【インタビュー】世界が認めるピアニスト反田恭平「僕は基本的に適当な人間ですが、ピアノの演奏だけは別」

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反田恭平、22歳。2015年のアルバム『リスト』での素晴らしい快演で、クラシック・ピアノの世界に旋風を巻き起こした驚異の超新星。そのプロフィールには若いながらも歴史があり、破天荒なピアノ少年時代、コンクール荒らしだった中学時代、古典派の勉強に没頭した高校時代、ホロヴィッツが愛用したピアノとの出会い、ロシアのモスクワ音楽院に首席入学して今も勉強中と、興味深いエピソードは枚挙にいとまなし。コンサートを開催すればあっという間にチケットはソールドアウトする、クラシック界に久々に現れた若きスターは、どんな男なのか。その内面に迫るインタビューをお届けする。

◆反田恭平 画像

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■ 音楽って、人間(ヒト)ですから

── さっき、スタッフの方と話していたんですけどね。恭平さんは小さい頃からピアノの英才教育を受けてきたわけではなくて、好きに弾きまくるところから始まってる子なんですと。元からそうなんですか。好きなことしかやらない、楽しくないことはやらない性格とか。

反田恭平:そうですね(笑)。4歳の頃に初めてエレクトーンに触れたんですけど、子どもですから、すべてが新しい感覚で、何をやっても楽しいわけです。その気持ちが今もずっと残っているのかもしれない。本当に小さいときはサッカーを。サッカーはおむつをしているときからはじめたのですが、一人で弾くピアノの孤独さより、サッカーのほうが友達もできるし、集団で一つのことができるのでより面白くなって。何より、僕はフォワードとミッドフィルダーだったんで、点を取るのが楽しくて小学生のときはサッカーが一番でしたね。あらためて客観的に考えると、プロのサッカー選手になれたとは思わないし、はたまた勉強して進学校に入るという方向もあったかもしれないですけど、勉強机に座ると、必ず何かが目に入るんですよね。わからないことがあって辞書を引くと、言葉をつなげてしりとりを始めたり。

── あはは。

反田:最初に通ったヤマハの音楽教室でエレクトーンを弾いてた時も、ドミソ、レファラとか和音を当てましょうということをやってたんですけど、今でも記憶があって、ずっと横目で先生が弾く鍵盤を見てたんですよ。それで“ドミソ”って言ったら、先生が“この子は耳がいい”って。それで絶対音感を鍛えるという教室に通って、好きなように弾いてたんですよね。最初は2週間に1回とかのレッスンで、その後は週一回30分のレッスンに。そのうち20分間はお話みたいな感じでしたね。

── 共犯じゃないですか(笑)。

反田:今考えたら、5、6歳の僕にはすごく大人に感じたその先生も当時は若くて、たぶん大学を卒業してすぐだったと思うんですけど、大先生という感じでした。ピアノというより、先生に惹かれたのかもしれません。当時放送していた『天才テレビくんワイド』をよく観ていて、(お笑いタレントの)なすびが出ていたのですが、先生がそのなすびにそっくりだったんです。僕は、てっきりなすびがピアノを教えてくれるんだと思ってピアノ教室に通い続けました。4〜5年間なすびが先生だって思ってました。でもある時、レッスンを受けて帰ってすぐに生放送になすびが出ていて、瞬間移動しない限りは出演が無理なので、なすびは「自分の先生じゃないんだ」と気がついた。そもそも母が“なすびだよ”って言っていたので。母に騙されましたね。

── まあまあ(笑)。そうでもしないとピアノ教室に行かないから。

反田:初めはお話ばかりしていたものの、その先生が“好きな曲を好きなように弾いてごらん”という先生だったので、どんどんピアノが好きになって。本当に感謝しています。その先生は今ではピアノをやめて、老人ホームで介護の仕事をしているようです。以前日本音楽コンクールで僕が優勝した時に、ファイナルの本選を見に来て下さったようですが、残念ながらお会いできませんでした。是非お会いしたいです!

