【インタビュー】wyse、TAKUMAが語る“充電の本意”と“決意のシングル”「僕らが選んだ20周年の形」

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■「一発作ろうぜ」って取りかかった作品
■メンバー全員が共通した意識で作った

──さらに踏み込んで訊きたいんですが、各々メンバーはスタンスも違いますよね。具体的に言うとTAKUMAさんやMORIさんはwyseを含む音楽活動がメインですけど、月森さんやHIROさんは音楽以外の仕事と両立させている。物理的にバンドに割く時間も違うのかなとは思うんです。

TAKUMA:僕自身は、“牧田拓磨という個人”はwyseとは関係がないと思っていて、そういう意味では月森やHIROの日常生活も、MORIと僕のwyse以外の音楽生活も切り離して考えてはいます。ただ、この問題は難しくて、SNSが普及している世の中なので見なくてもいいことや知らなくてもいいことも知ってしまうし、僕らサイドもTwitterのアカウントを持っているから、そこに何か書けば見る人には情報が入ってきますよね。個人的には時代と逆行しているかもしれないけれど、そういうのを全て一度ストップするのもひとつなのかなと、そんな考えを持っていたりもします。だから、今の質問に対しては、“メンバーが忙しいからwyseができないんだよ”って思わせてしまっているのであれば、その時点で僕らはダメで。そんなことは本来、聴く人には関係がないことですからね。ただ言えるのは僕やMORIが音楽で生きているからいいのではなく、月森やHIROも今の生活スタイルがあって人間が形成されているわけで、制限することがプラスなのかマイナスなのかはわからないです。

▲シングル「蘇生」フライヤー

──それは確かにそうだと思います。否定しているわけではなく。例えば聴いている人もwyseと一緒に成長しているわけで、お子さんがいらっしゃったりする人もいるし、自然なことだと思います。

TAKUMA:今、お話したようなことをファンの人にも考えさせてしまう余地があること自体がどうなのかなって。例えばTwitterを見て「月森さん、ドイツにいたもんね」とか「HIROさん、平日は仕事があるもんね」とか、そういう情報がない状態でwyseに触れてもらえたら、もっとクリアに見えるものがあるのかもしれない。例えば今の時代、インタビューも生配信できるじゃないですか。Twitterやインスタだってファンは見たいし、知りたい。そしてそれは、ひとつを知れば必ずもうひとつ、さらにもうひとつと、どんどん“知りたい”を消費して次を求めるようになる。その一方で、“本当のこと”を発信してもそれが埋もれてしまうくらいに、情報はいろいろなところで溢れている。便利な反面、どんどん難しくしている側面もあると思うんです。だから僕は、作品やライブ、こういうインタビューはとても大切にしているし、その重要性が増すような方向を考えないといけない、と最近思っています。

──発信する側は葛藤するところですよね。プロモーションとして大事な役割を果たすSNSではあるけれど、幻想は薄れてしまうかもしれない。自分がさっき質問したことも含めてですが。

TAKUMA:いや、それは大事で、読んでくれるほうがいいんです。さっき話したことは、例えば100人いて100人が知りたいことなら僕は全部を伝えるけれど、知りたくないという人が1人でもいるなら、それはトータル的にマイナスになるということで。だったら、ゼロのままのほうが全ての人がハッピーなんじゃないかなって。だってライブに来るときは余計なことは考えずに来るでしょ?っていう。ライブが終わってからの数日間も夢心地でいてほしいと思うから、そこは選んで発信していかなきゃいけないとは思いますね。

──では、これまで話していただいたことともリンクするであろうシングル「蘇生」について訊かせてください。この作品が20周年の区切りというふうに捉えていいんでしょうか?

TAKUMA:そうですね。“wyse20周年のシングルは、これです!”っていう。

──そういう気持ちをメンバー間で共有して制作した曲たちなんですか?

TAKUMA:ツアーの日程が決まっている中、形態としてはミニアルバムなのかシングルなのか配信なのか、いろんな案が出たんです。そこで、「一発作ろうぜ」って取りかかった作品なので、そういう意味では共通した意識で作っていますね。


──タイトル曲は「蘇生」。“蘇生”とは“生き返る”とか“蘇る”という意味を持つ言葉ですが、出だしが“壊れてく”から始まって、このタイミングで聴くと今の形が消えていくようにも捉えられて、聴くほどに沁みてきます。

TAKUMA:wyseを知っている人が聴くと曲の方向性が今の状況に重なるかもしれないし、それはそれで間違いではないんですが、歌詞を書くときはいつも1曲に対して3通りぐらいの物語を考えるので、そこを本筋としては書いていないんです。ただ、今のタイミングで出す曲として書いたことに間違いはないし、そういう意味では繋がっているので、「wyseのことかな?」って頭をよぎったのなら、それはそれで正解なんですよね。

──なるほど。そうでない解釈でいうと?

TAKUMA:眠っている状態、あるいは仮死状態から目を覚ますことが“蘇生”だとしたら、単純にこの世界に戻ってくることだと思うんです。だけど、逆も僕は言えると思っていて、それはこの現実世界から目を覚ますこと。自分自身が新しい世界へ、という意味を込めて“蘇生”という言葉を使っているんです。

──だから“顔が変わっても 僕だと思える?”と歌っているんですね。

TAKUMA:そう。僕がDNAレベルで変わるっていう。前世や来世の話でもいいんですけど、例えば僕もしくはwyseが、それまでとは違うものになって、wyseじゃないものになって、この世界に存在したとしても、あなたは私のことがわかりますか?っていう。でも、きっとわかるぐらいに僕の中に僕が残っているだろうと。そういうことを描きたいと思ったんです。“壊れてく”というのは消滅していくというよりは、始まりであるということ。自分で自分を壊していくことから始まるっていう。失敗を受け入れることもそうだと思うんですね。受け入れがたい自分の過ちだとか、惨めさを受け入れて、取り繕うような虚勢やプライドを壊すこともそうかもしれない。そういうことをふくめた“蘇生”でありたいというか。そういう本筋を描けたらなと思って書きました。

──TAKUMAさん自身の願望でもある。

TAKUMA:そうでもあるし、wyseというものに対してもそう。また少し違った部分で言えば、僕の知り合いに障害を持っている方がいるんですが。この世の中、様々な境遇の人がいる。その人が生きている時間、そのすべては当人以外には分かり得ないのかもしれないけれど、僕も含め、みんな誰もが少しずつでも現実を受け入れて、怖さを抱えながらも本当の自分を知って、その一歩を踏み出す瞬間があったんだと思う。それは今も、またこの先もあるんだと思うし。そうやって現在があり、その積み重ねが現在の自分を作りここに存在させているんだと僕は思っていて。そういう意味での、ひとつひとつ変わることも含んでいるんです。

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