【インタビュー】みそっかす、10年かけてたどり着いた“本当の原点回帰”

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カタカナ表記の“ミソッカス”からひらがな表記の“みそっかす”に戻り、衣装にも再び和装を取り入れて活動のフィールドをインディーズに移した名古屋の5人組バンド、みそっかす。彼らが結成10周年の節目に、通算7枚目のミニアルバム『東洋の神秘』をリリースする。

◆インタビュー画像

本作は、意味があるようなないような独特な歌詞、おしゃれとダサさの間を攻めるキュートでスリリングなダンスミュージック、20世紀の歌謡曲を継承したメロディ、なにより楽しそうに音を奏でる5人の姿が自然と目に浮かぶ快作である。BARKSでは彼らの結成10周年を記念し、居酒屋でメンバー全員に10年の振り返りロングインタビューを実施。『東洋の神秘』に至るまでの10年、かなり紆余曲折あったようだ。

   ◆   ◆   ◆

■初ライブで「俺、このバンド解散しようと思う」

――みそっかすが本格始動を始めてライブハウスに初出演したのは2008年の夏。そこに至るまでに大学のサークルバンドとして活動していた時期があるんですよね?

デストロイはるきち(Vo&G):僕らが所属していた大学の軽音サークルには「クリスマスコンサートにネタバンドとして出ないとだめ」という風潮があって。その時の僕は「オリジナルバンドはかっこつけてる」という考えがあったんですが、心のなかでは本気だったんですけどこのタイミングならネタっぽくバンドができるかなと思って、ネタのふりして裸にオーバーオール、ヘルメット被ってライブをしました。それが2007年の12月でした。

マイケルTHEドリーム(Key):ノブリルとはるきちと当時のドラムのドランキー伊藤の3ピース編成で、ベース不在だったよね(笑)。

はるきち:そのあとにファック中野(※みそっかすの初代ベーシスト)が「俺が入ってやろうか?」オーラを出してきたんですよ。

ノブリル(G):ベース弾きながら声を掛けてきましたよね。あきらかに入りたそうでした。

はるきち:それで仕方なく俺らがファック中野に「入る……?」と聞いたら、「えっ……!? うん、まあ入ってやってもええけど?」みたいなリアクションでしたね(笑)。

――(笑)。でも中野さんはすぐに脱退してしまうんですよね。

はるきち:ベーシストとして最低だったんですよ(笑)。でもすげえ面白いやつでした。大学生の時点でものすごい破滅的人生を歩んでいたやつで、3rdミニアルバム『三次元への回帰』に入っている「シケモクラプソディ」は、彼の半生を綴ったものなんですよ。磁石のように不幸をどんどん引き寄せていって、不幸にまみれて、借金まみれで(笑)。

マイケル:普通の人間なら耐え切れないような出来事が起こっても、いつも笑ってるようなやつで。

はるきち:すげえ面白いやつだったんだけど、あいつはみそっかすをTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTにしようとしたんですよ。「はるきちこういう曲書いたらええやん」と言って持ってくる曲がロカビリー調のものだったし、ミッシェル聴かせてくるし、ベースラインもロックンロールなものを持ってきて。でも僕は当時RADWIMPSになりたかったので、ファック中野をクビにしました。

――そのあとにマイケルさんがなぜかまったく経験のないベーシストとして加入する。

ノブリル:マイケル、サークルで1回ライブをしたあとにベースアンプから火を噴かしたんですよ。僕は部長だったので、修理費はしっかりマイケルから徴収しました。

マイケル:The Crushが好きだったので、ベースへの憧れはあったんですよ。叩きつけるような音が好きだったから、破滅的な音が出したいなと思って。アンプの使い方がわかんなかったから全部フルテンにしたんです。そしたらアンプが火ィ噴いて。俺は「自分は悪くない」と思っていたので、ずっとノブリルが嫌いでした(笑)。

はるきち:マイケルはベースが弾けないのにいいフレーズをつけてきて(笑)。ロック畑の人間ではないので、ファンキーなフレーズをつけてきたんですよ。だからベーシストとしても頼りにしてましたね。

マイケル:ブルマン藤井さんの加入によって、僕は晴れて自分の担当楽器であるキーボードを弾けることになり、健康的なバンドになりました。

――ブルマン藤井さんは、ノブリルさんとドランキー伊藤さんがみそっかすと並行して活動していたPARALLEL SINGLE NOTESのベーシストでした。

はるきち:PARALLEL SINGLE NOTESはいけ好かないバンドで、僕は「絶対こいつらに勝ってやる」と思ってましたね。それでこっそりブルマンを連れて中華料理屋に行って、そこで「ブルマン、みそっかすやってみないか? みそっかすのほうが面白そうじゃないか!」と声を掛けたんです。