── いい話ですね。

反田:まさか、ドラえもんやミッキーマウスの曲を弾いてた小さな子が、コンクールの本選で演奏したのですが、ラフマニノフのコンチェルトを弾くようになるとは思ってもなかったと思います。なすび先生がいた音楽教室では、好きな曲もやらせてもらったし、ピアノを弾くだけではなく、リトミックがあったり、みんなで大きな舞台で白雪姫や裸の王様などミュージカルやオペレッタまでいろんな音楽体験をしました。根本的に音楽を楽しむという教室に入ったのが僕にとってとても良かったのかなとすごく思います。自分の好きなようにショパンのワルツ、マズルカ、ノクターン、幻想即興曲、そしてエチュードを弾いて、もうプロだと思ってたんです。でも、中学生になり桐朋の音楽教室に入った時には、「なぜこんなに基礎ができてないんだ」とすごく怒られました。

── そこがターニング・ポイントですか。

反田:それから基礎を学びました。バッハのインベンションとシンフォニアをやり始めて、やっと終わったのが中学3年生の時。高校に入っても怒られ続けて、3年間は絶対にコンクールも受けさせないし、課題曲以外は全部古典派をやりますと言われていました。毎日が絶望的でつまらなかったですね。中学校3年生の時には、1年に5回以上のコンクールを受け、力試しをしていて面白いように入賞を果たしていた。それでやっと入学した憧れの音楽学校がこんなにも楽しくないのかって、反抗期も重なり、かなりぐれちゃいました(笑)。でもその中学、高校の先生が古典派の大事さと、基礎がしっかりしていないとピアノは弾けないということをていねいに教えて下さったお陰で、高校3年生の時に日本音楽コンクールで優勝でき、今があります。この約5年間のレッスンがなければこの賞をとることはできなかったかもしれませんし、ロシアへの留学もデビューもなかったかもしれません。結果的に僕はとても先生に恵まれてきたんだと思います。

── そういうことになりますね。

反田:今のロシアでのミハイル・ヴォスクレセンスキー先生もそうです。先生は現在80歳で、ロシアを代表する作曲家のショスタコービッチと仲が良かったですし、世界的ピアニストのホロヴィッツとも親交があったらしい。3年前に、実際自分が勉強し演奏している作曲家達が生きてたロシアに留学し、彼らの軌跡を肌で感じられる世界に飛び込んだので、すごく刺激的な毎日でした。留学当初はロシア語も話せないし、理解もできないし、無我夢中でしたが、今は生活にも言葉にも慣れやっと落ち着いてきました。刺激が少なくなった分ちょっと物足りないかな(笑)。

── そんな反田さんの2作目のCDは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。指揮者・バッティストーニとRAI国立交響楽団というイタリアのコンビで、録音場所もイタリアのトリノ。そもそも、ラフマニノフは昔から好きで弾いていたんですか。

▲『ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番/パガニーニの主題による狂詩曲』

反田:高校3年生の時のコンクールで初めて弾いたのが、ラフマニノフの3番のコンチェルトでしたが、意味がわからない曲だなとしか思わなかったんです(笑)。ロシア留学して、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲、2番のコンチェルト、ソナタ等のソロ曲も勉強しました。コンチェルトを先に勉強すると、ソロの取り組み方も変わってきますし、3番のコンチェルトの次に「パガニーニの主題による狂詩曲」を弾いたのは、自分の中ではラッキーだったのかもしれないです。2番のコンチェルトを先にやっていたら、あまり熱が入らなかったかもしれない。この2曲は同じメロディーが使われているんです。

── 今回の作品の2曲目に入っている「パガニーニの主題による狂詩曲」は、去年の9月、東京オペラシティでの演奏ですね。

反田:そうです。東京フィルハーモニー交響楽団さんの定期演奏会で、指揮はアンドレア・バッティストーニです。ホロヴィッツが弾いていたピアノ、ニューヨーク・スタインウェイCD75を使用しました。それから3か月後ぐらいの昨年の年末に、マリインスキー劇場(サンクトペテルブルク)でマリインスキーの管弦楽団と一緒に同じ曲を弾いたんですけど、オーケストラが違うだけでここまで音が変わるのかと。やっぱりロシアの作品は、ロシアの土地でロシアの指揮者がやるのがいいのかなと思うくらいとても印象が強かったですが、マエストロ バッティストーニはちょっと特別なので。彼は何人かわからない。宇宙人かもしれない(笑)。

── いちおうイタリア人ということになってますが(笑)。

▲(c) Andrea Monachello

反田:彼の分析力は素晴らしいですし、エモーションもすごく熱いし、哲学的なところもあるし、とても魅力が詰まった人間(ヒト)ですから。音楽って、人間(ヒト)ですから。

── その通りだと思います。

反田:僕は基本的に適当な人間ですけど、ピアノの演奏の時だけは別。真剣になってるんで(笑)。

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