■ 当時、会社がある程度成り立っていたからやったんだろうね
■ …いや、会社を潰したかったんだろうな。俺の子供の頃の夢は銀行強盗だからね

──結果的に10万人が訪れる規模になりましたが、日高さんからすると当然の結果ですか?

日高:いや、そこまで行くとは思ってなかった。第一、20年目を迎えるなんていうことも考えてなかったもん。やりたくて始めたのが1年目、その時も翌年のことなんて何にも考えてなかった。

──ビジネスという観点ではリスクもずいぶん大きいですよね? 実際1年目に受けた台風という仕打ちは大きな誤算だったわけで。

日高:そりゃあね。天神山界隈の人と話してわざわざあの日程に決めたんだもん。「他の日は危ないけど、その日程ならば台風は来たことがない」って言われたから、考えていた日程からずらしたんだよ。

──それは皮肉ですね。

日高:でもそういう意味では、それでよかった。上から冷水ぶっかけられたわけだからね。チケットもソールドアウトしていたから、「お前ら調子に乗るんじゃねぇぞ」と言われた気がしたよ。できない悔しさもいっぱいあったけど、良い教訓だと思ったよ。

──そして自己解放できる自然の中での音楽と共生する苗場フジロックが誕生するわけですが、そうは言ってもその魅力が伝わらず、お客さんが来てくれないかもしれないという、ビジネスとしての難しさはなかったんですか?

日高:そこは俺も一応経営者だからね…ケタ違いの金がかかってるし。そりゃ「やろう!」と思っても「ちょっと待て。危ないぞ」っていう気持ちもあるよ。当時もう40歳過ぎていたし。だけど、自分の気持ちには歯止めがきかないっていうのが子供の頃からの俺の性格だから。当時、会社がある程度成り立っていたからやったんだろうね…いやたぶん、心理的な潜在下においては会社を潰したかったんだろうな。

──アウトローの血が騒いだ?

日高:アウトローまでは行かないけどさ(笑)。ま、俺の子供の頃の夢は銀行強盗だったからね。本当だよ。

──お金をたくさん手に入れたいっていうこと?

日高:いや、面白いじゃん!

──ふざけてるなぁ(笑)。

日高:アメリカの西部劇の時代だったら平気でやれたのになぁ、とか思ったよ。でも日本ではできなかったから、親父とおふくろが死んでからやろうと思った。両親が死ぬまでは、刺青と大きな犯罪はしないと決めてたからさ。まぁ話を戻すと、SMASHを立ち上げた時は、音楽業界に対して「なんじゃこりゃ」っていう気持ちがあったからね。「くだらん音楽ばっかりやって」って思ったし、レコード会社や放送局の業界内の馴れ合いも大っ嫌いでさ。

──音楽業界に対してストレスがあったと。

日高:そんなもんじゃないよ。頭に来てたよ。だから違うことやろうと思ってSMASHを立ち上げた。

──自分が好きな音楽が利用されているストレス?…どういう感情ですか?

日高:そんなことじゃないよ、システム化されちゃった慣れ合いの世界が嫌いなの。それによって新しいことが何もできない時代だったから、じゃあ好きなことやろうと思ったわけ。俺、音楽では自分に嘘つきたくないんだよ。嫌いな音楽には触りたくない。でもSMASHを立ち上げた頃は食えなくて酒ばっかり呑んでたなぁ。…ん? なんで酒はあったんだ?

SMASHスタッフ:酒だけはなんとか確保していたんでしょう。

日高:まぁそれで、ある程度会社が成り立つと、今度はぶち壊したくなるんだよね。

──悪い癖ですね。

日高:俺は健全だと思ってるけどね。そういう面を持たないとダメだよ。そういう面を持たないと、山一證券みたいに粉飾決算をやっちゃうことになる。

──守りに入るとダメになるのは自然の摂理ですね。

日高:フジロックは、始める2〜3年前から温めていたんだよね。誰にも言わずジープに寝袋を詰め込んで日本全国あちこち廻った。

──心の中はワクワクなんでしょうね。

日高:本当に面白いよ。俺、キャンプ好きだしね。道具も何も使わずに、木を拾って火を焚いて炎を見ながら食事をして酒を呑む。ある時は星が出てるしある時は雨が来たりする。雨が降ってきても楽しいんだよな。外にいるのが好きなの。

──だからフジロックが生まれたのか。

日高:やりたかったことが何個かあった。いいバンドやアーティストを観て欲しいということと、「音楽はいっぱいあるんだよ」ということを伝えること。つまり、知らなかったものに触れて欲しいということ。若い人たちにアフリカから中南米からいろんな音楽を全部紹介したかった。あと民謡だよね。日本のもそうだし、スコットランドとかアイルランドやカリブの音楽だとか、そういうものを聴いて欲しかったし、東欧のジプシー音楽やジプシーライフみたいなものを見て欲しかった。もう1つは、山の中に慣れて、つい顔がほころぶような環境を作りたかった。

──どういうことですか?

