【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第92回「烏山城(栃木県)卓偉が行ったことある回数 2回」

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栃木県の名城、烏山城である。鳥に山と書いて「からすやま」呼び方が格好良い時点で勝ちである。小学生の頃観た印象と2020年1月に来城した時の印象が全く違った。当然ながら2度目の見学で痛く痛く感動し今回執筆するに至った。いや〜すげえよ。これやばいでしょ。っていうかもっともっと評価されなきゃ嘘でしょ。なんで?なんで今くらいの評価なの?ってなわけで私が熱く語ろうと思うわけである。

築城は1418年と古く那須氏が最初で、数々の武将達が入れ替わり立ち替わり城主になり、最後は大久保氏で幕末を迎えている。今は土塁、空堀、石垣が残る城だが、明治時代初期まで城内には沢山の建造物が残っていたとされる。だが1872年に三ノ丸の御殿が雪の重みに絶えられず倒壊、翌年には本丸周辺の建物が焼失。取り壊しにならなかったのに無くなってしまったことがとても残念である。搦手門が民家に移築されて現存している。

200メートルの横に長い山に築かれた烏山城だが、最初は山城、途中で三の丸を増築したことで平山城として機能していた。城主が入れ変わっていたことでどの時代にどの城主がどのように改修していったのかはわからないが、中世の山城の良さと戦国時代の石垣の城の良さが良い具合に出ているところがまず熱い。山道もさほど急でもないし(いや、鍛えている私にとっては)山にもかかわらず山頂のスペースも大きく、城自体が大きいので見所満載だ。

見学するにはまず三の丸から。早速石垣がお目見えだ。いくつもの段になった曲輪が広がっていて、土塁で作られた門跡、虎口もある。町の政治、暮らしは全部この三の丸で行っていたことがわかる程のスペース。広大。三の丸の重要さが伝わってくる。曲輪の両サイドの切れ目には長い竪堀が切られてもいて、排水路としての役目も果たしていたようだ。現在民家が建っているところも曲輪の一つであり、さすがにそこは見学出来ないが、相当なスペースを三の丸と呼んでいたことがわかる。ここから本丸へは七曲り道で行く。この道はおそらく後々に作られた道で、戦国の山城によくあるパターンだが道の横を土塁で高く固めており、歩いて移動しているところを外から見せない構造になっている。なので昼間でも若干セクシーに薄暗い。平坦になった場所まで登ってくると太鼓丸と言う小さな山になった曲輪があり、まずここで登って来た敵を仕留める仕組みになっている。太鼓丸と言うくらいだから見張り台でもあり、敵が攻めて来たことを味方に太鼓を叩いて伝える場所であったと言うことだ。きっとハーフタイムシャッフルを叩いて伝えていたはずだ。




そこから右手に進み、まず大きな堀切に遭遇する。当時は車橋がかかっていたそうな。要は敵が来たら橋を折って渡れなくするという仕組みで、柱の軸を木の車輪にしてあったということである。この橋を渡ると常磐門跡。渡った先がとてもスペースが狭く、いっぺんに何人も通れないように作られている。そのままど真ん中を潜るような門をイマジンするかと思うが、足元をよく見ると正面に向かって左側に門の基礎石が残っており、左側が入り口になっていたことがわかる、よってここも虎口になった構造だったということだ。門の間口も狭いのでいっぺんに攻めさせない工夫が垣間見られる。さすが常磐門。貴子もびっくりだ。



その先に石垣が見えてくる。石垣の上は本丸ではなく長屋と塩蔵があった場所の下の石垣になるのだが、本丸下の曲輪に入る最初の門、吹貫門の石垣である。ここの石垣も久しぶりに来たら随分と崩れており、高さも低くなっていた。だがやっぱり感動。山城とは思えない道幅、石段、門の基礎石もしっかりと残っている。その先が正門で、右横の土塁の上が本丸となる。吹貫門の先も右手にはちょいちょい石垣が残っているが、当時は壁一面石垣だったそうだ。本丸ならではの造り、そして威嚇と言えるだろう。正門跡にもしっかりと石段と基礎石が残っている。こういうのを見逃したくない。だがここでふと城の外側を見ると何これ?というくらいの空堀が突如表れる。しかも2重にも3重にもなっており、その堀の幅も80年代のゴルチェのスーツの肩幅くらいある。城の裏から絶対に城に侵入出来ないように施された構造に言葉を失う。これは凄いです。その空堀が古本丸の下の西城の曲輪までずっと伸びている。城全体を見学してわかったことだが、この城は大手と逆の裏手の防御が凄まじい城なのだ。西城の曲輪、中城の曲輪、大野曲輪、その先は北城の曲輪、全ての曲輪の大手と裏側にはずっとこのレベルの空堀が繋がっている。どうしても木が切られていない部分があるのでその凄さ、深さ、高さがマニアでないと把握しづらいのが現状だが、この構造はかなりのハイレベルだと評価したい。この凄さが埋もれてしまっていることが本当にもったいない。卓偉と同じ状態と言えば伝わると思う。だが初めて来城した時より本当に綺麗に整備されていた。本当に感謝である。伝える人がいるとちゃんと伝わるのだ。

