まだ昭和の時代、小学生の低学年だった頃にオンボロの白のカローラセダンで親父に連れてってもらったのが最初だった。親父が乗り継いだ車はこのカローラからシートがファブリックになった。革シートが好きだった兄貴と私はこれがちょっと嫌だった。親父はたまに意味のわからないこと言った。

「誰だ~!シートをタバコで焦がした奴は~!」

あんたしかタバコ吸ってねえんだから原因はあんただろ。こっちはまだ10歳と8歳だっつうの。

その年はZIGGYがデビューし、まだBOØWYも解散してなく、私の身体中の毛もまだ生え揃っていなかった1987年。ガキの頃に一回行ったことがあっても、大人になってもう一度行きたいと思う城は多い。そしてもう一度行けば記憶が繋がり、このコラムで紹介出来るのにと思う城がたくさんあるのだ。このコラムを始めた頃事務所の蔭山社長は言った。「卓偉!これは面白いよ!これ頑張って続けたらいつか本に出来るよ!」その言葉を信じてもはや約3年、出版の話は全く聞こえて来ない。もう死にたい。二度目に来城出来たのはついこの間の2017年6月23日、翌日に郡山でライブを控えており、前乗りでメンバーとスタッフと共に機材車で福島に移動する際、私のわがままジュリエットでちょっと早めに都内を出発し、しかも郡山を通り越し20キロ先の二本松インターで降り、めでたく二度目の来城となった。実に30年ぶりの二本松城である。しかもメンバーとスタッフを無理矢理付き合わせるという強引さ。バンドならこれが原因で喧嘩になり、二本松城が理由で解散にもなり兼ねない。ソロで良かった。そして人の良いメンバーとスタッフに感謝である。


築城はかなり古い。室町時代の1300年代まで遡るが、数々の城主が入れ替わり立ち代り、あの伊達政宗公も2年ほど城主だったこともある。もっとも政宗公はこの城を攻め落として城主になっている。畠山氏の居城のイメージもあるがこの城を大改修したのは丹羽氏であろう。関ヶ原以降の1600年ジャストの築城ラッシュの時期ではなく1643年から何年もの時間をかけて増築。元々は中世の城郭だった山城を、麓に三の丸を作り城下町を広げることによって見事な平山城に変えた。ハードコアバンドだったのが気づいたらパンキッシュなヒップホップバンドになっていたビースティーボーイズのようだ。現在残っているのは三の丸の高石垣が主だがこの石垣の高さは圧巻である。1982年に三の丸の箕輪門と附櫓が復興。初めて来城した時はもうこれが建っていた。この門の手前にある砂利の駐車場で30年前に撮った親父と兄貴と私の写真があるが、兄貴が「お前いい加減家族の写真を外に出すのやめろ」というお叱りを受けたので写真は掲載断念。兄貴は世界で一番喧嘩が強いので逆らうのはやめにしておく。家族の誰かが業界で活動してたりすると親戚も含めみんな出たがりになるものだが中島家は誰一人出たがらない。むしろ親戚は卓偉は中島にいないものだと思っている。おい!もっと応援してくれい!いや、むしろそのドライな感じ、嫌いじゃないぜ。いや、むしろありがたい。


90年代に入りブリットポップ全盛の頃に本丸の石垣を修復。元々は三層の天守が建っていたとされる。本丸は三層天守に二基の櫓と門が連結したいわゆる連結式の本丸だったとされる。現在は完全な新しい石垣で本丸を修復してあるが、失われた石のみを補充にしないと復元とは言えないので城マニアからするとなんとも微妙な修復ではある。ただその上に復興だの模擬だのといったわけのわからない建造物を建ててくれてないだけセーフだ。しかも当時ような石垣の組み方をしてくれてることは素晴らしい。たまにコンクリートでやっちまってんのがあんだよな。それよりも注目すべきなのは345mある急な山のてっぺんにこれだけの石垣を組んだ本丸や曲輪が存在したというところだろう。城の作りにただただ感動出来る二本松城なのである。江戸時代に書かれた二本松城絵図も残っているが本丸の造りがちょっとわかりづらいのが現状だ。ちゃんとした平面図も残っていないことを考えると発掘調査をとことんやらねば全貌が見えて来ないのかもしれない。だが常に調査は進められていて、二度目の来城の時も三の丸御殿の通用門(裏門)とされる「遠裡門」の構造をとことん調査されるとのこと。いろんな場所の石垣も修復工事がされていた。土塁が主な中世の城に石垣を組んでいった城なだけに守りに必要な箇所にだけ石垣が組まれていることがわかる。これは威嚇もあると言える。しかし本丸までの道のりはかなりの急斜だ。少し登る度に曲輪が顔を出す。曲輪を設けることで土塁を作ることが出来、元々が急斜だったことから曲輪を作るために削った土を盛れば土塁の高さも稼げるという一石二鳥な守り、実に素晴らしい。だがトレッキングだと思って登らないと結構きつい。登っている間も城の横から車で登れる道があり、たまに駐車場が見えたりする中で、一番城に興味のないマネージャーの砂田が言った。「あれ?車で上まで行けるんじゃないですか?」これは裏を返せば「車で行けるならこんなトレッキングしないで上まで行かせてよ、汗かかなくて済むしさ、ああ~だり~な~」という意味である。話はちょっと変わるがうちのメンバーは人の話をそれぞれ全然聞かない節がある。このまた10分後くらいに今度はギタリストの生熊耕治氏が言った「あれ~?あっこ駐車場あんで~。車で来れるんやったんや~」全く砂田の話を聞いていない上での発言だ。砂田はこの発言すらも聞いていない。そこで私から説明を入れた。「確かに車で行けるとこまで行ってからの観光と見学もいいんですが、やっぱそこは当時の道順で行くのがマニアなんすよね、マジですんません!もうちょい頑張りましょう」かぶせるように「自動販売機ないんすかね?」という砂田の発言をおもくそシカトして引き続きトレッキング。