日高:いわゆるムダだよね。ムダにお金を使う必要なんて本当はなくて、ステージだけバンっと作っちゃえばそれで済むのかもしれないけど、それ以外の要素が必要。歩いてたらニコっとしてしまうような風景だったりっていうものは、音楽と同じように大事だと思う。だからボードウォークをやることになったし、そこからフジロックの森が生まれて発達していったわけだし、そういう環境作りが一番大事だと思っている。何もないところにステージだけ作って「さぁ、観なさい」だけじゃ面白くない。だって俺、お客さんがニコーっと笑ってるの見るのが大好きなんだよ。俺の夢はね、「お客さんがどのステージも観なかった」っていうものなんだよ。ビールを呑んで草っぱらで寝っ転がってたらあっちこっちから音が聴こえてきて、いい天気で…それで楽しかったって思ってもらえたら成功だと思っているんだ。

──その精神性のフェスって、未だ他には見当たらないですね。

日高:まぁこれは独自のものだからね。他のフェスもよく知っているよ。<SUMMER SONIC>という都市型のものも必要だと思っているのね。こっちも非常に勉強になるし自分の反省や勉強になるから、いい対照があったほうがいい。日本の音楽を自分らの視点で見せている<ROCK IN JAPAN FESTIVAL>も、やっぱり渋谷(陽一)くんの感性が非常に働いているし、あとは北海道の<RISING SUN ROCK FESTIVAL>、<JOIN ALIVE>は、同じく日本の音楽を扱ってるけど好対照だよね。だからコンペティションっていうものは、お互いが刺激し合えるからいいことなんだ。それに<ARABAKI ROCK FEST.>も、やる前から彼らには相談を受けてたし、彼らの音楽に対する情熱を理解してるから応援してるよ。あとは、これはまだビデオで観てるだけだけど、福岡の海辺でやってる<Sunset Live>もいいよね。九州だけと見に来てくださいよ〜って言われるんだけど、フジロック終わった後はなかなか行けないんだよね(笑)。まぁだから、俺は、“フェス文化”っていうものはいいと思っているんだよ。でもフェスティバルっていうものは、お客さんが選ぶものだからね。「いっぱいありますけど、どう思いますか?」ってよく訊かれるんだけど、別にどうとも思わないっていう(笑)。

──(笑)

日高:日本は、隣がラーメン屋やって凄く売れたら、自分たちもうどん屋やめてラーメン作るべ、みたいなのはよくあるよね。柳の下にドジョウが3匹ってこと。あっちが成功してるから俺らもやろう、そういう現象って当たり前に起こるよね。でも大切なのは、やる側に、「こういうことがやりたいんだ」っていうビジョンと、夢があるかどうか。そうしないと自然と淘汰されるよ。ま、俺達が淘汰されちゃうかもしれないけど(笑)。

──フジロックをリスペクトして「同じようなフェスをやりたい」と思う人が出てくるのは不思議じゃないけど、ホワイトステージに行く途中の崖があるにもかかわらずに柵ひとつ作ろうとしない…その精神性は真似できないと思う。

日高:さぁ。酔っ払ってコケて怪我した人間はいるけどね(笑)。

──その真意を問う労力を考えるととっとと柵を作ったほうが早い。他のフェスだったらとっくに安全のための柵が作られるに決まっていると思うんです。それでは第2のフジロックは生まれないよなあ、と。

日高:(柵は)いらねぇよ。自分の面倒くらい自分で見ろよ、酒呑んでボロボロに酔っ払ってそういう場所を歩くんじゃねぇ、というのが俺の答えだね。

──ありがとうございます(笑)。

日高:あんなもの大した金じゃないし、そりゃモノをただ作るのは楽だよね。でも、そうじゃないんだ。「自分で自分の面倒を見なさい」っていうのが一番にあるから、とにかく「自分の家まで無事に着いてくれ」ってお客さんに言い続けてきた。あとは「なるべくゴミを出すのはやめてくれ」くらい。そして、「自分で楽しみ方を見つけてください」っていうことだよね。あれもダメこれもダメじゃ、まるで小学校の修学旅行みたいだよ。日本人って旗の下に集まるのが好きなんだよ、パックツアーってのがさ。ところで面白いTシャツ(レーナード・スキナード)着てるね。好きなの?

──好きです。

日高:俺、中野サンプラザで観たよ。メンバーが飛行機の墜落事故で亡くなった半年くらい前かな。

──え? 来日したことすら知らなかったです。

日高:もの凄くいい席を取ってもらったんだけど、前から3番目だったから音がいい感じで聴こえてこないんだ。左右のスピーカーの位置と結んでできる正三角形の角の位置が一番音がいいんだよ。だから俺は、そこから後ろに下がって自分がいいなって思う位置の席のお客さんと「交換しない?」って交渉するわけ。そうすると「うわー」とか言って喜ぶんだよね(笑)。凄くいいライブだったよ、今でも覚えている。間奏でさ、ドラム以外の全員が♪ツックタッタってブギー鳴らしてスリ足で前に出てくるんだよね、ボーカル(ロニー・ヴァン・ザント)が山高帽かぶってさ。ワァ〜!ってなったよ。でね、後ろにベージュ色のピーヴィーのアンプがバーっと並んでいてカッコイイのなんのってさ。

──観たかったなあ。気づいたらもう(飛行機事故で)亡くなっていたから…。

日高:そうでしょう。俺、結構いろんなもの観てるよ。30歳過ぎてから海外が長かったからだけど、でも中野サンプラザで観たもうひとつの思い出というとボブ・マーリーだね。朝、朝日新聞見てたら、昼の15時から中野サンプラザでやります、ってたった1行の広告が出てたんだよ。俺、日本に来ている事も知らなかったから、ワァ〜!ってそのままサンプラザに行った。もうそこはマリファナだらけよ(笑)。ボブも新聞紙みたいな大きいの吸いながら「♪get up stand up〜」って、凄かったよ。結局、俺、キングストンの彼の家まで行ったもんな。リタ・マーリーとジギー(・マーリー)が応対してくれたな。

──うわー、いいなあ…。

日高:こういうの語り始めたら何時間でも話せるよ。

──そういった経験全てが、こういうフェスを行うことにつながっているんでしょうね。

日高:たぶんね。俺には見えてないけど、足の下深くのどこかにはあるんだろうね。

──その時に感じた喜びとか興奮とか。

日高:うん。目に見えない蓄積があるよね。まぁ、面白かったよ。

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