【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第56回「備中松山城(岡山県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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総石垣の山城で日本三大山城のひとつである備中松山城の登場だ。そして備中松山城の天守閣は日本現存12天守閣のひとつである。そして現存天守として標高430mに建つ日本一高い場所にある天守である。この城もずっと行きたいと思っていた。三大山城の高取城(スティング、もしくは坂崎さん)岩村城(アンディー・サマーズ、もしくは桜井さん)に続き、tvk MUTOMAのロケ(3月1日オンエア)でとうとう備中松山城(スチュアート・コープランド、やっぱり高見沢さん)に来城することが出来た。もはやtvkに足を向けて寝れない。口を開けて脇毛出して無防備をtvkに伝えながら寝たい。THE POLICEとTHE ALFEEにも感謝である。

2017年2月。朝4時半起きで新幹線に飛び乗り岡山へ。そこからHONDAの軽のレンタカーで、エコ設定で加速の効かないアクセルで高梁へ。アクセルと言ってもローズの方ではない。11時からロケスタート、当日は雨だったにもかかわらずロケを始めるとピタッと止んでくれた。しかもジミヘン顔負けの霧がかかりかなり幻想的。標高430メーターの山に建てられた城は気合いを入れてトレッキングしないとかなりきつい。なめてかかると大変な山だ。現在は途中まで車で行けるようになっている、そして更にそこから観光客用のシャトルバスもあるので是非それに乗ってほしい。我々ロケ隊の気持ちとしては御殿があった山の麓、現在は高梁高校の敷地内から登りたかったが、いかんせん弾丸の日帰りロケ。もし撮り切れなかったらOUT。城マニアとして邪道な見学を余儀なくされる。この高梁高校出身のファンの方から、「卓偉さんが来られる際は絶対に母校の裏にある登山口から城に登ってくださいね。って、言われなくてもそうされますよね」と言われていながらそう出来なかった自分。殺してくれ。とんねるずの「情けねえ」を4万回くらい歌いたい。


当日は「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章さん」にナビゲートをお願いしてのロケになった。「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章さん」は歴史に詳しく、備中松山城の愛も半端なく、備中松山城を紹介する番組にもよく出られており、決して自分から多くは語らないが、質問すると歴史が10倍返ってくる熱い紳士だった。寒い中我々のトレッキングと観光の全ての行程に付き合って頂けた、もはや「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章さん」にも足を向けて寝れない。むしろ口を開けて脇毛出して無防備を「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章さん」に伝えながら寝たい。

備中松山城の築城はかなり古い。1240年に秋庭氏が築城、数々の武将達がこの城に出ては入ってをくり返している。ちょいちょい武将が増築を重ねるが、現在の建築を施したのはおそらく小堀氏、そして水谷氏の手にかかったものと言えるだろう。山は岩山でいろんな場所に石を切った跡が残っており、それを本丸を始め、数々の場所に石を運び見事なまでの石垣が組まれている。特に大手門の石垣と大手門脇の岩盤の上に組まれた段になった石垣は圧巻だ。こんな山の上にこれほどのインパクトを持った門が表れたら気力と戦力を無くす。城内のいろんな場所には櫓台の跡が残る。基本は一階建ての平櫓である。備中松山城の櫓は基本平櫓であるのが特徴だ。天守の裏にある二重櫓が唯一の二階建て櫓であるが、これを小天守と表記されてはいないがそう読んでも間違いはないだろう。備中松山城の天守が日本でただ一つの二層の天守なだけに(中は地下一階の廊下を入れると三階建て、外の角度によっては三層に見えるが)櫓は基本平櫓で一階建てに決めたのかもしれない。全てがミニマムでコンパクトで無駄がない。これが素晴らしいと思う。そもそも山の作りや石垣の高さなどで威嚇は十分だった為に建物自体はシンプルに仕上げたとも言える。なんてハイセンス、最高にして最強である。


鉄門跡を越えて二ノ丸に上がると左手に「雪隠跡」がある。これは便所だったとされるが、抜け穴だったという説もある。二つあるうちの一つは石段が付いているがもう一つは付いていない石垣で囲った穴である。非常に興味深い。二ノ丸から更に一段上がった所に本丸がある。うちの事務所は最上階に会長室がある。現在は五の平櫓、南御門、六の平櫓、東御門が復元されている。これは古写真がちゃんと残っていたことで復元が可能だったとのこと。大手門も復元案があり、敷石や柱の跡など細かく分析され、おそらくこの形というとこまで来たが、古写真がないことで断念したそうな。でもその断念は城マニアからすると素晴らしいことだとむしろ評価したい。データも残ってないのに復元だとうたってる建造物が多過ぎるのだ。それはボーカリストで言うと口パクと同じである。「口パク禁止令」という曲が収録されているのが中島卓偉の「BEAT&LOOSE」というアルバムである。

