【サウンドレポ】THE YELLOW MONKEY「また、みなさんの好きなロックンロールのひとつに加えてもらえたら」

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1月に再始動を告げたTHE YELLOW MONKEYが、全国ツアー<THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016>のさいたまスーパーアリーナ公演を7月9日、10日に開催した。今回BARKSでは、9日公演の模様について、サウンド面に迫ったレポートとバンドのドキュメント面から切り取ったレポートによるクロスレビューにてお届けする。本稿は、そのサウンド面のレポートにあたる。

◆THE YELLOW MONKEY ライブ画像

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THE YELLOW MONKEYが7月9日、全国ツアー<THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016>の13本目となるさいたまスーパーアリーナ公演を開催した。同ツアーは15年ぶりに集結した4人による復活ツアーであり、追加公演を含めて全国12ヶ所のアリーナ会場を各2公演ずつ、足掛け5ヶ月間トータル24公演の規模で行われるものだ。その折り返し地点となるさいたまスーパーアリーナ公演初日は、精神的にも演出的にも飾ることのない、しかし圧倒的な存在感と自信に裏付けられたサウンド&プレイが印象的なものとなった。加えて、「THE YELLOW MONKEYは、もう生涯解散することはありません」と宣言したステージが超満員のオーディエンスの熱狂を高め、極上の熱が渦を巻いて果てしない。



さいたま新都心に位置するさいたまスーパーアリーナは国内最大級の多目的ホールだ。<LOUD PARK>や<VIVA LA ROCK>をはじめとするフェスや、大物アーティストのアリーナ公演で使用されるなど、現在の音楽ファンにはお馴染みではあるものの、THE YELLOW MONKEYのライヴとしては初。2001年1月に活動休止、2004年7月に解散した彼ら4人よるステージが、2000年にグランドオープンした同アリーナ会場で行われたことはなかった。ライヴ序盤、吉井は再集結の挨拶とともに、この会場について、また、さいたまにまつわるバンド結成当時について触れた。

「15年ぶりに目覚めたぜ! THE YELLOW MONKEYです。今日は実質、<THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016>の関東初日と考えて挑みますので、最高の夜にしたいと思っています。このド田舎にこんな凄い会場ができたなんて(笑)。さいたまスーパーアリーナ、略して“たまアリ”。俺たちもちゃんと“玉有り”! THE YELLOW MONKEY初のさいたまスーパーアリーナということで、メンバー一同非常に楽しみにしておりました。特に俺とHEESEYは東京の北のほうの出身でね。さいたまは近くて、若いときから2人でよく遊んでいた街なので、個人的にも愛着があるんですけど。さいたまで飲んだくれたり、このメンバーでTHE YELLOW MONKEYというバンドをやろうぜと始まったのが、1988〜89年あたりで。当時、日本はバンドブームみたいな流行があって、いろんなバンドがいたんですけど、そういうムーブメントに乗っからずにやっていこうぜっていうことで……ヘソ曲がりだったんでね(笑)」──吉井和哉

これはTHE YELLOW MONKEY結成時を振り返りつつ、さいたまの街が大きく様変わりしたことを物語るエピソードでもあり、解散から15年という時間の長さを実感させるものでもあった。しかし実際には、彼らのサウンド&パフォーマンスはその空白をいとも簡単に埋めてしまっていたのだ。それもライヴ幕開けの一瞬にして。ワイドショウやwebサイトでツアー初日となった国立代々木競技場第一体育館のオープニング映像を観たファンも少なくないと思うが、長身細身の2人が腰より下にギターとベースを構えるステージ上手下手のシルエット。もちろんこれはギタリストのEMMAとベーシストのHEESEYによるものだ。そのロックバンド然としたフォルムが浮かび上がるだけで、オーディエンスはロックスターの華麗な肖像に狂喜し、あの頃と今を瞬時につなげてしまう。言うまでもなくサウンド&プレイはさらに雄弁だ。



当時より、THE YELLOW MONKEYメンバー個々の演奏面での説得力やサウンド面での深み、アレンジの巧妙さやパフォーマンスの完成度の高さに関しては、掛け値なしに圧倒的なものがあった。加えて言えば、スケール感や豪快さ、大胆な生々しさは各プレイヤー間の密度の高さがバンドアンサンブルに大きく作用していたはずだ。それは、この夜も同様。セットリストや演出については実際にライヴを体験したオーディエンス以外にもweb等の情報で内容を把握しているファンも多いに違いない。しかし、ツアーはまだ中盤。具体的な演奏曲名や曲順の詳細については敢えて触れずにおきたい。が、ひとつだけ。再集結後に発表された「ALRIGHT」だ。

