【連載】フルカワユタカはこう語った 第16回『ふまえて』

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夕立だ。先月、半地下のある一戸建てに引っ越した。以前と違い、隣室を気にせず大きめのボリューム(とはいえ、都内なりの)で音楽が聴けたりするので、キックドラムの下をいく雷の低音が鳴るまで、雨に気づかなかった。

◆フルカワユタカ 画像

朝方干した大量のバスタオルを取り込まねば、今晩はTシャツで体を拭く事になる。ベランダの窓を開けると、部屋に吹き込んでくるほど勢いのある雨粒達がタオルを袋叩きにしていた。サッシの裏のかろうじて難を逃れている奴らをせっせと回収していると、近いのが「ズドン」と落ちた。「ワオッ!」。夕暮れ時に、部屋着で、寝癖をつけて、必死の形相でバスタオルを回収するアラフォー男。まあ、何を隠そう、そういうことなのだが。いや、言わせてもらえば、タオルは使い捨て、もしくは家政婦さんの一人でも雇ってる余程のロックスターでなければ、こんな事は、そこいらもみんな同じに決まっている。だが、例えばたまたま隣人が熱狂的な僕のファンだとして、“豪雨の中、ベランダで、タオルを両手いっぱいに持ち、雷に狼狽する、自称ロックスター”を見たとしたら、失うのは僕の方なのか、それともそのファンの方なのかしら、などと考えながらタオルを部屋に干し直していたら、なんだか雨が止みはじめたりして。


Tシャツで頭を拭きながら、先程来聴いていたアルバムの続きを聴く。先日ライブに遊びに行った際にもらった髭のニューアルバム『すげーすげー』。2月に須藤君とアコースティックツアーをしていたので、どんなアルバムを作っているかは彼の口からは聞いていた。なるほど、須藤君曰くの「一周したんだよね」とはこのことか。でもね、僕なんかはこれを聴いて一周したとは思わんよ。そもそも物づくりにというか人生に一周など存在しないと思っているしね。モチ、須藤君の言っている事は分かる。いわゆるサイケ感に歌謡感のあるキャッチーなサビ、それからここのところ少なかったアタックの強い8ビートとジャキジャキ・ギャンギャンなギターリフ。この開放感は確かに懐かしい。

須藤君は実はシャイなのか、はたまた真性のキザ野郎なのか(「まあ、間違いなく後者!」と言いたい所だが、最近は前者も怪しいとにらんでいる)、その人柄と同じで最後まで本音を見せないような曲を書く。特にアルバム『サンシャイン』後は。“ああ、いい調子で始まったな”と思っても、そのお澄ましな調子のまま終曲する感じ。“朝になって、アタシの淹れたコーヒー飲んで、所在も言わずに「またね」って出て行ったけど、結局あの人なんだったの?”的な。その辺が実に洋楽的というか、クールでカッコいい部分でもあるのだけれど、せっかくの出会い=イントロと、口説き文句=Aメロだったのだから、「もっと分かりやすく熱してくださいな」と、もどかしくなる時もあり、前アルバム『ねむらない』なんて、それのデパートみたいな作品で(だから僕はとってもカッコいいと思ったし、彼にそう伝えたが)。

ところが今回は助平(※スケベ)だ。きちんとストレートに助平だ。もちろんそこは髭なわけで、“おい、お前は俺のもんだ!愛してるぜ!”ではないわけだが(笑)、聴く人に向いた楽曲というか、斜に構えず、きちんと求愛しているが故に相手に愛されそうな雰囲気があるというか。だからって、若い頃のように何が何でもではないし。とても自然に欲情していらっしゃる。彼らはこういうのつくれるようになったんだなぁ。羨ましす。もちろん、世知辛いこの世の中をひっくり返すような何かがこいつで起こるとは思いませんがね(そんなこたぁ本人達も期待してはいるめぇ)、それでもささやかながら確実に、髭の個性が、須藤君の才能が世間に染み入るようなそんな気がしますわね。『サンシャイン』から7年。なるほど、すげーすげー。



