【インタビュー #4】徳永暁人、doa15周年と不屈の音楽ライフ「僕は最後尾からスタートした」

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■すがるものは音楽しかなかった
■音楽を聴いている時だけは楽しかった

──陸上から音楽にシフトしたのは?

徳永:高校に入学してからです。僕は元々勉強が好きなわけではなくて、たまたまテストの点数が良かったから、ちょっと都会の進学校に入ってしまったところがあって。最初に衝撃を受けたのが、音楽好きとか、陸上好きとかと並んで、勉強好きな人種がいたんですよ(笑)。休み時間になっても「数式の証明問題の解き方がわかったよ」みたいな話で盛り上がったり。中学校の仲間とは全然違う人種が集まっていたというかね。“ああ、この人達には敵わないな”と思うようになると、当然自分の成績も落ちてくるし、陸上部にもすごいヤツがいたから自分は補欠になって。そうすると、だんだん学校もサボりがちで、相当ヤサぐれまして(笑)。典型的な学校嫌いの学生になってしまいましたね。

──それはツラい。

徳永:出口が見えない感じしかなかったんですよね。進学校に入学したから、親はそれなりの大学に進学することを期待していて。それも辛かったし、人生どうしよう?みたいな感じになるじゃないですか。そうなった時に、僕からすれば、すがるものは音楽しかなかった。音楽を聴いている時だけは楽しかったり、救われたり没頭できた。で、機材を買って、家でひとり音楽を作って……オタクですよね(笑)。勉強もせず、そんなことばかりしていたら、母親に「お前はどうするんだ? 音楽なんてどうせ遊びなんだから」って言われたんです。その一言でスイッチが入ったんですよ。「遊びって言ったな! だったら、俺はこれを仕事にしてやる!」って決意したんです。それが高校2年の夏で、全てを捨ててもいいから音楽をやってみようと。

▲doa

──カチンときた言葉だったわけですが、その一言が背中を押してくれましたね。

徳永:母親には感謝しています。でも、その時点では指1本でシンセを弾いていた程度の実力だし、ベースも習っていたわけじゃない(笑)。専門学校に行こうかなとかいろいろ考えている中、たまたま本屋の受験コーナーで音楽大学の入試要項が載っている分厚い本に出会ったんです。表紙をめくった1ページ目に新設コースの広告があって、そこに著名作曲家の名前があって、ギターやベース、打ち込みのこととかも教えてくれるとかで興味を持って。

──音大ですね。

徳永:ただ、入学の最低条件として“ピアノが弾けること”、“聴音 (音を聞き取って譜面に起こすこと)”、“和声学の知識”とあったんです。そのときの僕には、3つとも全くできなかったわけですよ。早速、親を説得して、ピアノを習いに行ったんですけど、先生に「ピアノ経験はゼロですけど、1年半後に音大を受けたいんです」と言ったら、「考え直したほうがいいんじゃないの?」と言われました(笑)。

──まぁ、そうなりますよね(笑)。

徳永:でも、入試要項に課題曲があって、「あと1年半で、この曲だけ弾けるようにしてくれませんか?」ってお願いしたんです。ショパンの「幻想即興曲」というものすごく難しい曲だったけど、その時は難しさすらわからないから、「この曲だったら弾けるような気がするんです」とか言って(笑)。1年半、「幻想即興曲」だけレッスンを受けたり、家にはピアノがなかったので毎晩原チャリで40分くらいかけて隣町の練習スタジオに通ったり、聴音と和声学の勉強もして。

▲ベストアルバム第2弾『doa Best Selection “MIDDLE COAST”』

──普通は何年か浪人しても仕方ない難関の音大受験ですが、1年半でなんとかしてやる!と思ったんですね。

徳永:もう、意地ですよ。今も、あの時みたいな意欲をもうちょっと持てよと自分でも思う(笑)。聴音とか本当に全くできなかったんですよ。流れてきた音を譜面に起こすなんて、神業じゃないですか。とりあえずカセットテープ付きの問題集を買って、毎晩聴きながら睡眠学習したんですよ……結局なんの効果もなかったんですけど(笑)。そんな日々を1年半過ごした後、ダメ元で受験したらたまたま受かったんです。

──おおっ!すごい。

徳永:受かったのは嬉しかったけど、ほとんど何もできない人間が、英才教育を受けてきたような人たちと同じ土俵に放り込まれるわけじゃないですか。しかも、一学年に6人しかいなくて、僕以外の人たちは全員天才。現役のプロミュージシャンとか、小学校の時にチック・コリアとセッションをしたという女の子もいたかな。だから僕は、最初から完全に落ちこぼれですよね。経歴には“音楽大学卒業”と書いてあるから、子供の頃から英才教育を受けたと思うかもしれないけど(笑)。

──正直、徳永さんは音楽エリートだと思っていましたけど、話を聞いたら全く違っていて驚いているところです。

徳永:それまではアメリカのヒットチャートが大好きなだけの普通の少年でしたから。大学に入ってからクラシックを勉強したり、18歳にしてゼロからのスタートだったという。

──でも、いただいた資料によると、大学の在学中にコンポーザー、アレンジャー、マニュピレーター、ベーシストとして活動を開始と書いてありますね。

徳永:それもスタッフがいいように書いてくれているんですよ(笑)。ただ、大学に入ってから、鳴瀬喜博さんのベースの授業に参加したり、ベーシストとして10個くらいバンドを掛け持ちして、だんだんベースが上手くなっていったと思います。いろんなジャンルを経験できましたし。大学では作曲コース(東京音楽大学 音楽学部 音楽学科 作曲指揮専攻、作曲 映画・放送音楽コース)を選択したんですけど、いわゆる歌ものではなくて映画のBGMとかを作るコースで。そこで「映画のBGM、作ってみる?」というお話をいただいたりだとか、在学中はその程度です。大学生活の4年間はあっと言う間に終わってしまいましたから(笑)。

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