【対談】Psycho le Cému × lynch.、コロナ禍の現状と支援活動を語る「約束の日を作り続けて、その希望に向かっていく」

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Psycho le Cémuが結成記念日の5月3日にLINE CUBE SHIBUYA(渋谷公会堂)で、1年越しの20周年アニバーサリー完結編にして新たな一歩を踏み出す意味も含めたライブ<理想郷旅行Z 〜二十年後の僕達へ…〜>の開催を予定していた。しかし、三度目の緊急事態宣言を受け、ファンの安全を第一に考えて開催見送りをアナウンスしたのが公演一週間前のこと。この対談は、緊急事態宣言の発出前週に実施したものだが取材時、Psycho le Cémuとlynch.のメンバーは先の見えぬ現状を憂慮しながらも、希望の種を継続して蒔き、未来に咲かせる決意とも取れる発言の数々を繰り返していた。その意志は今も変わらないであろうことが、彼らの言葉から十分に感じ取れるはずだ。

◆Psycho le Cému × lynch. 画像

Psycho le CémuのDAISHIとlynch.の玲央は、それぞれの前身バンド時代となる1998年頃からお互いを認識していたというから、もはや20年以上の付き合い。2000年にはPsycho le Cému、玲央の前身バンド、葉月の前身バンドが名古屋のイベントで共演を果たしているので、同時代に同シーンを突き進み続けてきたといって過言でない。それぞれが独自の活動スタンスと音楽スタイルを貫きながら、lynch.は結成15周年、Psycho le Cémuは結成20周年を迎えた。互いにアニバーサリー企画の実施を予定していた2020年だったが、新型コロナの影響でツアーの延期や中止を余儀なくされた。しかし、両バンドともに制限がある中で、自身の活動に加えてライブハウス支援活動まで実施している。

Psycho le CémuからDAISHIとseek、lynch.から葉月と玲央を迎えた対談では、お互いの馴れ初めや印象はもとより、コロナ禍で改めて実感した一番大切なことについて語ってもらった。結果、浮かび上がったのは、異なるスタイルを持つ両バンドのブレることのない心意気。トークは尽きることなく、ファンはもちろん、全バンドマン必見の意義深いロングセッションとなった。Psycho le Cémuは公演見送りとなってしまったものの結成記念日の5月3日に<The Birthday>と題した生放送を実施する。一方のlynch.は5月よりツアー<TOUR’21 -ULTIMA- >を開催予定だ。

   ◆   ◆   ◆

■復活後、何やるんだろうって思った時に
■“……変わってねーじゃん”って(笑)

──まずはPsycho le Cémuとlynch.の出会いから教えていただけますか?

seek:Psycho le Cémuの無期限活動停止タイミング(2006年5月)で、僕がMix Speaker's,Inc.というバンドを始めたんですけど、その時にlynch.と出会って、いろいろお話をさせていただいたり、たくさん影響を受けたりという間柄ですね。

DAISHI:僕もlynch.とは、Psycho le Cémuじゃないバンド(The ROMEO)の時、名古屋でご一緒させていただいたのが初ですかね。めっちゃカッコいいと思いました。

葉月:ありがとうございます。僕からしたら、もうテレビでしか観たことのない人たちってイメージが強かったですね、最初は(笑)。

玲央:僕が以前やっていたkeinというバンドが2000年8月に解散したんですが、バンド浪人してた時に、ちょうどPsycho le Cémuがドーンと出てきたんです。名古屋のイベントにもいっぱい出演していたので、僕はそれを観てた側ですね。

seek:でも、keinとも一緒にやらせていただきましたよね。名古屋ダイアモンドホールで。

玲央:ああ、イベント<NEW FLAVOR>(2000.8.1@名古屋ダイアモンドホール)か! たしか、DAISHIくんが腕にすごい飾りをつけてた記憶が。あと、顔が真っ青の人が「おつかれさまです!」って挨拶してくれたんですけど、その人が頭を下げた時に、青いのがピシャッてかかったのを覚えてます。

seek:……玲央さん、それ僕ですね。

玲央:ははははは! 実はその<NEW FLAVOR>には、葉月が以前やってたバンド(KUSSE)も出演してたんですよ。

葉月:そうでしたっけ。その時、僕はまだ16歳とかだったと思います。

DAISHI:おお、すごい。僕が16歳の時なんて、まだBUCK-TICKのコピーしてましたから、オリジナルはやってなかった。

▲DAISHI [Vo / Psycho le Cému]

──両バンドが親しくなったのは?