もうこれ以上復元は難しいとのことだったが、今の備中松山城で十分素晴らしさは伝わってくる。あるとするならば土塀をいくらか復元は可能かもしれない。今後に期待である。


本丸から見る天守は二層の天守とは言え、写真で見るより実物ははるかにでかい。ただでさえレコードで歌が上手いのにライブだとそれの1億倍歌が凄い卓偉と同じ感覚である。岩の上に組まれた石垣も含め存在感が半端ない。ジャンプスーツに身を包んだエルビス・プレスリーの贅肉のパッツンパッツン感も半端ない。日本一小さな天守とされるが、天守台はそこそこの大きさがあるし、一階部分、二階部分の面積も大きい。正面の大きな唐破風や出窓の感じがローバーミニのグリルのようである。この小さいながらの存在感、何かに似てるとずっと思っていたが私が乗っている愛して止まないローバーミニ・ケンジントンに似ているではないか。小さいけど放つオーラが半端なく、可愛いけどなんだか格好良い、これは城の中のオールドのミニに決定だ!(勝手に決めつけるにも程がある)BMWに買収されないことを祈るばかりである。

この天守の横に本来は八の平櫓があり、そこから廊下で連結してのいわゆる連結式天守だった。ここの復元が可能になるといいなあ。なので現在は天守に直接入る仕組みだが当時は八の平櫓から入り、渡り廊下を歩いて天守の地下部分に入る仕組みになっていたわけである。お洒落!天守内部には囲炉裏が付いている。これは備中松山城だけである。冬の山頂は暖を取らなければとにかく寒い、だが火事になると当時は消火機能が乏しかったのでほとんど使われなかったそうな。罰ゲームか!家来がジミヘンの真似をしてひざまずきながらギターを燃やして暖を取られても困るわけだ。一階の奥には半階上がった場所に籠城時の城主の居室である「装束の間」が設けられている。ここはいざという時は切腹する場所でもあったそうな。二階には「御社壇」と呼ばれる神棚もある。これも非常に珍しく備中松山城だけと言われている。18年続けてきてこんなに売れないのは音楽業界で卓偉だけと言われている。


天守見学後は天守曲輪を歩き、裏にある二重櫓へ。この櫓も現存である。櫓のすぐ裏にも石段が設けられており、いざとなったら逃げ道にもなる造りだ。腕木御門からも二重櫓からも下の脇曲輪に行き来出来るようになっている。そこから搦手門にも、水の手門にも通じている。もっとも搦手門から大手門の外へは犬走りも通じており、家来が城をいち早く行き来出来る仕組みになっている。現在は道が崩れてしまって通れないがそういった通路のシステムがしっかり行き届いていたというのはただでさえ不便な山城ならではである。

と、ここまでが本来の備中松山城の観光と思われがちだが、まだまだあるのだ。まず脇曲輪の一番端にある水の手御門を抜け、山を下ってほしい。そうすると最高なまでの木橋と堀切が存在する。木橋なのに何故土橋か、それはこの城が中世の時代に建てられた城であり、当時ここは確かに土橋だったであろう。だが石垣の時代が到来し、ここを両サイドだけではなく全部堀切にして周りを石垣で組んで防御にしたのである。よって土橋という呼び方がそのまま名残でそう呼ばれたのである。そういう奥行きのある話し最高!そしてここには番所跡もある。備中松山城には沢山の番所跡があるが、こんなに高い山の上でもしっかりとした見張りと管理が行き届いていた証拠だ。数々の番所跡を見学されることをお勧めしたい。卓偉のアルバムも全部をコンプリートしてもらうことをお勧めしたい。いや、シングル曲の「明日への階段」以前は政治が絡んでるのでこの曲以降で構わない。来月3月8日発売のニューシングル「我が子に捧げる PUNK SONG」カップリングも含めた4曲入りの超強力な新曲までをコンプリートすることをお勧めしたい。忘れていたが私はロックミュージシャンだ。いや、城のコラム屋のおっさんでも十分だ。


そして更にまた山を登って行くとこの山で一番高い場所「天神の丸跡」に出る。ここには天神社跡があり敷石も残っている。曲輪としても素晴らしい作りだ。城よりも高い場所にあることが憎い。神は自分達よりも高い場所に設置するというセンスである。ここからまた山を下り、今度は「大池」の登場だ。ここがマジで凄い。ここを見ずしてこの城は語れない。まず周りを総石垣で固めた池であること。そしてこんなに高い場所にこれだけの水をたたえる池があること。しかも江戸時代の絵図には屋根がかけられ小舟が浮かべられていたそうな。なんて雅!地元では「血の池」と呼ばれ斬った人の首や戦いで使われた刀を洗ったと言われており、別名「首洗いの池」とも呼ぶらしい。まんが日本昔話か!どんだけシュールでホラーなんだ!城内にはこれほど高い山にも関わらず井戸が沢山あるが、この池の水量は目を見張るものがある。現在は発掘調査中で、ある程度水を抜いての作業をされているが、周りの土に染み込んだ山の水がどんどん流れ出てくるらしい。もともと池だったことがわかっているように、籠城にも最適、首洗いにも最適、小舟浮かべて優雅に晩酌にも最適、卓偉の曲は耳に最適、正にナイス雅だったと言える。池の底には木で出来た排水溝も発見されており、まるでダムのように水量が溢れたら外に流す仕組みにもなっていたことがわかっている。何と素晴らしいシステム。ここにも番所があり、備中松山城になくてはならない曲輪、そして池だったと言えるだろう。