この曲の驚きは、まるで長年奏でられてきたナンバーのような愛着を持ち合わせて、すっぽりとセットリストに馴染んでいた点にある。絶対にライヴで聴きたい代表曲からコアファン垂涎の濃度の高いナンバーまで、あらゆる時代のさまざまな楽曲が散りばめられていたという意味では、セットリストは彼らの歴史とバンドが持つ独自性を余すところなく浴びることのできるものとなっていた。つまり、最新チューンも最初期の楽曲も同列で鳴らされたわけだが、それらが伝えたのは過去曲による懐古でもなく、最新曲の瑞々しさを前面に押し出したものでもない。THE YELLOW MONKEYというバンドの今と、過去からつながる未来を生きていくという決意のような、そんな凄味のあるサウンドが一丸となって押し寄せてくる高揚感。そして変わらぬ本質を貫くサウンド。それはメンバー個々の音作りに拠るところも大きい。メンバー紹介での吉井のMCは、メンバー個々のサウンドキャラクターを端的に浮き彫りにしたものだった。

たとえば、EMMAこと菊地英昭の場合はこうだ、「世界一レスポールの似合う男!」。この言葉通り、EMMA=レスポール、レスポール=EMMAというパブリックイメージは出来上がっているだろう。事実、この日のステージでは8割近くの楽曲でレスポールを使用、ロックという音楽が持つ力強さと華やかさとスリリングな感情を堂々とギターサウンドの中に具現化してみせるスタイルは、唯一無二のものだ。一方で、3ピックアップ仕様の黒カスタム、ゴールドトップ、ブルーのスタンダード、ビグスビー付きチェリーサンバーストのスタンダードと4本のレスポールを使い分けていたほか、シャープでソリッドなサウンドを必要とする楽曲ではサンバーストのストラトキャスターやテレキャスターが用いられるなど、豪快なサウンドの裏で音作りは繊細。吉井曰く、「1曲ごと、1パートごとにアンプを替えたがっていた」というエピソードに、そのこだわりが相当なものであることもうかがいしれるはず。



ギタープレイ面でみればワウを駆使したフレーズは感情の起伏をなぞるようにエモーショナル。メロディアスでキャッチー、独特のタイム感を持つギターソロはTHE YELLOW MONKEYサウンドになくてはならないものだ。とりわけ、レスポールのミックスポジションで響かせる「バラ色の日々」のような甘さとキレ味の鋭さを伴うソロサウンドはEMMEならでは。

「彼が手にする名器サンダーバードは、1960年代にちょっとしか生産されなかった貴重な“鳥”です。それを彼は世界中からかき集め、塗装を剝がして自分の好きな色に塗り替えております。僕が初めて会ったときからサンダーバードを持っていました。サンダーバード歴が長いんです。サンダーバードをこよなく愛する男。轟く雷鳥。轟く重低音。ザ・ドライヴィング・ベーシスト!キメキメ・グルーヴァー」と紹介されたのはHEESEYこと廣瀬洋一。吉井の言葉通り、1990年代後半〜2000年代前半の楽器店界隈では、“世界中の状態のいいヴィンテージ・サンダーバードはすべてHEESEYが所有している”という噂がまことしやかに囁かれていたほど。この夜、彼はトレードマークのサンダーバードを全曲で使用していた。それも、ホワイト、ブラック、サンバーストのサンダーバードと、レッドとホワイトのノンリバースサンダーバードと計5本のレアベースで、実にグルーヴィーなラインを響かせた。



そのサウンドは中域が太く深い。決してほかの楽器に埋もれることのない音作りは、楽曲をスウィングさせるランニングベースやどこまでも真っ直ぐに伸びる8ビートをクッキリと浮かび上げて、各曲が持つイメージを表情豊かに物語る。特に「LOVE LOVE SHOW」のようなアッパーチューンでは、疾走感もグルーヴ感も、その両者を巧みに使い分けたロックのダイナミズムが十二分に発揮されていた。