とまあ、僕もくだらんことをするようになったものだね。元も子もない事を言うが、音楽家の、特にバンドマンのディスクレビューほどくだらんものは無い。映画監督の映画評、作家の作品評も勝るとも劣らんくらいにくだらんが、バンドマンのようにライブにも制作にも同業者とのしがらみが色濃く出てしまう種の他者評は”げに”くだらん。公表される評価っていうのは、当たり前だが客観的でなければならない。スポーツなら成績という物差しがあるからプロがプロを評価出来る。でも音楽は違う。ギターの上手い下手なら僕の評価も一理あるだろうけど、作品の良し悪しに対する僕の評価は一理も無い。好き嫌いの上に、文脈まで影響する。それが前述の須藤君の様な相手となれば尚更だろう。

例えば、僕らバンドマンは人前では専門家たらんと博学・博愛なフリをして音楽に寄り添ってみせているが、根城に戻り、部屋に鍵をして一人スピーカーに火を灯したとたん、とんでもない音楽差別主義者に豹変する。よほど普通のリスナーより、ましてはレコードコレクターやDJなどと比べると圧倒的に忍耐力も許容力もなく、自分勝手に善悪の裁きを下し、一度裁かれたモノは二度と鼓膜を揺らす事はない。そのくせ、仲間には絶対に言えない“黒歴史”的な趣向をいまだに大事にしていたりして、己が音楽差別主義者のくせに、迫害を受けた隠れキリシタンのごとくそれを密かに楽しんだりする(心当たりのある奴は沢山いるはずだ![笑])。

僕らはちっとも寛容でも勤勉でもなく、むしろ“初期衝動”という大きくて物悲しい理想を胸に抱き、遠くに映る自分にしか見えない蜃気楼をひたすら追いかけている、というどうしようもない生き物で。その旅の途中で偶然生まれたものが後続の誰かの初期衝動になり、続く………と、そんな世界なのだから。深層心理、掛け値無しに、文脈無しに、全肯定出来る楽曲や同業者なんて、正直、存在しない。それが文脈ありきとなると途端に肯定出来たりするのだから(もちろんそれでも出来ないものも多々ある)、まるで詐欺か催眠だ。そりゃ、僕たちのファンにとっては、読み応えも意味もあるのかもしれないが、それでも根本的にはくだらない。ああ、バンドマンのディスクレビューは本当にくだらない。

ということを、ふまえて、以下。


開演直前に行くと迷惑かしら、とも思ったが、終演後の(なんだか、サバサバとした、他人行儀な)楽屋というのが僕は苦手なので、ササっと顔を見せる程度にと決めて楽屋へ向かう。日本酒の一升瓶を抱えて。昨年のツアーの高松で関根ちゃんに継ぎ足され倒されて前後不覚になったということをふまえて、その後の部屋飲みで堀君を“安定のキモメン=あんきも”と命名した(そうだ)ということをふまえて、それから、最近なんだか小出君が酒を飲むようになったらしいということをふまえた上で、祝いの品を持って彼らのツアーファイナルの楽屋へ。

今月出る新しいアルバムは出来上がってすぐに聴かせてもらっていた。これまでも、彼らのマネージャーから出来上がる度に新譜は聴かせてもらっていたし、なんならデモの段階から聴いたこともあった。が、湯浅としか文脈の無かった僕は、「お前(マネージャー)の為」と取り繕って、粗を探して、それこそ超主観で善悪の裁きを高みから下して、今思うと、褒める気がはじめからないというのは、いかにも芸術家気質ではあるが、なんとも醜い。「これはまあいいんじゃない、分かりやすくて売れそうだね」とか「アレンジは良く出来ているけど、これは地味だな」とか「もっと新しい事やりなよ」と言ったかと思えば、「もっと原点回帰すべきじゃないか」と言ってみたり。

『光源』というタイトルらしい。僕は出来立てほやほやの時期にCD-Rに焼いたものを聴かせてもらったので、アルバムタイトルも曲タイトルも知らないまま何周もしていたのだが、この日のMCで初めて知った。売れそうだとか、地味だとか、新しいとか、古いとか、8曲で35分というのは確かに短いかもだけど、『すげーすげー』は10曲でトータルタイム28分36秒だし、人類の名盤『Aja』(Steely Dan)は完璧なたった7曲で完璧に構成されているし、そんなことは本当にどうでもいい。

