【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第97回「周山城(京都府)卓偉が行ったことある回数 1回」

ポスト

城マニアの評価が最も高い城、朽ち果てた山城の鉄板、明智光秀公の城、周山城である。tvkの私の城番組のロケで来城することが可能になった。マジ感謝である!日本全国がコロナ危機の中、ようやく緊急事態宣言が解除され、ロケが可能になった2020年6月末、日帰り弾丸京都のロケ。当日の予報の京都は曇りだったが、結構な激しい雨にやられてのロケになってしまった。この梅雨時の雨の湿気が後に大惨事を巻き起こす。そう!夏前の雨のおかげで蛭(ヒル)が散乱。結果9カ所も刺され血を吸われ、両足のふくらはぎと脛が血だらけというハプニングに!周山城のことは書きたいがヒルを思い出すので嫌な感じだ。もはやトラウマか!やっぱり山城は秋から冬の草木が枯れて虫が冬眠している時期をお勧めしたい。冒頭から何を言ってんだ。

築城は1579年、明智光秀により築かれた石垣による山城だ。明智光秀は福知山城、坂本城などの城主でもあるが信長暗殺という日本の歴史のNo.1と言えるクーデターを実行し自身も亡くなる一年前、最後に建てた城がこの周山城である。山城が建てられていた最後の時代の築城と言える。防御が土塁から石垣に変わっていく中で、山城に石垣を組むというのはとにかく大変なことだった。決して大きな規模の城とは言えないがその縄張りは見事なまでに良く出来ている城だと評価したい。4つの羽を伸ばしたプロペラのような、いやむしろ昭和の換気扇のように曲輪が広がっている。紐を引っ張って回すあの感じ。年末の大掃除であの油汚れのベタ付きをキッチンハイター無しで綺麗に磨けと親父に言われた時の衝撃と言ったらないぜ。


大手道から(追手道)最初の30分近くはかなりの急斜面を登らされるが途中からはいくらか楽になる。石垣は基本的に全部野面積みで、石ひとつひとつの大きさはまばらである。二の丸に入る場所に虎口になった門跡があるがここからが城の本来の入り口と言えるだろう。門の間口を見ても山城とは思えないくらいの幅があり、櫓門をイマジン出来る。ちゃんと石垣が組まれていた跡があり足元を良く見ると石段も確認出来る。主郭手前の二の丸入り口も虎口になっており、ここからの曲輪全部が完全に総石垣だったことがわかっている。現在は土に埋もれ、石垣も崩れ落ちすべてを把握は出来ないが、周山城のパンフレットを見る限りその規模がどれほど凄かったかがわかる。本丸の入り口のいわゆる本丸正門、本丸御門、これが単純な虎口ではなくちょっとだけ右に斜めに作られているのがとてもお洒落だ。まずこれにグッと来た。戦国の山城でこんな部分にこんなハイセンスを用いるなんてさすが光秀公。きっとこの門こそ大きな櫓門で、それを威嚇として見せることにこだわると単純な虎口じゃ門全部が見えない。でも正面の門にすると攻められやすい。その辺を考慮してデザインされた気がしてならない。



エントランスが広いのも格好良い。そして周山城の一番の魅力、そして一番の疑問、一番の謎と言えるのが本丸のど真ん中にある天守台である。3カ所の入り口があり、L字の台が一つ、長方形の台が二つ、アルファベットでいうEの形をした天守台なのである。どういう天守が建てられていたのかが正直イマジンしづらい。長方形のかまぼこ二つがちゃんと同じ横並びの大きさかと思いきやこの二つの台も大きさが若干違う。微妙に曲がっているのだ。主に天守台は正方形の台にして建てられるが(安土城、岡山城、甲府城などは違うが)L字の台とこの二つのかまぼこを上から見ても正方形ではないのだ。非常に面白い。非常に興味深い。信長公の家来であった光秀だけに、周山城より少し前に建てられた信長公の安土城の天守が不等辺七角形だったことに影響を受けたのか、データが残っていないのが残念だが城マニアにとってはこんな最高なイマジンを出来る天守はなかなかない。しかし何故Eなのか、良く見ると本丸だけを見ると大きくYの字に曲輪が羽を広げている、ん?EとY?E.YAZAWA?えいちゃんか!入り口が三つもあることが本当に面白い。一階部分はいわゆる地下一階で、石垣の上からが外から見ての一階だとしたら三層の天守だと四階建ての建物だったとイマジン出来る。天守台の幅も広いのでもしかしたら五層だったなんてことも決して間違ったイマジンではないはずだ。