玲央:seekくんと喋るようになったのが、Mix Speaker's,Inc.とかと一緒に出演した2006年5月のFOOL’S MATEイベントで。たしかO-WESTの非常階段でお話したのが初めてだと思います。

seek:そうですね。そこから一緒に東北ツアーを回らせていただいたり、その時期はすごくよく対バンさせていただいてました。

玲央:そんなこんなでお互い年月を重ねて。こういう対談もそうですけど、ライブをご一緒できるのは本当に嬉しいことだと思ってます。こういう言い方したら横柄かもしれないですけど、この荒波のなか、お互いよく生き残ってこれたなって(笑)。

DAISHI:はははは! 同世代で残ってるバンド、ほんとに少ないですもんね。MUCCの逹瑯くんといつもその話になるんですよ。対バンするバンドがいなくなってくるので、「やめんといてほしい」って(笑)。

──2014年に活動再開したPsycho le Cémuとlynch.が初共演した時のことは覚えてますか?

seek:ディスクガレージ主催イベント<GENESIS>(2016.10.10@新木場スタジオコースト)だったんです。DAISHIさんがまあまあヴィジュアル系シーンから離れてたから、「正直、若いバンドの人らがどういう雰囲気なのかがまだ掴めない」と。その日の出演者だった「lynch.とかNOCTURNAL BLOODLUSTは結構激しいで」って話をしたら、「ちょっとセットリスト激しめでいこう」っていうことになって。完全に合わせにいって、スベるみたいなのは経験しました(笑)。

DAISHI:恥ずいやん! なんでそんなん言うん(笑)。

玲央:いやいや、全然スベってなかったですよ(笑)。あと、D'ERLANGERさんのイベント(<ABSTINENCE'S DOOR ♯009>2017.9.16@EX THEATER ROPPONGI)と、<VISUAL JAPAN SUMMIT>(2016.10.14-16@幕張メッセ国際展示場9・10・11ホール)でも一緒でしたもんね。

DAISHI:そうですね。結構喋りましたよね。

▲Psycho le Cému

──lynch.から観て、復活したPsycho le Cémuのライブはいかがでした?

葉月:やっぱり、エンターテイメント性とかライブの持って行き方がすごいじゃないですか。そこが僕はちょっと怖かったんですね。僕もクールにキメるタイプのボーカルではないので、ステージで結構喋るんですけど、そういうところで負けたくないなあって意識してたところはあります。

seek:へえ、MCとか結構意識するんですね。

葉月:します。特に対バンの時は、“これは言おう”っていう言葉を用意しますから。

玲央:僕としては……失礼な言い方かもしれないんですけど、本当に変わってないなっていうことに逆にびっくりしたんですよ。Psycho le Cémuって、演奏が上手なのに弾かないバンドのハシリだと思ってるんです。当時、たぶん批判とかも受けつつ、そのスタイルを貫き通して、あれだけ多くの人から支持を得たっていう結果をちゃんと出したバンドなわけで。そこから、DAISHIくんが別のカラーのバンドを始めたり、バンドの末っ子的存在だったseekくんが自分がリーダーとして引っ張っていくMix Speaker's,Inc.を経験したり。良くも悪くもいろんなことを吸収して消化して、“復活後、何やるんだろう”って思った時に……“変わってねーじゃん”って。それがすごく嬉しくて、笑っちゃったんですよ。マネージャーさんがseekくんの獅子舞の足になってて。“これ、大の大人はできんぞ”と思った(笑)。

seek:ははははは! あれでマネージャー、腰痛めましたからね。

DAISHI:たしかに、先輩バンドさんが濃い目のヴィジュアル系からカジュアル路線に移行するような流れもあったじゃないですか。でも、うちはそういう話し合いすらしたことないですね。

seek:自分たちが求められてるものをちゃんと見せたい、みたいなところはあるのかなと思います。あとは、年取れば取るほど、おもしろくなってきた感はありますね。たぶん、メンバーもそれぞれ、“この歳になってもまだこの格好なのか?”っていう葛藤はあったと思うんですけど。それを通り過ぎて、今は逆に“この歳になってこの格好できるやつは他におれへんやろ”みたいな楽しさを感じながらやれてるかも。

DAISHI:カッコええかどうかはわからんけど、おもろくはなってくるよな。

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