【インタビュー】sads、清春が語る活動休止とロックの本質「sadsも黒夢もヒストリーのひとつ」

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■バンド?ソロ?関係ないじゃん!って
■僕がその前例にならないといけない

──人生のタイム感ですか。

清春:“何をやるか”っていう人生のタイムスケジュール。それをsadsでやってもいいんですけど、sadsはバンドであるっていうところで、僕は“バンドはいいかな”ってことでしかないんです。

──清春さんは、“清春”をやりたいということですか?

清春:まあ、“形にとらわれない”って言うと、“だったらバンドやってもいいじゃん”ってなるからアレなんだけど。良い音楽を作るにはソロのほうが、よりいろんなことに時間がかからない、今の僕の年齢やキャリアを考えるとね。残りの時間を無駄にしたくないんです。バンドもいいけど、ますます興味がなくなっていくんだろうなと思ってます。バンドを否定してるわけじゃなくて、散々やってきたからもういいんですよ。

──そういう域に達していると。

清春:バンドって楽しさも安心感もあるしさ、ツアー中も寂しくなくていい。だけど、僕の人生のなかでのチャレンジがない。ちょっと想定内というか。キャリアのある僕が中心にいて、なんとなくバンドをやればカッコがつくような気がするんです。

──なるほど。

清春:今のツアーの本番中にも思うんですけど、バンドはこれまで散々やってきてるから、MAXにも持っていきやすい。もちろん肉体的に不調な日もあるけど、比較的作りやすいというか。僕のキャリアを振り返っても、ソロよりもバンド時代のほうがライヴをたくさんやったから、盛り上げ方が染みついちゃってるんですよね。バンドのほうがファンの人も安心して観てられるだろうし。

──安定感みたいなものですか。

清春:うん、バンドのボーカルは得意だからさ。ただ、野球にたとえると、ずっとホームランバッターでいられるわけはないんだよね。あるときから、豪快なプレイよりもチームプレイをしてみたり、解説者になったりするじゃない。野球の仕組みを研究してみたりとかさ。そういうプレイヤーになるためにも、今、僕にはもうちょっとチャレンジが必要なのかなって思いますね。野球は団体戦なんで、ちょっと説明しづらいですけど(笑)。

──転換期とも言えるのでしょうか?

清春:音楽というものの素晴らしさにもっと近づくという意味では、ホームランを打つだけではダメというか。ホームランを打ち続けるために野球選手をやってるわけじゃないんですよ。強くバットを振ってスタンドに入れるという一個の動作を極めたとしても、それは誰もがいずれ出来なくなることなので。そこでクリーンヒットを打ってみるとか、一塁にいるランナーが三塁まで行けるような打撃とは何なのかを考えるとかね。

──ある意味、年齢に合ったプレイスタイルを身につけるということでしょうか?

清春:多分、それは他のどのジャンルでもそうだろうけどね。音楽って、演奏力、体調、会場の雰囲気、その日の天気なんかが全部一致すると素晴らしいものになるからさ。もう、そういう音楽をやれてもいい頃じゃない?って思うんです。

──なるほど、そんな考えが。

清春:なんでも豪快に“よっしゃー!”って感じに持っていくよりもね。30代とか40代とかは、そういうことが楽しかった時期ではあったんですけど。

──キャリアのなかでいろんな楽しみ方を知ってきたからこそ、今の年齢に適した活動があると。

清春:マイナスを感じたくないんです。このあいだGOくんと水戸のライヴ(“chapter 2” 10月5日@水戸LIGHTHOUSE)が終わった後の楽屋で話したんですが、僕ら二人はホントしんどくて、ある時間帯では耐えるだけのプレイだった。もちろんライヴが盛り上がり過ぎたからこそなんだけど、“あ、気持ち悪いな”って肉体的に思ったりね。そういうことがステージで起きないようにしたい。じゃあ、そのために鍛えるのかっていうと、それもまた音楽と違う気もする。チャレンジしてることや“味”も含めて、ミュージシャンとしてもっと達人でいたい。そういう段階に入っていかないとよくないんじゃないかと。なんなら、若い子たちに豪快なホームランバッターの座をどんどん譲っていかないと。誰に譲るとかじゃなくて、順番としてさ。ただ、今や、たいしたホームランバッターはいないような気もするけど。

──ははは。

清春:そのファンの人たちは、“すごく良いホームランだな”と思ってるのかもしれないけど、そういうのって、ホームランのような気がするだけなんですよ。ホームランを打たせてもらってるだけというか。“こう打つんですよ”って、球筋が見えてる遅い球が用意されていれば打ちやすいし、もしかしたらバットに細工をしてるかもしれない。実際、圧倒的な強打者なんて今や少ないと思うよ。

──はい。

清春:たとえばライヴで、映像を駆使してるとか、仕掛けが多いとか、MCで笑いが取れるとか、それって全部本当の強打者ではないよね。“なんとなく人気があるから、出てきただけで盛り上がる”みたいなのって、メディア攻略法が上手いだけ。なんなら、演奏もショボかったりするし。ホントにその人が強いか弱いか、それはライヴを観ればわかりますよ、僕らは。強いっていうのは腕力じゃなくて、巧みかどうかっていうこと。そこに年齢は関係ないんで。

──非常に納得します。

清春:あんまり数は観てないですけど、いくつか観たライヴのなかで、“ヤバい! コイツに負けちゃう!”っていうのなんて一人もいないな。50歳になる僕が、ですよ。だから、もう僕らはどんどんホームランバッターの座を譲るべきだなと。ホームランばかり打ってるとバッターは、“本当のホームランって何なのか?”を考えるようになるんです。一方で、今までホームランを打たせてもらってた人が打てなくなってきた時、そういうことを考え始める……今、若い子たちはそういうことを考えるべき時期なんじゃないかなと思います。

──だからこそ譲るという?

清春:若い子たちも、僕らみたいな“本職”の同業者と同じステージに立つ機会があれば、自分たちがたいしたことないことに気づくと思うんです。で、“自分たちのほうが人気はあるけど、ライヴでは負けちゃう”と思ってるはず。そこで無理して僕が、“いや、ここは得意だからホームラン打てるよ”って出て行くのではいけないような気がする。そこに魅力も感じない。

──ホームランではない魅力ですね。

清春:最小限のスイングで振ってみるとか、そういうこともやれないとね。バンドの醍醐味ってやっぱりライヴなんだけど、僕が今、感じている魅力は、そこではないのかもしれない。もちろんライヴはソロでもできるし、楽曲制作はソロとして十何年もやってきてる。良い曲を作るということに関しては、ソロのほうがいろんなことにとらわれずに済むんですよ。

──うーん。

清春:“バンド? ソロ? 関係ないじゃん!”って。僕がその前例にならないといけない。SNSを見てると、“バンドの時は良かったんだけど”みたいなつぶやきが、いまだにある。バンドとソロの違いを感じがちな人たちがまだまだ多いんですよ。

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