【インタビュー】GLAY・TAKURO「GLAYという4人の人生の結晶体、それが美しいかどうかがすべての基準」

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■もともと資質はあったわけだから、
■あとはそれを正しいタイミングで、正しい場所で、正しい温度で


──そういうバンド成長のベクトルとオーディエンスの関係性は、どう考えますか?関係のないことでしょうか。

TAKURO:いや、関係ありますよ。この熱量こそが大事なのであって、実は五線譜に書かれたメロディとか紙に書かれた歌詞って、GLAYにとってはたいした問題じゃないんです。ある種の覚悟を持って各人が最大限輝けるようにステージに立ってる姿に、お客さんはお金を払っていると、俺は思っているから。

──その確信は、いつごろに得たものですか? 最初からそういう気持ち?

TAKURO:いえいえ全然、ここ10年なんじゃないかな。やっぱりファンの人たちも同じく歳をとり、知識を得てきているでしょう? だから、いろんな音楽を聴いても…例えば今20歳くらいのバンドの詞を読んでも泣けないんですよね。その世界は経験済みで、もう3回も4回も通った道かもしれないから。「あんなに一人の女を愛して泣き叫んでいた」って、40歳にもなってひとりの女の名前を泣き叫んでいたら「おまえ病院行ってこい」ってなるよね(笑)。人生で何を学んだんだ?って。

──そうですね。お薬もらったほうがいい。

TAKURO:自分たちのGLAYを推し進めていったとき、1990年代のヒット曲を求める人には、そのような曲を僕らが書いても腹の底から満足感を得られないし、自分たちが満足する曲を書いても、今度は世の中と合わない。「今後GLAYは、どう進んでいくのか?」と思うと、GLAYが本来持っている“人間賛歌”というか、“あらゆる生命を全肯定するTERUのパワー”というものに集中してみようという思いを持ちましたよね。それは仮説だったり実験だったりするんですけど。

──興味深いです。

TAKURO:で、ここはJIROの出番で、JIROがその頃からセットリストを担当するようになったんだけど、「ヒット曲だ有名曲だっていうものに頼るようなセットリストでは、俺たちが望む30年、40年の活動は無理だぞ」っていう話がある。

──どういうことですか?

TAKURO:ヒット曲というものは、ある意味チームプレイで、タイアップも含めたその時その時の「スタッフの人たちとの努力の結晶がヒット曲」であって、決して「その曲が他の曲よりも優れているというわけではない」ことを、冷静に知っておく必要がある。逆に言うと、アルバムの中の曲もチャンスさえあれば、そういう可能性があるならば、今俺らがやるべきことは、今まで残してきた曲すべてにチャンスを与えようと。そこで「HOWEVER」と同じくらい価値のあるそして意味のある場面を作ればいいじゃないかって。

──なるほど。

TAKURO:そうやって作ってきて、あの、それこそ「つづれ織り~so far and yet so close~」っていう曲だったり、「Satellite of love」っていう、それは世の中的には無名かもしれないけど、ファンの中では多分人気投票したら「Winter, again」「HOWEVER」よりも上なんですね。ヒット曲の作り方がいろいろあるならば、そういった形のヒット曲もある。

──ええ。

TAKURO:何をもってしてGLAYのライブとするか…「TAKUROの曲は聴きたくない、もうそのやり方わかったよ」って言われる前に、他の3人の才能も花開いてもらう必要もあって、そこから10年かけてやってきているわけです。もともと資質はあったわけだから、あとはそれを正しいタイミングで、正しい場所で、正しい温度で届ければいい。それが、2年半かかったこの『SUMMERDELICS』に収録されている。

──そういうことか。

TAKURO:ロックバンドが大切にすべきは、まずやっぱりアティチュードとかモチベーションとか、日本語でいうなら情熱、熱量ですよね。「この曲を歌わなかったら、俺は前に進めない」とか、「この曲がわかんなかったら全員バカだ」とかくらいの身勝手さも含めたパワーっていうかエネルギーです。特にね、アルバムを10枚も出してきたバンドは、ただ作ろうと思えばなんとなくできるんですよ。

