【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第103回「霞城(長野県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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どうしてくれようか?ここ最近来城した城でダントツのNo.1を更新してくれた城だ。


マニアであってもまだまだ知らない城、その凄さをわかっていない城がたくさんある。これだけたくさんの城を見てきてもまだぶったまげる程の城があるということ、城は本当に奥が深い。そんな霞城、城主は大室氏。元は小笠原氏の家来であったらしいが、戦国時代は武田信玄公に仕えており、その後は織田、上杉に仕え、最後は会津に移る。会津に移ったタイミングで霞城は廃城となったようだ。築城がいつかが不明な点、中世の山城だとわかっても謎の多い城だ。すぐ近くに大室古墳群があり、城内も古墳を用いて作られている城である。

長野県の城もたくさん紹介してきたが、はっきり言ってこの城はノーマークだった。だが下調べをしているうちから、あれ?ちょっとやばい城なんじゃないか?知名度はなくとも相当凄い城なんじゃないか?というまさに中島卓偉のような存在の城な気がしてきた。私の城番組でのロケも叶い、そしてなんと大室霞城址整備会会長の小山さんも同行していただけるとのことで、とても心強いロケとなった。まず現在、霞城を見学する場合は城の裏手にある(ここが搦手かどうかは定かではない)永福寺跡からスタートする。

現在は駐車場がある。寺は明治時代?に燃えてしまったらしいがもしかすると大室氏の家臣の居館が母体となって築かれたかもしれないらしい。本堂があった場所に高さはないが石垣も組まれている。この付近も道の感じを良く見ると城下町的とも言える。


ここからひたすら山を登って行くわけだが、途中に岩がたくさん出て来て、山全体が岩山なことが一発でわかる。石切り場があり、ここで石を切り城内に運んでいたこともわかる。


霞城は中世の山城にも関わらずほぼ総石垣と言っても過言ではない城だ。この時代には本当に珍しいが、割と長野県は中世の時代の城であっても石垣を使った城が多いので、地層的に岩山が多く、城内の山の中で石を切って運べば単純に石垣の城にしやすかったとも言えるかもしれない。だとしても城に石垣を用いたことは全国の城を見ても実に早かったはずだ。大体が牛蒡積みと言える瓦のように細長く平べったい石で、それを野面積みと同じように積み上げた石垣だ。もはや信濃、長野県のオリジナルと言えそうだ。


ある程度登るとフラットな曲輪に到達。ギターはフラットキーが解放弦が使えず弾きづらい。どうでもいい。その先が本郭、ニノ郭、三ノ郭、となるわけだが、ここに分岐の掲示板があり、山の大手側に降りる道は「石門登山口」とある。だが大抵の人はこちらに降りず、そのまま本郭まで到達し周辺の石垣の素晴らしさを堪能したら永福寺まで下山してしまう。まずここで迷わずこの大手側の石門方面へ降りよう。というのも小山さんが「こっちに凄い石垣の大手虎口が残ってるんですよ」と教えてくれた。行ってみるとマジで凄かった!開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。


「なんだここは!!!?????」

「山城にこの石垣とこの虎口ってなんなん?????」

「どうして??????!!!!」

「凄過ぎやしないか??????!!!!!」

という言葉を連発してしまう程の最高な石垣の大手門跡が残っていた。ここ、本当に凄い場所である。みんなここをスルーしてしまっているのだ。まさに卓偉の音楽を聴かずに生きているのと同じである。


ちなみに霞城の石門というのは山を登る前のこの城の大手正面の最初の門であり、その名の通り、高さのある石を両サイドに構えた門であった。扉のない石のゲートと言ったところか。現在も永福寺と真逆のこの大手口から登っては来れるが、入り口の土地が民家になっており、いくらか補修もされて完全に当時のままを見ることは出来ない。現在は石門がある大手道だった入り口を回り込んで登れるように石垣が組まれているが、これは後付けとのこと(見事に石門の石は両サイド残っております)。

小山さんが子供の頃はしっかり石門を正面から入れたらしく、その間口も広かったとのこと。凄いのはその石門から先程の山の中腹にある石垣の大手門虎口までが急な1本の真っ直ぐな登り坂になっているのだ。これ登れるのか?と思うくらいの勾配である。だが下から見上げるとしっかりとその先に総石垣の大手門が見えるのだ。この威嚇、半端ない。しかも石段にもなっておらず、道をくねらせてもいない。とにかく真っ直ぐな登り坂だ。これ見てまず責める気が失せる。凄い、凄過ぎる。もしかして発掘調査したら石段が出てくるかもしれない。にしても物凄い急斜なのだ。


何よりもこの石垣の大手虎口。超幻想的。福岡県の大野城の百間石垣をコンパクトにしたような印象を受ける。一枚の写真に収めたいのだがどう撮っても写し切れない幅があるのだ。山城でこのパノラマ感、凄過ぎる。何故ここにこれだけの石を組めたかと言えば、大手門のすぐ背中がとてつもなく大きな岩がせり出ている。ディオンくらいセリーヌ出ている。まずここが城で一番大きな石切り場だったことが窺える。


この門を潜れば右と左に道が分かれており、どちらにも犬走り的なスペースもある、現在は大手を潜ると左へ登る道順になってはいるが、城が機能していた頃は右にも流していたのではないかとイマジン。というのもこの大手門を正面に見て右側の石垣の上を見学した時に、井戸の跡も発見出来たし、右側の方が組まれた石垣の数も多い。そのまま本郭の裏手の曲輪まで導線が繋がっている。ここの防御に余念がないことを感じるので、どうしてもこの場所から攻められてはならないという、頼むから脇の下からはやめてくれという想いがあったのではないだろうか?または大手から逆の道はこれから石垣を組む予定だったのかもしれない。とにかく大手を正面に見て、右側の石垣周辺、および犬走りスペース、この辺りの物語が凄いのだ。石垣の崩れ具合、朽ち果てた感じ、最高である。