山の中腹に二の丸が存在するがここはそんなにスペースがない。当時は高い場所に行けば行くほど家来の位の高さを表した曲輪も、どの城も同じように江戸時代後期には城の麓で暮らすことが通常となる。よって本丸に向かう途中にある曲輪達も位の高さというよりは見張り台という機能だったと言えるだろう。二本松城の見所として一番お勧めなのが本丸の真下にある高石垣だ。これは攻める気を無くすほどの高さ、そして急斜面である。野面積みにも関わらずこれほどの高さを組んだとこが凄い。更にその上に本丸の石垣がそびえているのが見える。圧巻だ。本丸の石垣はちょっと綺麗すぎるがここの石垣は正真正銘の当時からの本物の石垣である。非常に味があって良い。しかも石垣がある場所に限って木が無く、これは遠くから城を見た時に石垣を見せて威嚇するためでもある。城山の切れ目にこういった石垣がチラ見せされるとたまらない。木が生い茂ってる中は高い土塁になっているのだからとてもお洒落だ。城山自体は本丸裏の北側に尾根がちょっと長く伸びているだけで正面から見ると横広に見えるが横から見ると奥行きがないことがわかる。顔は丸顔で横に広いが後頭部は絶壁という私の頭の形と同じである。正面から攻めてもすぐ裏が急斜の崖のようになっていて、城の裏から攻めようが表から攻めようが同じ造りなのが凄い。城の裏側も高石垣がところどころ組まれている。観光する場合はここも必見だ。ちょっとだけ伸びた城の北側の先には堀切もある、言わば空堀扱いであろう。山の高い場所にある突然訪れる堀切はどの城を見ても格好良い。この場所から攻められてはならないというこだわりがびんびん伝わって来る。「抱きしめてTONIGT」を歌ったトシちゃん主演のドラマは「教師びんびん物語」である。懐かしい~と思った人は年である。


本丸に話を戻す。天守台の他に二基の櫓台、そして枡形虎口からの櫓門跡がある。連立式の本丸だったことが記録に残っているということで、きっとこの周りを多門で繋いでいたのではないかとイマジン。本丸のスペースはそれほど稼げていないので本丸御殿などは建てられなかっただろうなとこれまたイマジン。天守台から見える景色は最高で、二本松の城下、そして安達太良山の眺めは本当に素晴らしい。冬は相当寒いはずだが夏の晴れた日などはこの景色はたまらない。みんなで記念撮影をし、天守台からの景色を眺めていたらドラマーである石井悠也氏が言った。「あれ?ここまで車で来れるんすか?駐車場が見えますよ」本当に誰もお互いの話を聞いていない究極の発言である。


本丸で終わりではなく、虎口を出たら右へ降りていって搦手門跡を見学してもらいたい。ここも急に石垣が現れる。しかもかなりの大きさの石である。門の柱の敷石跡も残っていてリアルである。門の外から見るとまた石垣が段になっていて搦手の守りがいかに堅いかがわかる。そこから本丸の裏の石垣も見るとこれまた凄い段になっていて、城の裏にこそこだわる威嚇と守りの強さに脱帽だ。ここから三の丸目指して下山。搦手からすぐ近くにある新城館跡には奥方や女性が多く暮らしていたとされる。「ここに殿様の正室や側室などが暮らしていたってことっすね」と私が言った途端に無口だったベースの鈴木賢二氏が食い付いて来た。

「側室が!?ここに!?たくさんいて!?殿様は毎晩取っ替え引っ替え!?毎晩二本松してたわけですね!?って言うかむしろ十本松くらいだったわけですね!?」ここで初めて全員がこの発言をちゃんと聞いたらしく、

「おおおおおおおお~~~~~~~~~!!!!けんちゃんいいね~~!!!!」

と、いきなりテンションが全員でMAXに。
「いいな~!いいな~!マジで羨ましいな~!」をハモって連発。
誰かが言った。
「一夫多妻制ってすげえなあ!」
また誰かが言った。
「たくさんの嫁に子供をたくさん産ませるってどんな気持ちなんだろうねえ!」
また誰かが言った。
「でもその嫁達に気を使うってことはしなかったのかなあ?」
そしてまた誰かが言った。
「法律がなかった頃の時代ってすげえPUNKだよね!」
みんなで言った。
「っていうか、殿様ってすげ~~~~~な~~~~~!!!!!!!!!」

中学生か!

最後にボソッと砂田は言った。

「自動販売機ってマジでどこかにないんすかね?」

あぁ二本松城 また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル