【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第102回「横須賀城(静岡県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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我がプロダクションの仲間、クリスタルヴォイスの持ち主、ラヴリーボーイ松原健之の故郷、静岡県は袋井から程近い場所にある横須賀城だ。1578年、徳川家康に命じられ大須賀康隆が築城。大須賀から横須賀という地名に変わったらしいので神奈川県の横須賀とは繋がりはないとされる。いやどうなんだろう?教えて偉い人。むしろ松原健之が教えて!いや絶対に知らんって言うわ。


城主が度々変わるが最終的には西尾氏が幕末まで治めることとなる。この城の魅力は何と言っても玉石で作られた石垣だ。天竜川の下流の玉石を運び、それを石垣としたわけだが、本来城の石垣は角ばった石を使い、または石を切り、積み上げて組んで行く。だが横須賀城の石垣は角のない玉石を積み上げたものなのである。まずこれPUNK。日本の城でここまで玉石だけの石垣にした城は横須賀城しかないのである。そこだけでも相当な見応えがある。どうせ復元だろと思うかもしれないが整備はされているにしろ基本はこの状態で現存しているのだ。これは相当発想がPUNKだ。アナーキー過ぎる。しかし良く崩れて来ない。組み方が素晴らしいのであろう。ボルダリングの大会が出来そうだ。実にユニーク。素晴らしいと思う。




江戸時代に描かれた絵図を見る限り、総石垣とは言えないまでも半分以上は玉石で作られていたことがわかる。粋だ。面白いのは大手門が二つあることだ。二条城みたいに正方形でそれぞれの入り口に大手門がある場合はわかるが、横須賀城は東京側と名古屋側にそれぞれ同じストリートに2つ大手門が存在した。東京側が東大手門、名古屋側が西大手門である。城の外堀の外に中土居道という海に面した道があり、これは現在の国道41号線である。その先は当時は海だったとされる。まさにウォーターフロント。うちのプロダクションはアップフロント。リアルに松原健之が言いそうなギャグだ。まさにこれが江戸時代の宝永地震により海面隆起が起こり、海岸線が沖合へと伸びたそうな。当時は東大手門の側に船着場もあり(横須賀湊)この入り江は掛川城の外堀の役目を果たす逆川の河口だったらしく、当時掛川城と横須賀城は船で行き来出来たらしい。物資を運ぶにも殿様の移動にも船を使っていたことがわかっている。掛川城が東海道の押さえで、横須賀城は海側の浜筋道を押さえる重要な場所にあった城なのである。



本丸には3層4階の天守も存在した。見事な天守台の跡がある。裏は土塁、本丸からは軽く積み上げた玉石の石垣が垣間見れる。さほど大きくない丘に建てられた本丸だが、目の前は海、そこに立ちはだかる天守はさぞかし美しいものだっただろう。眺めも最高だったはずだ。残念ながら天守は幕末に取り壊されている。

城の裏手に松尾山という曲輪があり、ここは本丸よりも若干だが高さがある。本来はこっちが本丸だったという説もあるが、確かにそれらしい作りにはなっている。山側の見張り台として機能し、多聞櫓が建てられていたそうな。出入り口も三つもあり、北の丸に向けて二つ、三の丸に抜けられる道が一つ確認出来た。虎口もある。もしかすると松尾山の麓の北の丸の高さが通常の曲輪の高さであって、本丸の丘は北の丸を隠すように土塁として土を盛って積み上げたのではないか?とイマジン。北の丸は女性や子供が暮らす御殿があったそうだが、松尾山と本丸の丘に囲まれて守りやすいように作ったとも言えるかもしれない。ロケで訪れた時にこの北の丸では松原健之のファン層ど真ん中な感じのお爺さんとお婆さんのゲートボール大会が繰り広げられていた。その中をカメラで撮影しながら進んでいくと、

「おう!兄ちゃん達、良かったらついでに年寄りもチラッと撮してってくれよ。今はあれだろ?年寄りでも若く見えるように撮れるんだろ?アフリ?アフリってんだっけ?」きっとアプリのことを言ってるんだと思う。松尾山の裏は崖になっており、そこの下には今でも最強な空堀が残っている。当時は城を囲むように堀が廻らされていて、場所に寄っては空堀もあるが雨の日は全部が水堀になったかもしれない。今でもその裏手の堀を見ると山からの水が流れて来ているのが確認出来る。



城の面積は名古屋側に伸びており、二の丸、二の丸御殿、馬屋、米屋などが存在した。東大手門側には三の丸、東の威嚇として太鼓櫓が、西大手門の近くには西櫓がそれぞれ2層の櫓として存在していた。三の丸もその大きさを考えると確実にどでかい御殿が建っていたことがイマジン出来る。本丸の下には三日月堀が今でも残っており、若干当時よりは縮小されてはいるが城の真ん中の堀切のような役目でひっそりと佇んでいる。今は三日月堀というより三日月池という具合だろうか。静岡周辺の城は武田氏の影響からか三日月堀が本当に多い。本丸下にある櫓門跡の横には石門の跡もある。現在は閉められているが、もしかしたら通常の出入口はこの小さな石門だったとも言えるだろう。来客や殿様が出入りする時以外は本来門は締め切っているものである。


現在の国道41号線、これが当時は中土居道という道だったわけだが、この道路から城側を見て、芝生になっていたり雑草が生えていたりする場所が当時の外堀である。外堀の先のちょっと高い場所、土塁に見えて当時は玉石の石垣があった場所は民家になっているが、西大手門の跡、西櫓の跡は残っており、良く見ると土橋の跡も確認出来た。堀が埋め立てられているが、何も使わないのであればもう一度水を張って水堀を復元しても良いと思うのだが。城の山側は静岡よろしくお茶畑になっているので仕方ないとしても、今でも十分に当時の城の面影を感じることが出来る。ここに水堀が戻れば尚良し。実に良い城である。


横須賀城にロケしに行ったと松原健之に言うと「横須賀城にたけしに言った?」と軽く返されてしまった。袋井から近いところに最高な城があるのよと言うと、「え~嘘でしょ~?地元の僕が知らないんですから~」と健之。確かにこのパターンが多い。地元の人が知らないのだ。我々城マニアしか知らず、我々しか盛り上がっていないケースがほとんどである。でもあるのである。あなたの街にも必ず最高な城があるのである。城がない街などないのである。

こないだ健之と一緒に廻ったツアーで、私は腰痛をやってしまい、本番1時間前に立っても座ってもいられなくなってしまった。そこに健之が「僕がマッサージしましょうか、僕は良くマッサージ行くんでマッサージのことわかります、マッサージさせてください、マッサージすると楽になりますから」と言ってきてくれた。何回マッサージって言うんだよと思いつつも、じゃあお言葉に甘えてと軽く揉んでもらった。痛い場所を伝え、楽になるまでほぐしてもらった。さすがマッサージを知ってる男と思い、背中のどの辺の筋肉が凝ってるか教えてくれる?と彼に聞いてみた。健之は即答した「わからないです」

お前なんなの?

あぁ 横須賀城 また訪れたい…。

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