それらTHE YELLOW MONKEYサウンドの屋台骨となるのがANNIEこと菊地英二のドラムだ。「帰ってきました、このスネアの音。このコシがTHE YELLOW MONKEYのグルーヴの核となります! しなやかで硬すぎず、そして柔らかすぎず。うちのエンジン、菊地エンジン(英二)!」と吉井。1バス2タム1フロアというシンプルなセットから、ありとあらゆるタイプのリズムを生み出すANNIEのサウンドはその体格から想像できるパワフルビートであることはもちろん、ドラムの歌わせ方が絶品だ。さらにスネアをメインとしたフィルの組み立ては、それだけで十分に独創的でもある。吉井の言葉通り、スネアのヌケの良さと胴鳴りの豊かさはTHE YELLOW MONKEYの中核だ。



コアファンはすでに御存知かもしれないが、そのセットは<THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016>前に製作されたもの。つまりTHE YELLOW MONKEY再始動にあたって新たに作られたものだった。解散以前はパール製カーボンプライメイプルを使用していたが、新たにセレクトされたのはパール製リファレンスピュア。メイプル、バーチ、アフリカンマホガニーをブレンドしたシェルが各タイコの個性を際立たせ、ハイレンジではキレとアタック感をローレンジでは深みのあるパワフルなサウンドを実現している。心地よいビートと絶妙のフィルワークが光るANNIEのプレイは、このセットにベストマッチしていた。

そして、「最高のメンバーを紹介するぜ。KING OF ROCK'N ROLL SINGER!」とHEESEYが紹介したのは、LOVINこと吉井和哉。吉井は続けて、THE YELLOW MONKEYの今後についてこう語った。「もはやこれが俺のフルネームと言っていいでしょう、『THE YELLOW MONKEYの吉井和哉』です。もう俺は一生その冠で生きていくぜ!」。これには18,000人の大観衆が湧きに湧いた。さらに、「バラ色の日々」前のMCでは冒頭に記したように、「THE YELLOW MONKEYは、もう生涯解散することはありません。こんなバカなロックンロールですけど、また、みなさんの好きなロックンロールのうちのひとつに加えてもらえたら本当に幸せです。そして、また一緒にバラ色の日々を探しに行ってもらいたいと思います!」と宣言した。感動で胸が締め付けられるような言葉。優しさと温かさと激しさが同居したシルエットに天性のフロントマンの姿を見た。



サウンド&プレイで言えば、「LOVE LOVE SHOW」をはじめとする楽曲でギターを弾きながら歌っていた解散前に対して、この夜は同曲でもギターは持たず、必要最小限の楽曲のみでギターを手にして、それ以外のナンバーではヴォーカルに徹していたという印象。様々な表情をみせながら深い情感をたたえて歌い上げる姿はMCの爆笑トークや下ネタも含め、ヴォーカリストとして余裕と風格を感じさせるものだった。

必要最小限はステージセットも同様。舞台上にはANNIEのドラムセット、HEESEYのアンペグのアンプ2台、EMMAのマーシャルスピーカー3台、そして吉井のギターアンプがあるだけのシンプルなもの。過剰な装飾はない。バンドとして完璧に自分たちのスタイルを確立していたTHE YELLOW MONKEYのたまアリ公演は、楽曲の持つパワーとオーディエンスのエネルギーが、両者の相乗効果によってヒートアップしていくような生身の熱さを感じさせるものだった。もちろん、アリーナクラスでのライヴ経験が豊富だった彼らはステージ両サイドに長く伸びたランウェイ先端まで躍り出て、左右の客席にアピールしたり、メンバー同士が向き合って熱演を繰り広げたり、見せ方のツボを心得ているあたりはあの頃と変わらず、さすが。

4人が弾き出すサウンドは、限りなく激しく美しく、限りなく大きく力強いものだったことを改めて知らされた夜。多くのオーディエンスが、彼らの音楽が今に生き続けていることを痛感したはずだ。彼らの帰ってくる場所は、THE YELLOW MONKEYにあり、そしてこの先こそ、彼ら自身も未知のものとなる。この日、サウンド面でも、プレイ面でも新たな側面を覗かせつつ、変わらぬ本質に貫かれていたTHE YELLOW MONKEYサウンドは、広大な飛翔感をもって、また新たな地平を切り拓いてくれるだろう。ステージ上の弾けんばかりの4人の笑顔が、それを物語っていた。

取材・文=梶原靖夫(BARKS)
撮影=有賀幹夫

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