲンカ。あれは何だったんでしょうね。

長谷部宏:僕なんか前で撮ってるとクシャクシャにされちゃうのね。だからしょうがないんでカメラで近くの奴らをぶん殴って。少し隙間ができたとこで、写真を撮って。若かったんだよ、僕も(笑)。

東郷かおる子:ファンは7~8割が若い男性ファンで、血気盛んでしょ。興奮してるから少々殴られても痛くないっていうのが当時のコンサートでね。ツェッペリンも中々取材できなくて、ジミー・ペイジを追いかけて一緒に九州か大阪か行きましたよね。

長谷部宏:人気投票1位の楯を作ってね、ツェッペリンはジミー・ペイジ以外は撮れたんだけど、彼は写真大嫌いだから中々撮れないんだよ。

東郷かおる子:ホテルの部屋がわかったので、電話をしたら、ジミー本人が出たんですよ。慌てちゃってしどろもどろで「音楽雑誌のミュー~」って言ったら、その途端にガチャって切られちゃった。その後も部屋に行ってノックしたら扉は開いたけど、「先ほど電話した~」っと言い終わらないうちに扉をバタンと閉められて。

長谷部宏:最終的にはホテルのロビーで待ち構えて撮ったけど。

東郷かおる子:5時間くらい待って。でも「1位おめでとうございます」って人気投票の楯をあげたらやけに喜んじゃって。最初から写真撮らせろってんだ、って思いましたけど(笑)。


■ミック・ジャガーのツバキを浴びて?

東郷かおる子:長谷部さんは。ザ・ローリング・ストーンズも来日前に(1973年:この公演は中止になった)ジャマイカで撮影してますね。アルバム『山羊の頭のスープ』のレコーディング中で。

長谷部宏:マネージャーからミックだけはスタジオの中では撮るなって言われていた。肝心なヤツが撮れないんじゃ~と思いながら、他のメンバーを撮ってて、気がついたらミックが側にいて、本番の演奏が始まっちゃったんだよ。

東郷かおる子:どういう状況かというと、ミュージシャンが入るブースに長谷部さんがいたら、ミックが入って来て、扉を閉めてレコーディングが始まっちゃった…という場面を想像してくださいね。

長谷部宏:ミックが歌ってる所から1m半くらい離れて座って見てたんだよ。ミックはステージと同じ動きで、ぐにゃぐにゃしながら歌って(笑)。まったく僕のことを無視。だからこっちも空気のように側にいた。

東郷かおる子:そのとき録音してたのが「スター・スター」だったんですって。

長谷部宏:ツバキは飛んでくるし、たまんねえなぁって思ったけど、貴重な経験ではあったんだよね。レコーディング中に写真を撮りに行ったのは、ローリング・ストーンズと、ビートルズとウォーカー・ブラザーズかな。

東郷かおる子:昔は海外に行ってミュージシャンを取材して写真を撮るなんてことは少なかったんですね、日本の音楽産業自体が成熟していなかったし、取材システムもできてなかった。そういう時代の移り目の中でミュージックライフはいろいろな新しいスターを発掘していったわけです。

この後、クイーン、キッス、エアロスミス、チープ・トリック、ジャパンなどの取材秘話が続いた。

東郷かおる子:取材は、まず長谷部さんが撮りやすいようにセッティングをするのが大変でしたけど、それでいい写真が撮れればうれしかったです。でも、1980年代も後半になってくると取材もだんだんやりにくくなってきて。コンサートの後に写真を撮るといってもパターン化した取材になって。

長谷部宏:そうだね、取材っていったら30分時間をくれて、20分がインタビュー、残り10分が写真。でもインタビュアーが20分でまとめられないと写真を撮る時間がゼロになる。こっちは撮らなきゃ仕事になんないから、そうなってくるとけんか腰なんだよな。次の連中が廊下で待ってる…っていう状況の中でちゃんと撮らなきゃならない。でも、そういう状況でも撮れるっていう自信は、僕持ってたから。

東郷かおる子:そこは本当にプロなんですよ。例えばデュラン・デュランがすごい人気が出た後、二回目の来日のときの武道館ではステージに上がる前に「3分あげるから写真をとれ」って言うんです。ミュージックライフは表紙にしたいわけで、表紙にする写真を3分で撮るなんて無理と思いますよね、でも長谷部さんはちゃんと撮るんですよ。それは本当にすごいと思いますね。連続シャッターでダダダダって撮ってくれて、そこから選んで表紙にしてきたんです。長谷部さんと一緒にやった1970年代から1980年代、洋楽特にロックにとってはいい時代でしたね。今は想像もできないでしょうけど、当時キッスとか言えばその辺を歩いているおじさんに聞いても、「なんかこう顔を塗ったロックバンドだろ」って言ってくれるような時代だったんです。洋楽ロックのシェアもずいぶん高くて、ヒット曲もいっぱいあった。だから長谷部さんの写真は、その洋楽の黄金時代の歴史を物語っている写真じゃないかと思います、お帰りになる前にもう一度そういうこともふまえながら見て楽しんでいただければと思います。

この後、何人かの質問に長谷部が答える形で、1時間半に及ぶトークショーは終了した。

「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」は、ビームス ジャパン6階 Bギャラリーで2月11日(祝)まで開催されている。


「MUSIC LIFE PHOTO EXHIBITION~長谷部宏の写真で綴る洋楽ロックの肖像~」
Bギャラリー(ビームス ジャパン 6F)
東京都新宿区新宿3-32-6
http://www.beams.co.jp/labels/detail/b-gallery

◆歴史的エピソード満載、長谷部宏「写真展示会」開催スタート
◆洋楽ロックを日本に伝えてきたカメラマン、長谷部宏
◆洋楽シーンを撮り続けてきたロック・フォトグラファー、長谷部宏のドキュメント
◆洋楽シーンを伝え続ける書籍『ロックンロール・フォトグラフィティ 長谷部宏の仕事』
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