本丸に話を戻そう。本丸には当時御殿があり、今も基礎石が残っており、よく見ると庭園の跡もわかる。さすが本丸、いくらか娯楽も取り入れていた。当時本丸には木など生えていなかっただろうし、天守はなかったとされるが、コーナーがちょっと高くなっており櫓が立っていたことがイマジン出来る。もともとはこの場所が二の丸で、その先にある同じ高さの曲輪、現材は古本丸とされる場所が最初の本丸だと言う。だがはっきり言って本丸が二つ存在するような感じだ。欲張り!2トップ、これたまらん。その間も深い堀切があり、当時は橋が架けられていた。しかしここの土塁の高さ、堀の深さ、堀の幅の広さ、なんなんだ?すげえなおい!写真じゃ全然伝わらないのが残念だ。当時はこの空堀の中も導線として使われていたであろう。よく見ると空堀も仕切られていて、薬研堀の役目を果たしていた。おい!どこまで熱いんだ!その堀に囲まれたすべての曲輪も基本は侍屋敷として使われていたそうである。そう考えると三の丸だけじゃなく山の上にもたくさんの家来が暮らしていたということだ。



古本丸を抜け、城を横に進んで行くと中城の曲輪、北城の曲輪、大野曲輪がある。更にその先にも曲輪があるが現材は山道の堀切の跡にアスファルトの道が出来ており、その先はさすがに見学出来なかった。大野曲輪と北城の間に大きな四角い堀があり、今でも若干水が溜まってもいるのだが、ここは当時貯水庫的な役割を果たしており、雨水を溜めて生活に使われていたという。そういう暮らしに役立つ堀も作られていることがまさに戦国時代と言えるだろう。中城と北城の堀切の先が十二曲りの登城口となっており、曲輪の数を考えると築城当初はこっちが大手だったのではないかとマニアは推測。現在の位置だと割と早く本丸まで到達出来てしまう気もしていた。かと言ってこの城の搦手が何処かと言われれば難しい。一筋縄ではいかない構造がとても魅力的な烏山城だ。

個人的に好きな場所は中城と古本丸の下の犬走りにある仕切り門で、桜門跡があるのだが、これがまた細い犬走りのスペースに対して、それでも虎口の構造だったことが敷石でわかるのだ。城内の細い導線ですら虎口にするこだわり。素晴らしい。仕切り門だけに虎口を囲むように塀が建てられていたこともわかる構造だ。是非見学してほしい。すでにこれを書いている今、もう一度来城したくてウズウズするくらい名城だと評価したい。烏山城1日にして成らず。次回は十二曲りから登ってみたい。


烏山は蕎麦が名物らしく、小さな蕎麦通りが存在する。入った店の親父さんは話好きで、ドクターマーチンを脱ぐのが面倒なのでフロアの席に座ろうとしたら、良いから畳の席まで上がって行けと言う。これ脱ぐのに時間かかるんですよと言っても、ゆっくりやってけよと親父さん。メニューを見て注文をしようとすると、「本当にそれで良い?」と聞いてきて、昨日使い始めたかのような手付きでタッチパネルでメニュー一つ一つの写真を見せてくる。「君が頼んだのはこの写真。本当にこれで良い?」良いですと答えると「でもね、こんなのもあるよ?」とまた別のメニューを進めてくる。結局撮影スタッフ入れた3人でどうしても違うメニューを頼んでほしかったらしく、「君はこれね!君はこれでしょ?君はこれが良いと思う!」と勝手に決めて厨房に戻って行った。こんなに強引に自分の食い物を決めてくる蕎麦屋も初めてだった。だが味は抜群だった。城を見学してきたと伝えると、明治時代の烏山城周辺の地図と1960年代の一番町が繁栄していた頃の商店街の地図を見せてくれた。これにはびっくり。なんでこんなの持ってんの?地元の人こそ地元の歴史に疎い人が多いのに対し、この親父さんは本当に詳しかった。割と城も好きなようだった。しかし我々が帰ろうとする時の引き止め方が面白かった。ごちそう様でしたと言うと、城地図が、また言うと商店街地図が、最後は激アツ、激濃いコーヒーをサービスしてくれた。色々と良い話が出来て、スタッフは先に店を出たが、私はなんと言ってもドクターマーチン10ホールだ。履くのにも靴紐を綺麗に結ぶにも時間がかかる。この畳の席が烏山城の常磐門と同じく間口が狭く、親父さんは片付けるのに私が邪魔で、私は親父さんが邪魔だった。親父さんは言った。「ちょっとそこにずっと座られちゃうと片付けられないし、もうみんな先行っちゃったよ?」

だから脱ぎたくなかったんじゃい!

そのやり取りを聞いていた女将さんが言った一言を私は聞き逃さなかった。

「じゃあお父さん、待ってる間に鼻毛切って」

ふと親父さんを見るとクワガタの足のような鼻毛が何本もブラ下がっていた。日本はまだまだ平和である。

あぁ 烏山城、また訪れたい…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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