【連載】中島卓偉の勝手に城マニア 第105回「飛山城(栃木県)卓偉が行ったことある回数 1回」

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久しぶりに栃木県の城をご紹介だ。これまたノーマークであった最高な城、飛山城である(とびやまと読みます)。飛山城の歴史は古い。

1200年代後半に芳賀高俊(はがたかとしと読みます)が築城。宇都宮氏と手を組んでこの城を大きくしたとのことらしいが完全に詳しいことはわからず。最終的には1590年に豊臣秀吉が関東を支配していた北条氏を滅亡させて、周辺の城を破却しろと命令を下し、飛山城も廃城になったとのこと。その頃土塁を崩して堀が埋められたりして自然に帰るが、昭和52年、1977年PUNK全盛期の頃に国の史跡に指定され、その後、市が史跡整備の為に発掘調査を行い、土塁と空堀の整備と復元が施され現在に至る。この復元が凄いのだ。平成4年から11年にかけての整備は見事なまでに当時の状態を再現してくれている。城ファンとして感謝しかない。



城の構造は西と北を鬼怒川が流れており、まずこれが天然の外堀になる。相当な大きさを持つ外堀になるのでまず川を渡って攻め入る気は失せるだろう。東と南は二重の堀で守っている。こういった説明を深くする前に、見学をする上でまずは城の隣にある「とびやま歴史体験館」に行き、城のパンフレットをいただくとそこに平面図が描かれている。これがとってもわかりやすい。歴史体験館の駐車場からすぐの場所に櫓台4、櫓台5、そして木橋が復元されているのがわかる。とてつもなく大きな土塁、そして深い空堀にビビる。飛山城の写真はこの場所が多いが、現物を見ると当然ながら迫力が全然違う。レコードの卓偉も凄まじいが生の卓偉のライヴは凄まじいにも程があるのと同じである。

この空堀を6号堀と言い、現在残る城の一番大きな外堀になる。6号堀に沿って歩いて行くと櫓台3、櫓台2、櫓台1までが確認出来る。この櫓台は堀に対して出っ張っていて、新府城の出構えにも似ている。あそこまで出っ張ってるわけではないがその存在感は強烈。コンサートのデベソにそっくりだ。復元された櫓台4と5に比べて、こじんまりした印象を受けると思うが、要は当時はこれが全部復元された櫓台4と5と同じものがここに存在したとイマジンして見学してほしい。全部で5つのでかい櫓が建っていたのである。この堀は最終的に鬼怒川に落ちている。とてつもなく長い空堀だ。


6号堀が折れ曲がる櫓台2の場所は角を真ん中にして両サイドに軽い虎口のような降り口が付いているが、これは城が国から指定される前まで、この城内周辺の土地を所有していた方の民家があったらしく、しかもそのお爺さんがかなりのカーマニアで、ガレージから出るにあたり、車で出れる虎口を作ったそうな。よってこの虎口は後付けでカーマニアのお爺さんの虎口ということである。城内に何台も最高な車を停めていたらしい。すげえな。土地の敷地はこの櫓台2を含めVの字になっていたとのこと。国からの指定と発掘調査が始まる1977年のPUNK全盛期のタイミングで立ち退きされたらしいが、もしかしたらそのお爺さんが生きていたら飛山城の発掘調査前の秘話を聞けたかもしれない。そうならないように卓偉のライヴに早いとこ来てもらえると嬉しい。



櫓台4の木橋に戻ろう。どうやらここが城の大手ということらしいが、櫓台1の土橋の感じ、間口の感じを見るとこっちも大手として十分な雰囲気があるので、大手門が二つあったと言っても決してオーバーじゃない気もする。ただ櫓台4の木橋の門を潜るとすぐさま枡形の馬出しが作られているので、防御がしっかりしている分、こちらが大手なのかなという気にもなる。ここに木の仕切り門が復元されている。この枡形馬出しの曲輪の前には今度は5号堀が引かれていて右は崖へ落ちて、左へは6号堀と同じく鬼怒川へ落ちる。これもとてつもなく長い空堀である。現在はかなり浅くはなっているが当時はかなり深かったとのこと。

この門を潜ると城で一番広大な曲輪に到達する。ここがおそらく三の丸と言ったところだろうか。家臣の住居もあったであろう。遮る空堀が一切ない広大な三の丸である。ここから縦に仕切られた堀の復元も素晴らしい。これが4号堀となる。堀の端の切れ目に土橋で通路が作られていて、正面からの敵の進入を防いでいる。城のへそには斜めに上る土橋もある。これもまた圧巻で二の丸大手門と言ったところか。虎口にしないところがむしろ男らしい。この土橋を渡り二の丸に入ればすぐ本丸かと思いきや。この先もまだ、しかもまだ3つも空堀が引かれているのだ。この防御が凄まじい。超えても超えても空堀が来る。切っても切っても金太郎飴と同じである。

