【インタビュー】中野テルヲ、孤高の電子音楽家の20周年ベストに「責任が持てる音楽」

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“孤高の電子音楽家”中野テルヲが3月16日、ソロ活動20周年アニバーサリーイヤーを記念し、2枚組のベストアルバム『TERUO NAKANO 1996-2016』をリリースした。

◆中野テルヲ 画像

80年代にP-MODEL、そして90年代にはLONG VACATIONといった伝説のグループで活躍し、1996年に発表した初のソロアルバム『User Unknown』で、確固たる独自の世界観を確立させた中野テルヲ。そんな彼の、20年に渡る歩みはもとより、"音"に関する原体験から、制作手法や活動スタイル、そして音楽家としてのこだわりに至るまで、真摯に語ってもらったロングインタビューをお届けしたい。

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■“コンピューター対人間”といったような
■関係性が強いライブスタイルだと思います

──まずは、3月5日に開催されたライブ<中野テルヲ[Live160305]>の感想からお聞かせいただけますか?

中野:今回はワンマン公演でしたから、機材的にもフルセットで、楽曲的にもまとまった形で約1時間半のステージができて、おかげさまで盛り上がりました。今年はソロ活動20周年イヤーということで、ライブを多めにやろうと考えているんです。

──このインタビューの本題でもある、3月16日発売のベストアルバム『TERUO NAKANO 1996-2016』には豪華なブックレットが付属されていて、そこに収録されている中野さんのライブクロニクル(全ソロ公演のセットリストも掲載)を拝見すると、特にここ数年はライブ活動が活発ですよね。楽曲制作とは違う、ライブならではの楽しさも感じていらっしゃいますか?

中野:だんだんと感じるようになってきましたね。ライブ活動を再開した2009年から2012年くらいまでは、ライブでも、まだ“仕込み命”みたいなところがあって、ライブ用のプログラムを組むことばかりに力を入れていたんです。それが本番で上手く再生できるか、表現できるかといった部分に集中しがちだったんです。でも、ライブの回数を重ねるにしたがって、やはりお客さんとのやり取りや反応を楽しめるようになっていきました。ですから、お客さんに対して、もう少し自分を開いていくような気持ちが出てきたというか。もちろん、コンピューターにプログラムされた部分はあるんですけれども、それ以外の、人間が表現する部分を感じられるようになったという変化があって、ここ数年は、ライブでもそういった楽しみ方ができるようになりました。

──中野さんのライブを拝見して印象的だったのが、最新のテクノロジーを使い、コンピューターなどの機材量もすごいですが、でも実際のパフォーマンスとしては、とてもフィジカルな要素が強いということでした。

中野:最新のテクノロジーというよりは、アナログの要素がすごく強くて。たとえば、(発音のきっかけとなる)トリガーを出すのが自分の動作だったりするものですから、その微妙なタイミングだとか、“コンピューター対人間”といったような関係性が強いライブスタイルだと思います。

──そして今年、ソロ活動20周年を迎えられたわけですが、中野さんのキャリア全体を振り返ると、ちょうどプロデビュー30周年にもあたるんですよね。

中野:そうなんです。最初のソロアルバム『User Unknown』をリリースしたのが1996年ですが、プロとしての活動は、1986年にP-MODELに加入した時から始まっていて、そこからいろいろとグループは変わりながら、もう30年が経ったということになります。途中、ちょっと活動していなかった時期もありますが、2009年以降、ライブ活動が活発になってきた頃から今までは、あっという間でしたね。ライブの本数も多かったですし、音源のリリースも1年くらいのタームで行なっていましたし、流通盤のほかにもライブ会場限定盤も出しているので、常に制作をやりながら、ライブの準備をしたりといった日々でした。

──80年代のP-MODELや、KERAさん(有頂天)、みのすけさん(元・筋肉少女帯)と結成したLONG VACATIONでの活動については、ファンの皆さんはよく知るところだと思いますが、もっとそれ以前の、中野さんの音楽の原点について聞かせてください。そもそも中野さんは、どういったきっかけで音楽を始めたのでしょうか?

中野:原点と言えるかどう分からないですが……ラジオを聴くのが楽しみだった時期があったり、テープレコーダーを持ち歩いて、野外でいろんな音を生録して集めたりといったことをしていて、その2つのことが、自分の原体験としてあるように思います。そこに、音楽的な関心が入り込んできたところが、原点じゃないかと思っています。

──幼少期からフィールドレコーディングを行っていたんですね。

中野:カッコよく言うと、そうなります(笑)。マイクを使って録音して、テープに記録された音を聴くのが好きだったりと、音そのものに関心があったんでしょうね。そこからだんだんと発展して、次に編集を始めるんです。そうして、いろんな音素材を混ぜていくうちに、何となく音楽的なものとのつながりを意識していったんじゃないかと思います。

──“音楽的なもの”として、影響を受けた音楽やミュージシャンは?

中野:直接的に影響を受けたのは、ニューウェーヴ、特にテクノポップですよね。それ以前にも、アマチュアでコピーバンドをやったりしていましたけど、オリジナリティーの強さを感じたのは、やはりニューウェーヴでした。

──中学生時代には、PRISM(※ギタリスト和田アキラらによって1975年に結成されたフュージョンバンド)のコピーをやっていたそうですね。これはちょっと意外でした。

中野:その頃は、ちょうどクロスオーバーとかフュージョンの先駆けといった時代でしたから。そのPRISMのコピーバンドで、ベースを弾いていました。仲間とパートを取り合って、その中でひとり、特にギターが上手いやつがいたので、それ以外のパートで何がいいかと考えて(笑)、ベースを選んだんです。そういったバンド活動と並行して、生録などをやっていたんですが、それが次第にクロスしていって、自分の作品を多重録音で作るといった流れになるんです。

──なるほど。今回のベスト盤を聴いて、中野さんの作品は、巷に溢れる音楽とは一線を画す、音のデザイン性が極めて高いことに改めて気が付きました。

中野:アレンジ~録音からミキシングまで、基本的にすべての作業を1人でやっているんです。音を重ねていく作業は今でも好きですし、自分の好きな重ね方というものが、ずっと続いているんじゃないかと思います。それが個性になっていればいいんですけどね。

──もちろん、そこに中野さんのアイデンティティを感じますし、それこそ楽器以外の音、たとえばノイズに至るまで、あらゆる音を“楽音”として音楽に採り入れていく感覚も、アマチュア時代の生録体験で育まれたものなのかなと、お話を伺いながら考えていました。

中野:それはあるかもしれませんね。自分はどちらかと言うと、イメージした音を探すというよりも、“どんな音でも使えるぞ”という感覚なんです。ただ、実際に選ぶ音は限られていて、どうしても好きな音に集約されていくんですけど、ノイズみたいなものには、昔からすごく興味を持っていました。生録をやっていた時代から親しんでいたテープのヒスノイズだったり、環境ノイズをマイクで拾った時に聴こえるテープの質感、そういった要素は、音の素材、アレンジの一部として採り入れています。たとえば、自作のダミーヘッドマイク(注:頭部模型の耳部分にマイクを埋め込んだ物で、バイノーラル録音を行えるマイク)を通して録ったスタジオの環境音だとか、そういったノイズ的な要素を曲に使ってみたり。場合によっては不思議な音像を作り出すことができ、それが面白い効果を生むんですね。

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