【インタビュー】森友嵐士、医療従事者へ贈る「ひとりひとりのありがとうを集めるプラットフォーム」

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■自分の役割、何ができるかを考えただけ
■考え方ひとつで今日が変わる

──新型コロナウイルスの猛威にも、どうやら森友嵐士はダメージを受けてないみたいですね。

森友嵐士:ダメージ?

──ほら、受けていない。

森友嵐士:でも、音楽ビジネスとしてはダメージ受けてますよ(笑)。今、ミュージシャンとして僕ができることは『ありがとうのうたプロジェクト』でやっているので、ビジネスには一切ならないですけど、仕事ってそういうことじゃないでしょう? お金になるから仕事なのではなく、自分の役割、何ができるかって考えただけ。僕は考え方ひとつで今日が変わる、そんな風に思ってるんです。その心がコロナに奪われなければいいなあと一番に思う。いざこざが起きたり、互いを思いやれないと、人間として一番貧しい世界になってしまう。そうならないために、そうなる前に何かできることはないのかと考えたときに「ありがとうのうた」が存在していたわけです。なかなか言えない言葉だけど心の中にみんなある。届けた側も受け取った側も両者ハッピーな気持ちになれて、ネガティブな気持ちを削ぎ落としてくれる言葉ね。その言葉がみんなの中で積極的に飛び交う世の中になったらいいな。ここに集まってきた「ありがとう」をどうやってもっと広げて形にしていくか、やり方がうまいほうではないですけど。


──このプロジェクトも、後に振り返ればひとつの節目になっているかもしれませんね。

森友嵐士:やってることはずっと同じでね、年齢を重ねるとともに、自分がどうやって受け止めるかをしっかり感じられるようになっただけと思いますよ。音楽って心の中に何かしらを届ける力があるじゃないですか。誰かのための何かになっていることを実感したときに、ミュージシャンっていい仕事だなあと思う。その人の人生の中に僕の音楽が刻まれていて、人生の支えとなったという、そういう話を聞けると嬉しいし、すごくいい仕事だなって思っています。だからこそ、音楽に対しては誠実に向き合わなきゃいけないし、言葉の世界にも責任を持たなきゃいけないとも思います。

──自分自身が、自分の曲に支えられることってあるんですか?

森友嵐士:めっちゃありますよ。言わないですけどね(笑)。ライブでも歌いながら改めて、噛みしめたりします。遊び半分のようなノリで作った曲でも、その時の心の模様をリアルに出すから。でも人間って、心の向いている方向はその頃と変わんねんだなあって思う。人生の時間が増えているから、20数年前に作った曲を今歌ったほうがグッとくるというか、自分にとってのその言葉の意味も深くなっている。面白いなと思いますよ。経験とともに自分にとっての曲自体が育っていくみたい。人生って直線じゃなくて螺旋のようでね、ぶつかって衝突して火花が散って自分自身も振り返りながら、ひとつ抜け出たところにひとつの歌が生まれたりする。葛藤の先にしか思いやりや理解し合える包容力って生まれないでしょ? グルグルグルと螺旋のように生きていくけど、振り返ると向かっているところは何も変わっていない。一昔前の俺を見ている感じだよ。

──もがいていた頃からすると、再びタバコを吸い始めるなんて思いもしなかったでしょうね。

森友嵐士:何でだろうね。わかんない。「1本いいすか?」ってふかした瞬間に蘇ってきたというか、無理矢理閉めたドアがもう一回開いちゃった。東日本大震災の後、軽トラックにマグロ2頭積んで大槌町に持っていったときに、マグロ解体しながら漁師のおじちゃんたちといろんな話をしたんだけど、「一瞬にしてすべてを飲み込んだ海が憎いですか?」って聞いたら、「何言ってんだよ、お前ら。今回はこんなにでかいからみんな騒いでいるけど、今までも津波で大変になったことは何回もあるんだよ。俺たちは海を愛している。憎んでないよ」って。「こうなったことは確かに悲しい。けど今に始まったことじゃない、今回大きかったからだ」って。「いつもこのことを抱えながら、漁師という仕事をやってきてんだよ」っていう話をしてくれた。これだけのことがあっても海を憎まない……そういうことじゃない、そこにしか分からない魂みたいなものがある。その人なりの生き方ってあるでしょ? 俺にも俺らしさみたいなものがあって、それでいいんだよ。俺はそういう風に生きてきたんだから。

