「俺の夢は“お客さんがどのステージも観なかった”っていうもの」【検証】フジロックが20年愛され続ける理由 ~SMASH日高正博編~

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フジロックが始まって今年で20年。フジロックに関わる様々な関係者に取材を試みて分かったことがいくつかある。ひとつは、フジロックは「自然と共存することに根ざしている」こと。つまり相手が自然なので、自分の都合だけで全てうまく行くわけではないということだ。雨も降れば強い日差しも注がれる。理屈よりも本能が優先されるシーンにも出くわすだろう。要するに、現代社会に飼いならされてしまった人にとって、自然回帰への強い自浄作用が振りかかる。それをセラピーと捉えるかストレスと捉えるか、あるいは心のデトックスと感じるか。人によって振れ幅は大きいものの、フジロックが人という動物に作用する効能は、想像よりもはるかに影響力があるようだ。つまりは人間力が顕になる非日常がフジロックという空間だ。

取材を通してわかったもうひとつに、20年もの歴史を重ねてもフジロックは未だ生みの親である日高スピリットにあふれているという点がある。数百のアーティストと十万人を超える音楽ファンによる年に一度の一大音楽祭りにもかかわらず、そのすぐ裏にはたった一人の日高正博という男の想いとこだわりだけでルールができている。そんなイベントをよく知る苗場の現地関係責任者は「フジロックの精神性は100年、200年続く価値がある」と明言したが、これがただ一人の男から発せられたものであるという事実もまた、見逃せないポイントだ。

日本人が持つ自浄作用をもって、音楽を愛する人々の性善説から自然発生的に成長を遂げたようにも見えるフジロックだが、そんな奇跡が勝手に起こるはずもなし。フジロックの魅力は、日高正博という人間の魅力にほかならないのは、疑う余地がないように見えた。フジロックとは何か…もちろん最後に行き着くべき取材対象は、株式会社SMASH代表取締役社長でありフジロックフェスティバルの創始者、日高正博氏だった。

快く取材を受けてくれた日高氏は、我々を自宅にまで招いてくれた。リビングでは、たくさんの犬と猫が自由に歩きまわっていた。

  ◆  ◆  ◆

■ 老後のためには大きな企業に勤めてお金は貰っておいたほうがいい。
■ けど、いい大学に行くためにいい高校に行って……これって、囚人みたいなもんだよな


──先日苗場で取材をしましたが、現地の方の「フジロックの精神は100年、200年残っていく」という言葉が印象的でした。つまりフジロックは我々より寿命が長いものであると。

日高正博:俺もそのインタビュー読んだけど、まぁ最初は俺達に対して「何者だ?」だったよ。そう思うのは当たり前だよな。俺も悪いことしか言わねえから。でも「地域と一緒になってやっていこう」というのが前提だし、そのためには何度でも足を運ぶよ。だってさ、「夏になったら勝手に人と機材がやってきて、そこで生まれた金も全部東京に持って帰る。残るのはゴミと騒音の跡だけ」なんて、あり得ないだろ。

──それは、1997年の天神山、1998年の豊洲の経験によるものですか?

日高:いやいや、それが普通でしょ。人の家におじゃまするんだもん。そりゃ、お土産持って行かなきゃいけないし、親しくさせていただくのが一番いいことだからね。そこは「イベントするから」とかじゃないと思うんだよな。俺は今までそうやって生きてきたから、おかげさまで友達だけはいっぱいいるよね。

──初回は富士の麓、2回目は東京でしたが、フジロックは山じゃなくちゃいけなかったんですか?

日高:いや、どこでもよかったよ。海の上だろうがなんだろうが。要は、日常生活から離れるっていうことが一番大切で、そこに理屈はないの。敢えて言うとね、俺が夢見ているフェスティバルというのは、自然の中でみんな一緒になって楽しんでいくというものなんだよ。だから山でも海でも川でもどこでもよかった。

──一番聞きたかった答えです。非日常を楽しめる場所であれば都心でもよかったですか?