“らしい”曲はその“らしさ”の元となる代表曲よりずっと“らしく”て。なのに日和る事無く前作よりももっと深くいこうとしていて。春のツアー中に小出君が「3人になるために」コードの勉強をしていたのを知っているし、それがノンフィクションに生きてるし、その後のツアーで何があったかは知らないけど、率直に、素直に、正直に、全て良かった。縦、横、高さ。湯浅には申し訳ないが全部大きくなっていて。こりゃあ、10曲とかはつくれんでしょうと。完璧な8曲でしょうと。

日比谷の野音、あれからもうすぐ1年。なるほど、すげーすげー。こいつは偉そうにリリースして下され、俺たち凄いよって。僕はそうだったけど(音楽に限らず)、30歳のはじめの頃って“自分は凄くないのでは”と思いがちよね。もちろん、そんな弱音を彼らから聞いたわけではないのだけど、なんとなく。

もう僕の意見はどうしたって主観的で、贔屓目で、生暖かくて、詐欺的で、催眠チックなわけだけど、僕は批評が生業ではないわけで、ステマ上等、色々ふまえた上で、言わせて下され。とても良いアルバムじゃん。きっともう3人で何でもやれちゃうよ。誰にも遠慮なんていらないぜ。と、楽屋で言ってあげたかったのだけど、当然そんなこと本人達を目の前に僕が言えるわけはなく、「あとは世間が決める事だよ」だなんて意味不明なエール(いや、叱咤ともとれるな)のみで申し訳なかった。ライブ前に。



再来月(6月)から2ヶ月連続で、僕主催のイベントをやる。昨年ベボベとバンアパに出てもらった2マンライブ「play with B」を「Play With」と名称変更し、新宿ロフトにて。6月はBentham。プロデューサーが僕のお師匠、田上さん(frontier backyard)ということで、兄弟子が弟弟子と、という文脈。7月はAsparagus。とある後輩の結婚パーティーで僕がひと騒ぎ起こした時に、忍さんがいなければきっと荒井(the band apart)に撲殺されていたであろうという、いわば命の恩人へフルカワの恩返し的な文脈。その後も色々な文脈に沿ったライブを企画中。作曲も古い文脈を追って日々進行中。

あらあら、読み物の中に、かようにしっかりとした告知など、これまた”げに”くだらん。ふふふ。

とはいえ、この言い訳がましく女々しい僕をふまえてくれたなら、たとえファンであったとしても、“豪雨の中、ベランダで、タオルを両手いっぱいに持ち、雷に狼狽する、自称ロックスター”も合点がいくでしょうにねえ。

■2マン企画<フルカワユタカ presents「Play With」>

▼~with Newest B~
6月4日(日)新宿LOFT
w/ Bentham
OPEN 17:00 / START 17:30
一般発売日:2017年4月29日(土)
▼~with Melancholy A~
7月28日(金)新宿LOFT
w/ ASPARAGUS
OPEN 18:30 / START 19:00
一般発売日:2017年6月10日(土)
▼チケット
前売り¥3,990(税込、D別)オールスタンディング
【オフィシャルサイト最速先行】
受付期間:4/8(土)12:00 ~ 4/16(日) 23:00まで
http://www.sma-ticket.jp/artist/furukawayutaka
(問)DISK GARAGE 050-5533-0888(平日12:00~19:00)



■アルバム『And I’m a Rock Star』

2017年1月11日(水)発売
NIW128 / 2,778円+税
01.サバク
02.I don't wanna dance
03.and I'm a rock star
04.真夜中のアイソレーション
※tvk「MUTOMA」1月度テーマソング
05.lime light
06.so lovely
07.walk around (feat. いつか [Charisma.com])
08.can you feel
※提供楽曲セルフカバー:FRONTIER BACKYARD mini Al「Backyard Session #2」収録
09.next to you
10.プラスティックレィディ
※提供楽曲セルフカバー:りぶ Al「singing Rib」収録

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