──漁師さんにとっての海は、森友嵐士にとっての歌なんですね。

森友嵐士:歌えなかったときも、自分が自分でないっていうか、生きてる感じがしなかった。それぐらい音楽が自分の真ん中に突き刺さっていたし、それを失ったまま他のことにいけなかった。10数年のリハビリを超えていろんな体験をしてきた今は、自由。ステアリングでいう遊びの部分がすごく大きくなって、みんなが喜ぶんだったらいいじゃんっていうのがすごく増えた。音楽ビジネス的には良いか悪いかは分からないけど(笑)、でも俺の人生的にはOK。変なことをいっぱい企んで楽しいことをするのは、学園祭みたいな感じ。経費の計算すると笑っちゃう。利益ないんですけど、みたいな(笑)。


──これからも楽しみですね。

森友嵐士:人生折り返しになると、残りの人生あと何年あるんだって数えている中で、どこに行くかということも大事なんだけれど、向かっている今日を誰と行くのか、それが大きい、それが喜びだし、イヤなものはイヤですよって我慢しなくなっちゃったみたいな。

──ここに来て我慢しなくなったのはいいことだと思います。取捨選択ができる証だし、間違わないで貢献できる自信がある証拠ですから。

森友嵐士:50歳も超えると魂の喜びみたいなものを実感できるようになるよね。言葉にするとくさいけど。

──すなわち幸せへの道標ですね。富・名誉・名声といった成功の証を手に入れたところで必ずしも幸せになるわけではないのは、幸せは手に入れるものではなく感じるものだからと思うんです。

森友嵐士:そしてね、その話は「ありがとう」という言葉がすごく感度を良くしてくれるツールなんだということにもつながるんです。「ありがとう」って、放っておくとどこにも届かないんだけど、ちゃんと形にして届けるとすごく力を持っている言葉だから。「みんな、ありがとうで溢れさせない?」みたいなことを提案したかった。今回、医療従事者の方々へ向けてスタートさせたけど、これはもっと広いんだよ。今では介護施設にも『ありがとうのうたプロジェクト』が伝わって「ありがとう、介護福祉士さん」っていうのが始まった。こういうことを望んでいたんですよ。僕の発信じゃなくて、みんなが発信し始めた。最高じゃん。旗をあげた人がやるんじゃなくて。

──“ひとりひとりがプレイヤー”は分かりやすいメッセージですね。

森友嵐士:その言葉でみんなが分かってくれれば、またプレイヤーが増えていきますからね。みんなの心が繋がっていけるっていうのは、みんなが力を持っているってことです。そこに気付いて欲しいし、そういうのがいいな。

──『ありがとうのうたプロジェクト』がみんなのもとに広がっていくことを楽しみにしています。ありがとうございました。

取材・文◎烏丸哲也 (JMN統括編集長)
撮影◎梶原靖夫 (BARKS編集長)

■森友嵐士による支援プロジェクト略歴

2011年3月11日の東日本大震災後から自身の経験を通し、『誰かのための何か』として災害支援・地域活性支援活動をスタート

■被災地支援■
2011年 東日本大震災
2017年 九州北部豪雨災害
2018年 西日本豪雨災害

2018年4月、九州北部豪雨災害被災地である福岡県朝倉郡東峰村にて復興支援活動を開始

■復興支援活動■
2018年4月から東峰村地域の魅力を発信する活動を独自で始める
2019年1月には東峰村復興支援親善大使へ任命。現在へ至る

■地域活性化活動■
2020年6月現在、福岡県東峰村にて
・東峰村宝珠石物語作成
・復興支援イベント宝珠石祭開催
・自身プロデュースカフェ『ランプの森』オープン
・空間カフェオープン
・東峰村岩屋神社へ墨象画奉納
・単独アコースティックライブを開催するなど、幾度も東峰村へ足を運び、現在も支援活動中

その他、自身の故郷である広島県府中市でも親善大使として、企画やイベントを実施。地域貢献事業として活動

■環境問題取り組み■
2019年11月には九州福岡『筑後川河川敷団体』と共に河川敷のゴミ拾いやイベントに参加
環境省の『森里川海プロジェクト』へ参加するなど、環境問題の取り組みもスタート

また、2013年、比叡山延暦寺親善大使に任命。公式行事に参加、比叡山延暦寺僧侶と共につくりあげる『祈りの集い』を2013年から毎年開催するなど、様々な活動をとおして比叡山延暦寺の愛と平和の心を繋いでいく魅力発信を行う
2013年に滋賀刑務所、2017年に京都刑務所へ比叡山僧侶と共に慰問ライブのため、訪れる



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