その先の堀が2号堀で、ここまでちゃんと復元整備されていることに感動する。ここにも櫓台と同じような出構え的な出っ張りが一つだけある。おそらくここにも大きな櫓が建てられていたとイマジン。その先のL字になった3号堀とおそらく本丸を仕切る1号堀、これは現在は整備されてはおらず、軽い窪みのような堀跡になっている。ここまで復元整備されてはいないが同じように作られていたことを是非とも想像してほしい。鬼怒川に沿って面積の小さな曲輪になるが、どうやら年々自然の力で大地が削られて来ているそうな。明治時代の地図と比べても、昭和時代の上空写真と比べてもその違いがはっきりとわかるほど徐々に削られてきているらしく、そう考えると確かに3号堀と1号堀の先端にある曲輪は極端に狭いし、唐突に曲輪が終わって崖になっているようにも見える。もしかしたら当時は二の丸と同じく鬼怒川側がもうちょいスペースが伸びていて、曲輪自体も広かったんじゃないかと推測出来る。構造上、鬼怒川側の角にも一つくらい大きな櫓が聳えていたこともイマジン出来る。300年近く機能した飛山城なだけに築城当時はもっと大きな本丸だったとも言える。これはとても面白い話だと思う。

全部を堪能したら櫓台5に行ってみよう。ここは空堀の下から櫓台のてっぺんまでロープで登れるようになっている。見事なアスレチックだ。これを登ることによって当時の戦の気分、そして攻める場合に土塁を登るとはどれだけ大変かがわかるのだ。当然ながら当時はロープなんぞ付いてない。これを私、最初は上からロープで降りて、そこからまた上まで登ってしまったのだが、近くの掲示板に「上から降りるのはやめよう」と書いてあることに気付かなかった。マジすんません。とにかくこの土塁は高さがあり、なんなら途中にはち切れんばかりの巨乳のような膨らみもあって本当に登りづらい。土塁から石垣へと城は発展していったが実は土塁の方が防御は硬いのだ。雨でぬかるんでる時などは特に。デジタルよりもアナログの方が音が良いと見直されているのと似てんな。ここのロープは是非体験してみてほしい。土塁をロープで登るなんてめちゃくちゃ素晴らしい発想だと思います。


とびやま歴史博物館の中に模型の飛山城平面図があるので最後はこれを見て自分が歩いた道をもう一度確認すると面白いと思う。城マニアは平面図や模型が大好き。これで飯三杯いけます。平面図はトータルのデザインがいっぺんに見れるってのが良い。高台に築かれた飛山城だが、城のスペースは真っ平だということにも気付く。城の外もまだまだ平らな面積が続き、ゆったりと川と同じ高さへ落ちていく。この辺りまで根古屋であったはずだし、本当の大手門はこの高台に上がる手前に築かれていたのではないかとイマジン。現在の城の周りは高台にあるだけにビバリーヒルズ的な住宅街になっているが、歴史体験館の駐車場に向かう道はどう見ても城内の大手道だと言える。


そもそも城内には縦穴式の住居跡が復元されていたり、ここが古くから生活で使われていたことがわかっているので、それこそ古墳時代くらいからこの場所に人々が集まり、そして暮らす集落であったことを考えると、芳賀氏が築城する前から城的な集落として機能していたのではないかと思うのだ。集落であると同時に部外者から攻められない場所であるべき、そう考えるとこの場所が城になる理由もわかる。集落、城、そう言う前に大きな「町」であったと言えそうだ。水もあり、山もあり、畑もある。暮らすには持って来いの条件が揃っていたはず。確かに攻められないように工夫もされているが、それは武士の時代になってからの話であり、そもそもは大きな町として、集落として機能していたというのが飛山城の始まりかもしれない。だからこそ三の丸があそこまで広く、大人数での集会を行っていたこともわかっているのだろう。



今回はtvkの私の城番組のロケで来城出来たわけだが、とにかく歩き回ってロケ後に歩いた距離を見ると見事にぴったり10キロも歩いていた。最初はとびやま歴史体験館の上野さんという女性の方が同行してくれていたが、あまりにも我々のガキっぷりと、テンションの高さと、歩くペースの速さのせいか、気付くと途中からいなくなっていた。上野さん曰く、我々が6号堀から鬼怒川にまで降りて行ったのを見て、「ああ、これはもうついていけない、しかもそっちはもう城の敷地じゃないのに…。」と思い引き返されたらしい。

帰りに体験館も見学させていただき、飛山城の御朱印までいただいた。感謝である。いろいろ聞かせてもらったが、これ以上の復元は予算がなくて出来ないとのこと。う~ん惜しいなあ。1号堀、3号堀の復元か、一番大きな外堀の6号堀、もしくは櫓台3、櫓台1、ここも復元してもらえると相当いかついし観光客も増えると思うのだが。角にある櫓台2はカーマニアのお爺さんの2本の虎口がなんか良い感じなのでそのままでもありか。もうちょいの復元整備、お願い宇都宮市!お願いジャパン!

歴史体験館の中には衣装体験もあり、甲冑や着物もあり、それに着替えて写真を撮ることも出来る。この周辺の歴史や作物、発展の話などたくさんのことが紹介されている。全部をパーっと見て、またもや城の模型を食い入るように見ていたら「ああやっぱりお城にしか興味ないんですねえ」と笑われてしまった。いやいやそんなそんな!やっぱりお城にしか興味ないです。体験館のスタッフの方は皆さん良い方で、会話の中でしきりに「お茶飲んでください」「お茶冷めますんで」「お茶飲まれてください」「お茶おかわり大丈夫ですか?」と言ってくれたが出されたのはどう見てもコーヒーだった。

あぁ 飛山城 また訪れたい…。


◆【連載】中島卓偉の勝手に城マニア・チャンネル
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