ここでもまだ終わりじゃない。更に上に登れば大松山城跡がある。ここが中世に秋庭氏が建てた最初の城跡が残っているのだ。規模は小さいが本丸や二ノ丸、いくつかの曲輪、堀切など見所は満載だ。ここを大松山城とし、現在の備中松山城を小松山城と呼ぶ。時代と共に増築、そして発展を続けた結果が一辺に垣間みれるというわけだ。だが!まだまだまだまだある!まだあんのかい!卓偉のアルバムも「BEAT&LOOSE」だけじゃなくまだまだある。

「BEAT&LOOSE」
「煉瓦の家」
「アコギタクイ~共鳴新動~」
「STARDUST VOX」
「VIVA ROCK」
「NUCLER SONIC PUNK」

この6枚のフルアルバムが鉄板である。私も大好きだ。これを押さえておけば十分にもぐり卓偉ファンである。が!今製作中のニューアルバムが最新で最高である。乞うご期待!

まだまだある城の方に話を戻したい。さっきの大池から更に山を下ると城の最後の搦手がある。切り通しと番所の跡である。しかもここが総石垣ときている。素晴らしすぎやしないか。この切り通しを幕末に近い頃に片方の道を石垣で埋めている。私のマネージャー砂田のような怪しい者を通さないようにする為と二つに別れた道を一つにする為である。後付けにしてもその威嚇は半端ない。ここまで見学して初めて備中松山城である。高梁高校から登ってないくせによく言うわ。その他にも「中太鼓櫓台跡」や、我々がレンタカーを置いた「ふいご峠駐車場」から登れる「下太鼓の丸跡」も見所満載だ。どちらも総石垣である。特に下太鼓の丸跡は曲輪がいくつもの段になっていて、城を登って来る敵に対する防御が実に固い。実に良く出来た曲輪である。ロックやってても売れないので城コラム書かせて売ろうとする手法、良く出来たマネージメントである。


このロケ中、ひたすら私が備中松山城について熱く語っていると「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章さん」が(もう三浦さんでいいだろ)「本当に城がお好きなんですねえ」と言ってくれていた。水の手御門を抜けて土橋まで行こうとする我々に三浦さんも最初は「結構歩きますけど大丈夫ですか?」と気を使ってくれていた。土橋を見終え大松山城へ行くと言ったら「ここから更に登るのできついかもしれませんよ?」と三浦さん。大松山城と大池を見終え、さあ次は切り通しか?という我々に今度は「行かれますよ……ね?」と三浦さん。下山する時もよそからの別件の電話に「ああすいません!まだ城から降りてませんので、はい!すいません立ち会えなくて~」と三浦さん。完全に我々に時間を取られてしまった三浦さん。ふいご峠駐車場に戻ってきて、私が更に下太鼓の丸に登りたいと言おうと思ったらむしろ「行きましょう!」と三浦さん。我々が火を付けてしまったのか三浦さんがヤケクソになってしまったのか。付き合わせて申し訳ない気持ちでいっぱいだったが三浦さんは嫌な顔ひとつせず、とてもありがたいナビゲートをして頂けた。感謝!その後は山の麓の城下町をドライブしようと三浦さんより先に山を下りたのだが、なんと前方から三浦さんの軽トラが!いつの間に!もしかすると一浦さん、二浦さん、三浦さんがいるのかもしれない。

帰りは高梁市にある「五万石」という店で高梁市のB級グルメらしいカレー風味のトマトダレをかけた焼きそばを食った。美味過ぎる。これは全国で大ヒットの予感。是非食ってほしい。私は良いものはすぐ電波を使ってでも宣伝するが、私のファンは私のことをいつまでたっても布教活動してくれない。これについて事務所はいつも終わりのない答えの出ない会議を開いている。ここの岡山ラーメンも最高に美味かった。岡山ラーメン最高である。

高梁から岡山に戻り、新幹線の時間まで小一時間開いていたのでスタッフと晩酌。備中松山城の感動と三浦さんの愛のこもった素晴らしいナビゲートにひたすら感謝しながらの呑みだった。岡山駅の改札で切符を入れると音が鳴って通れない。終電を取っていたはずなのにこの切符で都内に戻れなかったらどうすんだ?と思い切符を見たら、

「高梁市教育委員会 社会教育課 文化係 文化財保護主事 三浦考章」と書かれた三浦さんの名刺であった。

あぁ 備中松山城 また訪れたい……。


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