ブルマン藤井(B):みそっかすは曲がいいのにめちゃくちゃ型破りなパフォーマンスをしていて、アレンジもとんでもなくて。「こんなにメロディのいいバンドなら、たぶん音楽的にもこんなこともできるぞ、あんなこともできるぞ」といろいろ可能性を感じていました。メンバーも面白いやつらだし、「そろそろ誘ってくれねえかな?」とは正直思ってたんですよ。そのタイミングで声を掛けてもらって、その場で「やるやる!」って。

ノブリル:ちなみにみそっかすのいちばん最初にできた曲のうちのひとつが「ダメ人間」という曲で。あれはPARALLEL SINGLE NOTESでボツになった曲だったんですよ。

はるきち:あ、そうだったんだ!

ノブリル:みそっかすでやってみたらすごくしっくりきたんです。

――サークル時代のお話、なかなか尽きませんね。

ノブリル:サークルにはへんなやつらが多くて、独特の文化を形成していた時代だったんですよね。うちのサークルは“陸の孤島”と言われていました。

マイケル:だから自信をつけやすい環境ではあったんですよ。人数が少ないし、キーボード弾ける人もそんなにいないから、キーボードが弾けるだけで「すごい!」「天才!」って言われて「あっ、俺すげえんだ!」って(笑)。

はるきち:曲を書いているときも「俺らすげえバンドになれるんじゃないか?」と思っていて。そんな状態で2008年7月、新栄のSONSET STRIP(現SONSET BLUE)で、初めて外のライブハウスでライブをするわけです。

――ここでみそっかすが本格始動するわけですね。

ブルマン:当時のことはいまでも覚えていますね。ステージの真ん中に椅子を置いて、その上に八丁味噌を置いて、そこにスポットライトが当たって。Led Zeppelinの「天国への階段」をBGMにして、メンバーが葬式みたいな顔をしてステージに出てくる。そしてWikipediaに載っていた八丁味噌の歴史をマイケルが読み上げて。

ジャンボリー加藤(Dr):あはははは! クソバンドすぎる(笑)。

はるきち:終わったあとに店長さんから「まずは個人練習からだね」「ステージに責任を持ったほうがいい」と言われた。

マイケル:ステージに責任を持った結果があれだったんですけどね(笑)。「ちゃんとお客さんに向けたライブをしろ」という、普通のことを言われました。

はるきち:いま思い返せばわかることなんだけど、当時の俺らはそんなこと全然わかんなくて「ステージに責任持ってるし! できてるし!」って悔しくて。うまくできなかったライブを引きずったままだから打ち上げもテンション低くて、誰とも一言も会話せず……。そのあとみんなで車を走らせて知多半島のファミレスに寄って、そこで俺が「みんなに話があるんだ」と切り出すんです。「俺、このバンド解散しようと思う」って(笑)。

一同:笑。

ブルマン:1回しかライブしたことないのに(笑)。めちゃくちゃ止めました。たった1回の初めてのライブがうまくいかなかっただけで……!

ノブリル:ほんとそうっすよ。僕らはPARALLEL時代にライブハウスでライブをやっていたんですけど、その時のほうがもっとひどいこと言われてたし。

はるきち:いろいろ思い出深い初ライブですね。all that jaz:と出会ったのもその日の対バンでした。メジャー1stミニアルバムの『反逆の♭m7』の「T.M.ハイテンション」は、ギターボーカルの大西崇泰がその時の打ち上げでめちゃくちゃハイテンションだったときのことを曲にしたものですね。

――本格始動した日に、まさか初めて解散の話が出たとは。

はるきち:その仕切り直しをしたくて、つぎは鶴舞DAYTRIPというライブハウスに出て。そこの店長さんは、みそっかすを褒めてくれたんです。ここでいい思いをした俺らは「ほかのライブハウスにもいい出会いがあるんじゃないか」と思い、栄のTIGHT ROPEに行ったんです。そこの店長さんも死ぬほど褒めてくれて。

マイケル:ジャンボリーはその頃なにしてた?

ジャンボリー:そのときはサークルで、ブルマンさんとノブリルさんとコピバンをやっていましたね。Pay money To my PainとかART-SCHOOLとかEaglesとか……いろいろやってました。僕ははるきさんと4つ違いで、あとのメンバーとは2つ違いなんです。ブルマンは死ぬほど怖かった。2個上のすぐキレる先輩。怒ると部室のいちばん奥で、貧乏ゆすりをしながらすごい音で煙草を吸うんです(笑)。ほんと怖かった!

一同:爆笑。

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