大手門を堪能したらもう一度さっきのフラットな曲輪に戻りそこから本郭まで行こう。昔ふらっと旅に出たら一言言ってからにしてと事務所に怒られた。何本かの堀切を確認したらその先に見事な高石垣がお目見えだ。当時はここにも虎口の門があったであろう作りになっている。段になった曲輪は全部石垣で支えられており、その姿はどこもかしこも圧巻だ。高さはないが段がすべて石垣になっていることで曲輪から曲輪の移動も攻められないように工夫されていることが熱い。ここも絶対に攻められてはならないという気迫、頼むから首から耳にかけてソフトタッチでゆっくり攻めるのはやめてくれという想いを感じる。

先程書いた大手正面から右に廻った先の曲輪群であるが、本郭の裏の辺から降りる導線があるので、是非下まで降りて段になった石垣を見上げてほしい。ここも本当に素晴らしい。こちら側の石垣を中心に防御を固めていたことがわかるので、何か相当な理由があったのかもしれない。足元に石を敷き詰めた細い道も発見出来た。両サイドには排水溝もちゃんと作られている。戦国の城に一瞬の雅な感じ、もしかするとこの辺一体は女性や子供が生活する曲輪として機能していたのかもしれない。確かにこの辺一体はアップダウンがなく、大手の横にあった井戸跡までフラットになっている。我々の職業はフラットなんとかというローンは組めない。というかローンが組めない。どうしても木や雑草がボーボーに生えていて、それをイマジンすることが難しいかもしれないが、城の縄張りや地形が頭に入ると実に良く出来た城だということがわかりよっぽど感動する。

霞城は武田信玄公が作った海津城(松代城の本当の呼び名は海津城である)の北方を守る城として作られたとも言われている。川中島合戦の頃のようだ。山の下には分岐した千曲川が流れており、それも当時は城の大手近くを流れていたらしく十分な外堀と言えたそうな。その川からの湿気が竜の如く立ち込め、敵が攻めて来ると城全体に霧がかかり、それで霞城と名付けられたそうな。粋だ。格好良過ぎる。私もこれからは嫌な奴が現れたら霧を出すようにしたいと思う。

現在は上信越自動車道から霞城が見て取れる。日本全国にあるが、新幹線から、または高速道路からも見えるように大きな看板でもって宣伝している城がある。これだけ素晴らしい城なのだから上信越自動車道からもわかるように「霞城址、卓偉お勧め!」と曲輪の段に看板を設置してもありだと私は思う。それくらいこの城を見ていないことは損をしている。現在は整備もされて木が切り落とされたことで非常に見学しやすくなっている。本郭周辺は陽が入り明るい。小山さんが子供の頃はとにかく木と雑草が生い茂ってよっぽど幻想的だったらしいが、整備したことで城の全貌が明らかになり、その凄さを改めて実感もされたそうだ。しかし保存状態が素晴らしい。今日まで良く残ってくれていたと思う。小山さん的には大手正面右側の石切り場から裏手の曲輪までの整備と大手門石垣の修復、そして城内の掲示板を増やせたらとのこと。確かに最初の永福寺から登って来て、大手門虎口に降りる分岐にこれ程までに凄いものが存在するなんて想像も付かない。到る場所に城の平面図を置き、今はこの場所にいますと説明書きされていたらよっぽど見学者は感動出来るかもしれない。我々城マニアは地形に強いのですぐ縄張りを頭に入れることが出来るが、ビギナーにはイマジンが難しいのが正直なところかもしれない。細かい発掘調査をしたらいろんなことがわかりそうだし、謎がどんどん解明されていきそうな最高な城だと評価させてもらいたい。

しかしやっぱり、石垣大手門虎口、ここが本当に凄い。この城の一番のメインだ。にも関わらず見学者がここをスルーしてしまっていたという事実。いろんな城があるが、何も本丸や天守だけがメインではないのだ。霞城はとにかく石垣大手門虎口。これが凄まじい。感動にも程がある。是非大手道も整備していただき、丸太の階段でも良いから安全に登れるようにしてもらえたらもっともっとこの城の観光客は増えると思う。なんなら小山さん、城の平面図の絵は私が書いても良いですから!なんてな!城マニアとしてこれだけ素晴らしい城を紹介しないわけにはいかない。是非訪れてもらいたいと思う。

最後にまったく霞城と関係ない話をする。19歳の頃、皿洗いのバイトだったか、そのバイト先に「かすみさん」という女性の先輩がいた。大人しい人だった。ある晩スタッフの飲み会が終わり、みんなで駅へ向かって歩いている時、酔っぱらった上司に「おい!カス!」と呼ばれ急にキレたかすみさんは「カスじゃねえから!」と言い返した。プライドの高い上司は「なんだてめえ!女のくせに!」と胸ぐらを掴もうとしたその瞬間、かすみさんは空手でもって秒殺で上司をアスファルトに沈めた。すべてがスローモーションで見えた。めっちゃ格好良かった。週明けかすみさんがバイトを辞めたと聞いた。このロケの最中、霞城だけにかすみさんの秒殺の空手を思い出していた。そして決めた。帰宅し、ビビリの息子に言った。

「おい!お前来週から空手習わすからな!空手!」

息子は言った。「なに?からあげ?さいこー!」

あぁ 霞城 また訪れたい…。

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