【コラム】近年の大江千里の作品とは一線を画した『Letter to N.Y.』

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『Letter to N.Y.』は近年の大江千里の作品とは一線を画したものだ。なぜなら1998年から封印していた打ち込みの音楽であり、もっと言えば彼が初めてアプローチしたサンプリング志向の作品であり、そしてもっと言えば、この作品の楽曲も、曲作りのプロセスも世界の誰かにサンプリングされることを望んでいるかのような作風なのだ。大江千里から音楽だけが分離してしまったような、こんな作品は前代未聞だ。


大江千里ほど、ポリュラリティーを獲得し、なおかつ永遠の現役としてその生き方そのものが確立されているミュージシャンはそれほどいないだろう。1983年のデビュー以降、「十人十色」「格好悪いふられ方」など数々のヒットを生み、2008年にはジャズミュージシャンを目指すために47歳でニュースクール・フォー・ジャズ&コンテンポラリー・ミュージックに入学。卒業後の2012年には52歳でレーベルを起業し、6枚のジャズアルバムをリリースしてきた。2020年に還暦を迎える中で書き綴った「マンハッタンに陽はまた昇る」も好評で、歳を重ねることで生まれる葛藤も含め、コロナの生活と向き合うニューヨークでの飾らない暮らしを、ソーシャルメディアを積極的に使いながらポジティブに発信している。


そんな大江千里の音楽は、言葉と共にファンと繋がり「大江千里という音楽」を確立してきた。過去のヒット曲では20代の心に秘めた孤独を歌い、ニューヨークに渡ってからも、ジャズミュージシャンの多くが取り組むようなスタンダードのカヴァーは披露せず、ファンと繋がる言葉を独自のメロディに置き換えて音楽を育んできた。ベッカ・スティーヴンスを始めとするニューヨーク屈指のミュージシャンを起用しつつも、自身のオリジナル曲に終始し歌詞に重きを置いたジャズ・ヴォーカル作品『answer july』(2016年)や、J-POP時代の代表曲をピアノ・ソロでセルフカヴァーした『Boys & Girls』(2018年)を聴いても、彼が奏でればどれも大江千里の音楽になるような、揺るぎないアーティストの存在を感じ取れるだろう。生き方そのものが音楽になっていて、過去の誰かの曲や焼き直しのアレンジ、過去のジャンルとは比較されたり引用されたりすることがない。それが「大江千里という音楽」の印象だった。

しかしそんな認識は、コロナ禍で生まれた最新作『Letter to N.Y.』で、覆された。もしかしたら、これは大江千里のサンプリングミュージックではないだろうか。曲を聴くたびに年代やジャンルを旅するような感覚になってくる。冒頭の「Letter to N.Y.」では突如、モダンジャズの原型となるビバップを創生した巨人、チャーリー・パーカーが現れる。この曲のメロディの最初に引用されているのはパーカーの典型的な音楽的フレーズだ。「Out of Chaos」ではエレクトリックベースで歌うジャコ・パストリアスが顔を出し、1970年代のエレクトリック・マイルス・バンドのような、ぎりぎりに保たれる破綻寸前のリズムが再現されて混沌の時代にタイムスリップ。そして「The Street to the Establishment」ではブルースでよく使われるシャッフルやラテンなど、ステレオの左右からどんどんリズムが飛び出してくる。まるで様々なルーツを持つミュージシャンが混じり合うニューヨークのストリートにいるような体験だ。

「Pedestrian」では、1990年代初頭のR&Bやニュージャックスウィングのトラックを彷彿させる打ち込みが新鮮に響き、キューバのリズムをベースにしたパーカッシブなトラックと哀愁あるエレクトリック・ピアノで身体が揺れる「Love」は、2000年代のクラブシーンのフロアを想起させるような垢抜けたテイストも見え隠れする。明快で美しいメロディが繰り出さる「Staying at Ed's Place」は、世界中の誰もがハミングできるようにという願いが込められていて、ジャズ・ビートルズというコンセプトがついた楽曲だ。そして作品作りのプロセスも、ジャズの理論や譜面ありきの音楽から逸脱し、Q-Tipやロバート・グラスパーといったスタイルのアーティストの音楽作りで見られるような、繰り返しのフレーズの気持ち良さも素直に追求したものとなっている。


このように『Letter to N.Y.』には、大江千里の頭の中にある幅広い時代のミュージシャンからのインスピレーションが溢れていて、その姿はクラブミュージックが生まれた時のように、安価なドラムマシンを手にして、ひたすら実験を重ねてサブジャンルを生み出した当時のプロデューサーと接近しているようで、とても眩しく映る。これまでの「大江千里という音楽」から、様々な音や人が繋がっていき、どんどん音楽が解き放たれていく。


冷蔵庫の食材のように、あるものだけで音楽を創作するアプローチは、特別な環境がなくても取り組める手法だ。高価な機材やスタジオがなくてもいい。感覚から生まれたリズムやコードに、誰かが歌って手を加えて音楽はまた輝いていく。サンプリングという音楽作りは、このユニークな時代に様々な人や音楽と繋がれる方法であり、孤独の中で音楽を作る気持ちを共有できる方法だった。『Letter to N.Y.』は、そのことを改めて教えてくれる。

文◎大塚広子


『Letter to N.Y.』

2021年9月6日配信リリース
2021年7月21日日米同時発売
MHCL 30689 ¥3,300(税込)
Blu-spec CD2 仕様
1.Letter to N.Y.
2.Good Morning
3.Out of Chaos
4.The Kindness of Strangers
5.The Street to the Establishment
6.Juke Box Love Song
7.A Werewolf in Brooklyn
8.Pedestrian
9.Staying at Ed's Place
10.Love
11.Togetherness

◆試聴&ダウンロード

◆大江千里『Letter to N.Y.』スペシャルサイト
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