日高:いや、都心はないよね。だって便利だもん。行くのがキツイとか、3日間過ごすためにはそれなりの装備が必要になるとか、自分なりの楽しみ方を見つけるっていうことが生まれないとダメだよ。俺は、子供の頃やったピクニックと同じだと思っているんだけどね。だって我々は、日常空間自体に凄く縛られているわけだから。こんなにストレスの多い国って世界にあんまりないと思うよ。

──便利に囲まれた日常ですが、不便さを求めてフジロックに向かうって、どういうことなんでしょう。

日高:俺はただ面白いことをやっただけだよ。誰かがやってたらやってなかったね、誰もやってないことだから。俺、本当になんでもかんでもひっくり返すのが好きなんだよ。子供の頃から親に逆らい、公に逆らい、勤めたらそこの社長に逆らった。別に逆らうために生きてきたわけじゃないけど「それ、おかしいなぁ、おかしいなぁ」って思って生きてきた。生活も便利になったほうがいいと俺は思うけど、でも便利に慣れてしまうと人間としての根本的な生活を考えなくなってしまう傾向がある。

──バカになってしまう?

日高:バカとかじゃなくて、なぜ成り立ってるのか?ということ。この前の東北の地震もそう。原発を作ることになったのは1960年代の高度経済成長の頃で、これからのために電力を供給する必要があるからやろうとなった。で、そこばっかりを夢見てきたわけだよね。俺は神様も仏様も信じないけど、そういうことやってるとろくな事ないんだよね。

──何が間違いだったんでしょう。

日高:俺は間違ったなんて言ってないよ。誰も間違ってない。敢えて間違ったことがあったとすれば、利益追求型の会社であったり、当時アメリカのニクソンと手を組んだ日本の政治だったりだよね。実は当時、何が起きたらどうなるかっていう“恐れ”に関しては一切説かれなかったんだ。ああいうものを作るのであれば、冷却のための水場がないと絶対いけないよね。そして、何かあった時の地元の人や労働組合に対する保障を、日本は結んでない。地域社会と働いている人達への保障が一切ないんだよ。でもそれに対して政府もなにも言わないし、やってる会社はもちろんそんなこと言わない。日本は保障に対する権利意識が非常に薄いよね。水俣病やイタイイタイ病、富士市にある製紙工場の廃水の垂れ流しがあっても、地元ではそこで何万人も働いているから何も言えない。おまけに、そこの社長がゴッホの絵を125億円で買って「死んだら棺桶に入れてもらうつもりだ」って言って海外のプレスからも叩かれた。それくらい金持ちも質が悪いんだよ。まぁ要は、便利になるっていうことはいいことなんだけど、でも人間の生活感としてそれだけでいいのか?っていうこと。「便利」は使うもので、使われちゃいけないんだ。

──そういう話は、若い時によく会話を重ねたものですか?

日高:それはあるよ。だって俺の周りは1960年代〜1970年代安保の連中ばっかりだもん。一般論として、1960年代安保を戦った人は凄いなと思う。根性入っているからあの人達が司ってるところはあるよね。あれから40年以上経つけど、そういうことを経て今まで来ているよ。利口っていう言葉はイヤだけど、1960年代の高度成長から続いている歴史を振り返ることは大切だよ。「古きを訪ね新しきを知る」じゃないけど。そういうような気持ちにさせるかさせないか、そういう環境があるかないかなんだけど、今はないんだよ。

──ええ。

日高:これも一般論だけど、大きな企業に勤めて定年退職したら、老後のためにお金は貰っておいたほうがいい。けど、そのための逆算をしてるとしか思えないんだよね。いい大学に行くためにいい高校に行って、いい高校に行くためには塾に入って…。これって、俺に言わせりゃ囚人みたいなもんだよな。でも、善しとされてるわけ。そんなことやってたら国っていうものがおかしくなっちゃうと思うよ。自覚してやっているんだったらいいけどさ。

──でも若い時は生きることだけでがむしゃらだし、他人に差し伸べる余裕もないですけど。

日高:それが普通だと思うよ。だから、フジロックみたいなものが何故ああいうところで行われるのか、と。あそこに行って楽しむためには、相当自分を自己解放しないと楽しめないよね。自分が決めたバンドだけ観て帰ってくるっていうのは、インドアの人がたまたまアウトドアの空間に行っただけだから、それならあそこまで行く必要ないし俺らもやる必要ない。それなら東京ドームでやったほうが簡単だよな。駅から出たらすぐに会場に着いて「はい、ロッカーはここ、トイレはここ」「はい、座って観て下さい。終わったら終電に間に合いますよ」って(笑)。もちろん俺もドームや武道館でそういう仕事もやったけど、フェスティバルっていうものはそういうものじゃないと思ってるよ。

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