──わかります。

TAKURO:なんとなく好きそうな言葉をはめていいメロディを書けばできちゃう。でも、そんなことはたやすく見抜かれちゃうんで。

──効率や利便性を求め始めると魂の宿った熱量が失われていくのは、音楽に限った話じゃないですね。

▲『SUMMERDELICS』

TAKURO:あらゆる音楽の価値が一回崩壊して、次なる価値をみんなが待ち望んでいる最中だからこそ、こういった大冒険もできる。幕末的な変化の時期だから、そんな時代も味方をしていると思います。もしもっと穏やかな音楽業界だったら…少なくとも「シン・ゾンビ」は1曲目じゃなかったんじゃないかな。

──確かに、今の音楽業界はまるで幕末ですね。

TAKURO:新しい価値観が固まるまでに時間がかかる。まだCDだしね。

──廃藩置県が起こっている最中か。

TAKURO:新しい価値観というものを試してみるには一番いいタイミングと思っているからこその冒険だし、冒険には怖さがつきまとうから、怖さを知っている分だけ瑞々しいというかフレッシュな感じはしますよ。安全な道を選んで歩むバンドもいるけど、僕らはそれを魅力的とは感じないな。

──GLAYの歩く道とは?

TAKURO:どうなるかわかんないけど「まじでこの細い道行くの?」「で、行き止まりだったらどうすんの?」って行って、本当に行き止まりでしたっていう(笑)。「この100メートルも細い道、バックで戻るの?」「じゃ、JIRO見てくれ」みたいな(笑)。そのプロセスこそが、お客さんが一番ドキドキ盛り上がるところでしょう?

──「あららバックしはじめたよ」って(笑)?

TAKURO:普通ね、行き止まりの時点で辞めるもよし、解散するもよし、もうちょっと道を広くしてから行くのを待つのもいい。けど、俺たちは先の見えないところだからこそ勝機があると思ってる。それはビジネス的な意味だけじゃなくて、お客さんの満足度/お客さんに対する誠実さも含めてね。活動するためだけのスパイスとしての音楽作りは味気ないですもん。

──レイドバックの匂いがしないのは、そういう精神性ですね。

TAKURO:俺たちの仕事は突き詰めるとふたつしかないわけです。曲を作ってレコーディングするのがひとつ、あとはそれを披露する。このふたつにおいて、ハラハラドキドキワクワクがないとね。メンバー間の仲悪いとか、せめぎ合いのあるぎりぎりの状態でできたスリリングなアルバムとか、そうじゃない方がいいと俺は思っているので、今の健康状態でそれぞれのクリエイティビティが爆発するものというのは、やっぱり健康的で元気でないと、ね。

──それが“健全”というものです。

TAKURO:ええ、健全でなければ、ある種の永遠性は生まれない。

──『SUMMERDELICS』が誕生するバックボーンが見えてきた気がします。

TAKURO:やっぱり20数年かからないと、JIROの中から「lifetime」という歌詞は生まれないんじゃないですかね。GLAYのキャリアを通してクールにふるまいたいとか、浪花節は好きじゃないとかロック少年だった時期がJIROにもあって、それでもなおGLAYのメンバーとして居続けた結果、こうやってファンの人たちに向けて詞を書きたくなるという。

──素晴らしい。

TAKURO:20数年って長ぇなあ、8年目くらいで書けないかなって思うけど(笑)。

──はは(笑)。

TAKURO:ま、いつであれ、僕は大歓迎で受け入れたいですね。俺がメインソングライターとして、自分の人生観/恋愛観の変遷をひとつのドキュメントとして見せていた時代もあったけれども、そういう歌ではないものをGLAYとしてやりたいと思った時、おもちゃ箱工場みたい男が隣りにいるわけで、今俺が聴きたいのはそれなんだと。「ゾンビ」でいいし「バンド演ったらモテる」でいいんだよって思う。そういうものが最近のGLAYには足りなかった。ある種のユーモアで漫画的な世界だよね。漫画だったら1万人の兵士がペン一本で書けるけど、これ実写だったらえらいことになる(笑)。実に日本が誇る漫画という文化を地で行くような歌詞であれば、そこには何がいたっていい。

──GLAYの大ファンであるTAKUROが惚れちゃうような作品が飛び出してくる?

TAKURO:今でも僕は、ロックバンドGLAYはギターふたりにドラム/ベース/ボーカルで基盤が作られて…という発想だけど、もうHISASHIの中では、そんな発想すらないから。なんだ太鼓の達人って…楽器なのか?っていう(笑)。でもそれが“今の音”なのであれば、それこそ「ようこそGLAYの世界へ」っていう。

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