【インタビュー】ジョルジオ・モロダー75歳、まだまだ踊ります

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――このアルバムが何か訴えていることがあるとしたら、どんなことでしょう?

ジョルジオ・モロダー:“若さを保つためには踊らなくちゃ!”というのがメッセージだよ(笑)。

――ダフト・パンクとのコラボ曲『Giorgio by Moroder』の中であなたは「一旦、」ハーモニーというコンセプトや音楽的な正確さを忘れて、心を自由にしたら、なんでもやりたいことができる」と語っています。これは今もあなたの信条なんでしょうか?

ジョルジオ・モロダー:どちらかというと古い信条だけど、ドナ・サマーの『I Feel Love』を書いてプロデュースした時の僕には、何をどうしたらいいのか全く分かっていなかった。それに、過去の音楽で参考にできるものは一切なかった。だったら自分を解放して、何だっていいから心が赴くままに、思いついたことをやればいい。もしそれがいい結果を生んで成功したら素晴らしいし、うまく行かなくて失敗しても構わない……とね。で、僕は運に恵まれたんだよ。ただ、今の僕はそれほど、新しい音楽を作らなければ!ということは気にしてはいないんだ。そうする必要はないと思っている。何かすごくいい曲が生まれたら、それを今っぽいサウンドで表現するのは面白いとは思うけどね。このアルバムを発表したあとも、また新しいアルバムを作る機会を得たら、その時にはまた心を解放して、新しいサウンドを開拓するのもいいかもしれない。……“新しいサウンド”というのはちょっと違うかな。厳密には“新しいレコーディング方法”だね。でも現時点では、今やっている音楽に満足しているよ。

――あなたは常々「未来の音楽を作りたい」と言ってエレクトロニック音楽を追求してきたわけですが、こうして実際にやってきた未来は期待通りでしたか?それとも少し落胆しているとか?

ジョルジオ・モロダー:いいや、僕はいたってハッピーだよ! 僕は今のエレクトロニック音楽やダンス・ミュージック、というかポップ全般を愛している。だから不満なんかない。音質はどんどん上がっていて、昔より遥かにクオリティが高いし、クリーンだし、じつに美しい。今は、音楽を作るには本当に素晴らしい時代だと思うよ。

――日本には何度も来ているそうですが、個人的には日本に関する最も素晴らしいポップ・ソングのひとつだと思うジャパンの『Life in Tokyo』(1979年)もあなたがプロデュースしましたよね。あの曲を作った時点で東京に来たことがあって、実体験した東京をイメージしたんですか?

ジョルジオ・モロダー:どうだったかな。当時確か日本映画の音楽に関わって、その仕事で2度行ったから、ちょうどその頃に『Life in Tokyo』を作ったような記憶がある。それからはかなり頻繁に訪れていて……過去30年間に15回くらいは行ったんじゃないかな。それから最近も、初めてのライヴ・ショウのひとつを東京のビルボードでやった。だから、また日本に行けるチャンスが訪れるのを心待ちにしているよ(笑)。北京にも7~8回行っているんだが、北京から帰る時も毎回東京に寄って、2日くらい滞在するんだ。そしてお寿司を食べたり、アメリカのお寿司と比較したり……(笑)。そんなわけで東京で過ごすのは大好きだから、アジアに行く時はいつも東京を経由しているよ。

――この先、『Déjà vu』でツアーを行なうことも考えていたりするんですか?

ジョルジオ・モロダー:DJとしては活動を続ける予定で、色々準備を進めているけど、ライヴ・パフォーマンスの可能性も今検討している。クラブやフェスティバルで、DJとライヴをミックスしたようなショウをやれたらと思って。さすがにシーアやブリトニーのような人気者に同行してもらうのは無理だろうけど、ほかに誰かシンガーを探してもいいし、面白いことができそうな気がしているよ。

インタビュアー:新谷洋子

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