天守台の横には大きな井戸があり、その横には本丸裏門の虎口がある。ここを西側に下って行くとあれよあれよと石垣の嵐、相葉くんもびっくりだ。大手側よりむしろこっちの防御の方が硬いんじゃないか?と思うくらいの石垣である。段になった部分を全部石垣で固めている。本丸裏は犬走りもあり、導線としても機能。先へ伸びた曲輪の石垣の特に外側の横の石垣は凄い。先へ行くほど高さが増す。特にYの字の右側の石垣は圧巻だ。Yの字の左側はいわゆる搦手であり、虎口になった櫓門跡があってここにも石段が見て取れる。おそらくここが搦手口だったとイマジン出来るがその付近も防御は硬く縦堀が長く伸びている。下っていく道の途中にも絶壁かと言えるくらいの縦堀が掘られている。これも圧巻だ。

周山城は大手側よりも搦手側、いわゆる本丸の裏側にお楽しみが多い。来城の際は必ずこちらを見学していただきたい。いつもは雨が降っていてもロケとなるとピタッと止んでくれたのだが今回のロケはそうはいかなかった。最初にも書いたが夏前の雨の湿気でいろんな虫が散乱し、足元に見えるくらいヒルがいた。雨の強さ、そして山の急斜で登るのが大変で何度もスタッフと休憩を取りながらのロケとなったのだが、この休憩のタイミングで静止してしまったことがいけなかった。良く見るとミミズよりも全然細いヒルの子供もうようよしており、こいつらがタードクチンマー、いやドクターマーチンの紐の穴の隙間から入り込み私のふくらはぎ、脛の血を吸いまくっていたのだ。ヒルは針を刺し吸う時に麻酔みたいな液を出すらしく痛みを感じない、よってまったく気付かなかった。先にカメラアシスタントのドリーム吉田くんが短い靴下を履いていたせいで足首を刺され大量に出血をした。私はドクターマーチンの10ホールを履いて上からデニムを被せていたし、中は膝まで来る長い靴下と短い靴下を二枚重ね、靴擦れ防止の為に踵、アキレス腱の辺りにもバンドエイドを貼っていたのでなんならちょっと余裕ぶっこいていた。ガキの頃に田んぼで遊んでいてヒルに2カ所噛まれた時もあったがそれも遠い記憶。ヒルにやられるなんて映画でいうSTAND BY MEぐらいなもんだよと思っていた。



ロケを終え、山を下り、途中に和菓子屋「亀屋廣清」がある。1922年創業の老舗で旦那様と奥様がとても良い人で和菓子を食べながら番組の締めを撮影。是非周山城とセットで「亀屋廣清」に立ち寄っていただきたい。洋菓子もケーキもあります。全部美味しかったです。ご夫婦の温かい優しさと笑顔に感謝!


その後レンタカーで京都へ戻り、小一時間京都駅の居酒屋で飯を食って19時台の新幹線に乗る予定でいた。天才ディレクター&カメラマン菊谷さんとドリーム吉田くんと、やっぱりヒーローよりヒール役(悪役)の方が格好良い!と盛り上がっていた。ルパン三世、KISS、バイキンマン、タイガージェットシン、やっぱりヒール役はみんな実は良い奴で頭が切れるし本当は優しい!などと言っていた矢先、足首に一瞬ヌルッとした感触があり、まさか?と思いデニムをめくるとありえないほど出血していた。ボトボトと何匹もヒルが床に落ちた。歩き続けたことで靴下が下がっており、ふくらはぎと脛が血で真っ赤で傷口が見えない。使い捨てのお手拭きで拭くと合計9ヶ所もやられていた。その時の隣のお客のおばさんの青ざめた顔と言ったらなかった。トイレへ走り、血でバリバリに固まったドクターマーチンとデニムを全部脱ぎ、払うとまだヒルが出てきた。ありえない。何よりヒルに刺されると血が止まらないのだ。二日近くは出しっぱなしになる。11時半からロケをして約7時間半私の足で血を吸っていたのかお前らは!と思うと気持ち悪くなり嘔吐。もともと貧血で血を見るとぶっ倒れる私であった。

周山城は山城とはいえ本丸まではいくつもの丘になっておりこれはまさにフールオンザヒル。ロケの雨で転がるように山を降りてきたのでこれはまさにローリン・ヒル。京都駅の八条口で見かけた若い金髪の外国人モデル達はまさにマリアンヌ・フェイスヒル(本当はフェイスフルだが)。彼女達が履いていた靴はハイヒール。イギリス屈指のメンズブランドはダンヒル。レッドウォーリアーズが歌っていたのはロシアンヒルの上で。ジュンスカが歌っていたのはLet' go ヒバリーヒルズ。帰ってきてポストを覗くとアフラックのチラシに書かれたキャラクターはアヒル。翌日起きて付けたテレビに最初に映った番組はヒルナンデス!勘弁してくれ。

あぁ 周山城、また訪れたい…。だがもうヒルだけは…。

◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
この記事をポスト

この記事の関連情報